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カルヴァンと詩篇唱

カルヴァンと詩篇唱


ジャン・カルヴァン
  • ドイツでルターが指導する宗教改革が進んでいるころ、スイスのジュネーヴではジャン・カルヴァン(Jean Calvin,1509~1564、1533年の24歳にパリの大学で神学を学ぶうち突然の回心を経験)を指導者とする、別な神学的主張を持つ宗教改革がはじまっており、そこから新しい歌としての<詩篇歌>が生み出されました。
  • カルヴァンによれば、礼拝において神を賛美する賛美歌として最もふさわしいものは、初期の教会以来、多くの人々によって書かれてきた創作賛美歌ではなく、「神の言」の記録そのものの中にある賛美歌集、つまり、旧約聖書にある150篇の詩篇こそそれであると考えました。神をほめたたえるには霊感された神の言をもってすべきであるという彼の明確な神学が根底にありました。
  • カルヴァンに、このことの実行面でヒントを与えたのはドイツのルター派教会のコラールでした。彼がストラスブールに亡命中、同地のルター派教会でドイツ人が力強くコラールを歌っているのを聞き、非常な感銘を受け、自分が指導する会衆が神の言である詩篇をその賛美歌として歌うことを願うようになったようです。そして、ルターと同様、カルヴァンは会衆が死語化したラテン語によってではなく、彼らの日常語であるフランス語で詩篇を歌うことを望み、彼自ら、詩篇をフランス語の韻文に訳そうと試みました。しかし、彼にとって詩篇の韻文訳化は得意ではなく、後にクレマン・マロー(1497~1544)や、カルヴァンの弟子テオドル・ドゥ・ベズ(1519~1605)らの詩人と、作曲家ロア・ブルジョアらの助力によって進められることになりました。。
  • カルヴァンは、1542年に制定された新しい礼拝順序に詩篇歌を取り入れ、1559年にはフランスの改革派教会でも、礼拝に出席する教会員は詩篇歌唱を持参することを規定しており、以後約2世紀にわたって、カルヴァン主義教会の礼拝に詩篇歌は不可欠のものとなりました。
  • カルヴァンはマローの死後、カルヴァン弟子のテオドール・ベーザ(1519~1605)にそのマローの事業を継続させ1562年ついに詩篇150篇を全部フランス語の韻文に訳した讃美歌集<ジュネーヴ詩篇歌>を完成させています。これはプロテスタント音楽史上、不朽の偉業とされており、特にカルヴァンの感化を受けた改革派の教会に多大の貢献とされています。
  • カルヴァンは、ルター以上に詩篇を愛好し、それを全面的に教会の礼拝に取り入れた人です。「詩篇の中には、人間のあらゆる感情がよみこまれているというのがカルヴァンの詩篇観です。詩篇には人の心を乱しがちな悲しみ、恐れ、病、望み、心配、思い煩いなど、あらゆる感情のあらしを聖霊は示している」と、自らの「詩篇注解」の序言の中で述べています。


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