クリスチャンのアイデンティティの確立
歴史書(1)の目次
ヨシュア記附記(1) クリスチャンのアイデイティティの確立
―キリスト者として立つべき信仰の戦いー
- キリストにある自分のアイデンティティは私たちを解放へと導く。それゆえ自分自身を理解することは、信仰生活を送る上で非常に重要である。
- たとえば、自分が神に受け入れられていないと信じ込んでいる人は、神と親しい関係を結ぶことが困難である。自分のことを受け入れてくれないと思われる人に心を開くことはやさしいことではない。
- ほとんどのクリスチャンは霊的コンプレックスをもっているようである。神がご自分の子どもたちを高く評価されているにもかかわらず、クリスチャンは自分自身を過小評価しているのである。なぜなら、自分のアイデンティティは行動から切り離せないように教え込まれているからである。しかし、主はそのようには見られない。主は私たちのアイデンティティを行動によって見ず、出生を見る(霊的な誕生によって認知される)のである。神の家族に生まれた者は新しいアイデンティティを授かる。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(Ⅱコリント5章17節)キリストを信じた者は新しく創造されるのであり、すでに存在しているものを改良するという意味ではない。無から有を生み出すのである。私たちが救われた時、神はただ私たちを改良したのではなく、新しい人を創造したのである。この新しい自分と出会うことが重要なのである。
- 私たちのアイデンティティはキリストにある。主が私たちの命となられた。私たちはキリストにあって、聖徒であり、神の芸術作品であり、義であり、聖である。神に完全に受け入れられている。神に受け入れられるために自分を変える必要はない。なぜなら、私たちが受け入れられているのは、行いではないからである。
- サタンの嘘にだまされてはならない。嘘のアイデンティティを信じてはならない。私たちは恵みによって救われたただの罪人ではない。私たちは自分の存在の中心にキリストの命をいただいた聖徒なのである。恵みによって救われただけの罪人はサタンに対していつも守りの体制でいる。しかし自分が聖徒であることを知っている人は積極的に攻撃するのである。つまり、自分の罪が赦されるだけでは、自分のライフスタイルを変える十分な動機とはならない。聖書は私たちがキリストの花嫁であると語っているが、その関係を知ることーそれが私たちのライフスタイルを変える動機となるのである。
- 以上は、スティーブ・マクベイ著『恵みの歩み』(訳者 尾山謙二、ファミリーネットワーク、2000年)の第三章「全く新しい自分」からの抜粋。本書は福音の奥義を理解する上で推薦すべき書である。
a:9429 t:1 y:3