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カナンの地の特徴と信仰による主体的選択

【補完5】カナンの地の特徴と主体的選択


【聖書箇所】申命記 11章1~32節

ベレーシート

  • 申命記11章で取り上げられている内容の特徴は二つあります。一つは、約束の地カナンがエジプトの地と対比されていること。もう一つは、主の戒めと命令に対して従順な者は祝福を受け、不従順な者はのろいを受けるということです。それゆえ、神に対する主体的決断が求められているのです。

1. 「カナンの地」と「エジプトの地」の違い

  • その違いは水の流れです。エジプトの川であるナイルは常に安定した水を供給していました。ですから、畑に種を蒔いて、野菜に水をやるためには、灌漑の水路を造って水を引かなければなりませんでした。そのことを聖書は「自分の力で水をやる」と表現しています。ところが、カナンの地形はエジプトの地と異なり、川からの水ではなく、天から雨を降らせていただかなければならない地形でした。

画像の説明

  • 例えば、エルサレム(790m)から死海(-386m)の場合、その標高差はなんと1176mにも及びます。ヘルモン山(2800m)とガリラヤ湖(-211)の標高差は3000mを越えています。カナンの地は聖書の時代と現在とでは、その生態系においてかなりの変化があります(樹木の数や動物の種類と数など)。しかし変化していないのはその特殊な地形です。カナンの地の収穫は季節の雨の量に依存しています。エジプトの地のように、人の力による灌漑工事で水を確保することはできなかったのです。
  • カナンの地ではエジプトのような川はありません。水も、季節(秋と春)の雨に限られていました。雨が降らなければ収穫はありません。ですから、カナンの地に住む人々は雨乞いの祈りをしていたのです。その雨乞いのための神(偶像)がいたのです。果たして、イスラエルの神は毎年、必要な分を降らせてくださるのかどうか。そのためには神への従順が求められたのです。

2. 「祝福か、のろいか」の主体的決断による選択

  • 祝福(「ハッベラーハー」הַבְּרָכָה)か、それとものろい(「ハッケラーラー」הַקְּלָלָה)か。その中間はありません。聖書においては、光かやみか、いのちか死か、救いか滅びか、神に仕えるか富に仕えるかの二つの道しかありません。申命記の主題は「信仰における主体的・自立的選択」です。「神に選ばれたイスラエルが出エジプトという歴史的経験を通し、さらに荒野放浪の体験を通して訓練されたのは、すべて奴隷状態から脱皮して、選民的に自立させるためであった。選民的に自立するには、選民各自のうちに〔選ばれて・選ぶ〕という主体的決断の確立が決定的である。そこには選民側の応答としては、選び主への服従か背反か、祝福か呪いか、生か死かの二者択一しかない。」(岡村民子著「聖書各巻のかけがえのなさ」73頁)
  • 信仰の「自立」とは、愛されて愛するという信仰的・主体的決断に基づく服従の選択意志を意味します。注解者の多くが申命記の主題を「回顧と展望」としていますが、それは自動車のバックミラーのように過去を顧みつつ、これから進むべき道を展望するために、神の真実に対する責任ある主体的決断をもった服従が要求されているので、神は「あなたはいのちを選びなさい」と命じています。

3. ゲリジム山とエバル山

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  • モーセの従者であるヨシュアは、カナンの地を占領し、各部族に対する土地の配分がなされた後で、イスラエルの全部族をシェケムに集め、「あなたがたが仕えようと思うものを、どれでも、きょう選ぶがよい。私と私の家とは、主に仕える」という告白をしています(ヨシュア記24:15b)。これは「シェケム契約」と呼ばれています。北はエバル山、南はゲリジム山、その谷間にあるのが「シェケム」(שְׁכֶם)です。ヨシュアはここ「シェケム」で、これまでの歴史を回顧します(ヨシュア記24:1~15)。かつて神とアブラムとが交わした「松明(たいまつ)の契約」(すなわち、四代目の者たちが、ここシェケムに戻ってくるという約束)が成就したのです(創世記15:13~21)。神のこれまでの導きを語った後で、ヨシュアはイスラエルの民に、どの神に仕えるかを自ら選択するようにと決断を促します。ヨシュアが「私と私の家とは、主に仕える」という有名なことばを残したのもこの場所でした。
  • 「シェケム」(=「シェヘム」שְׁכֶם) は、イスラエルの歴史においてきわめて重要な場所です。かつて、アブラムは妻のサライと甥のロトを連れてカナンの地に行きましたが、その最初の滞在地が「シェケム」でした。その地の「モレ」の樫の木で主はアブラムに現われ、「あなたの子孫にこの地を与える」と約束します。アブラムが主のために祭壇を築き、礼拝した場所です。

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  • 「シェケム」は「肩」「尾根」「分水嶺」をも意味します。申命記11章29節でモーセが「あなたが、入って行って、所有しようとしている地に、あなたの神、【主】があなたを導き入れたなら、あなたはゲリジム山には祝福を、エバル山にはのろいを置かなければならない。」と命じたように、シェケムはまさに神に対する「選択を迫られる場所」だということです。主に仕えるのか、それとも他の神々に仕えるのか、その明確な決断が迫られる場所なのです。アブラムの召命に対する信仰の決断と献身を再度明確に迫られる場所、それがシェケムの地が持っているメッセージだと信じます。
  • 私たちにとっても、信仰や献身を再確認する霊的な「シェケム」が必要です。厳しくそのことを問いかけられる場が不可欠です。神に従おうとする決断が現実の生活で折れてしまうことがないように、それを厳しく呼び覚ましてくれるような「シェケム」が必ず置かれているはずだと信じます。


2017.9.19


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