****** 詩篇は、神と私たちの生きた関係を築く上での最高のテキストです。******

クリスマスの脇役たち(1)「羊飼いたち」

7. クリスマスの脇役たち(1) 「羊飼いたち」

イエスを礼拝する羊飼いたち

羊飼いたちへの顕現と幼子イエスへの礼拝

はじめに

  • 昔(私が青年の頃)、「♪世界ではじめのクリスマスは、ユダヤの田舎のベツレヘム・・・グローリア、グローリア、グローリア、グローリア、インエクセルシス・デオ」(ゴスペルソング「友よ、歌おう」より)と歌ったことを懐かしく思い出します。
  • ルカの福音書は、この世に救い主(メシア)が誕生したニュースを最初に聞いたのは野原で羊の番をしていた羊飼いたちであったことを記しています。この出来事を最初に聞いたのが、なぜ、羊飼いだったのか。その説明は記されてはいませんが、ルカの福音書全体が伝えようとしている事柄と無関係ではないように思います。つまり、ルカが福音書で言わんとすることと、この羊飼いの登場はきわめて深い関係にあるということです。
  • ルカ2章8~20節の最後の方に、幼子イエスを最初に礼拝にしに来た者たちが羊飼いたちであったこと、またそれを伝えた御使いの話などを聞いて、「マリヤはこれらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。」(19節)とあります。マリヤは「心の思いの高ぶっている者を追い散らし・・、低い者を高く上げ」(1:31, 32)と預言的な賛美をした人です。ですから、彼女なりに自分が語った預言と、今こうして羊飼いが自分たちのいるところを捜し当てて訪ねてくれたことに驚きを感じながら、「これらのことをすべて心に納めて、思い巡らしていた」ことと思います。
  • この「思いを巡らす」と訳されたことばは「スンバロウ」συμββάλωで新約では6回使われています。この語は、「共に」を意味する「スン」συνと、「投げる」を意味する「バロー」βαλλωの合成語で、本来、「共に投げ合う」ことを意味し、論じ合ったり、互いに協議したり、助けあったり、落ちあったりすることから、そこから派生して、「(心の中で)じっくり考える、熟考する」といった意味にもなります。
  • しかも、その言葉の前に「心に納める」スンテーレオーσυντηρέωということばがあります。このことばは「自分の心の中に忘れないように留め置く(保存する)」ことを意味します。おそらく、羊飼いのお告げによって羊飼いたちが最初の礼拝者として訪れたことに、マリヤはことばでは表現できない、なにかしらそこに深いものを感じ取ったに違いありません。柳生訳はこの箇所を次のように訳しています。「だが、マリアはその話を細大もらさず心に刻みつけ、その意味をいろいと考えていた。」と。
  • いずれにしても、人々は羊飼いたちの話を聞いてただ驚いたにすぎませんが、マリヤだけは、「これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。」(2:19)ということは、私たちも、最初のクリスマスの出来事を瞑想する上で見過ごすことのできない大切な何かがあることに気づかなければなりません。

1. 羊飼いたちは社会のアウトローの代表

  • イエス誕生の時代のパレスチナでは、羊飼いは社会の最下層の人々として見下げられ、蔑まれる存在の代表でした。その部類に入る者としては取税人、および遊女たちでした。羊飼いたちはイエス誕生のなりゆきを見るためにベツレヘムに来ましたが、東方の博士たちとは違って何一つ贈り物を手にしていません。彼らは貧しく、ささげものが何ひとつなかったからです。また、羊飼いたちは放浪生活をしていたため、会堂で聖書のことばを聞くことも学ぶこともありませんでした。ましてや教育などは受けることもできず、文字が読める者もいなかったかもしれません。
  • 当時のユダヤの民たちは、ユダヤ教の十分の一税と神殿礼拝における神殿税、それだけで収入の20%に当たりますが慣例として課せられていました。それに加えて、ローマ帝国自体のための税金を取税人たちによって徴収されました。その他にも、関税、通行税、貢税などによる民の税の重荷は相当のものでした。こうした状況下で、宗教税の一部を未払いにして、熱心なユダヤ人から「罪人」の烙印を押されるか、さもなければ、借金をして税金を払いそのためにやがては自分の土地を失って「雇い人」となるリスクをあえて負うか、そのどちらかの選択を迫られました。羊飼いたちはその前者であっために、ユダヤの民から見下げられることは至極当然でした。ところが驚くべきことに、そんな彼らに「良き訪れ」が告げられたのでした。

2. イエスの「バリア・フリー」的宣教の布石

  • ルカの福音書では、特に、当時の社会の中にあったさまざまな障壁(バリア)の存在を意識しています。たとえば、以下のようなバリアがありました。

    (1) 階級的バリア
    指導者階級(祭司、パリサイ人、律法学者)とアム・ハーレツの人々(羊飼いたち)

    (2) 経済的バリア
    富める者と貧しい者  

    (3) 人種的バリア
    ユダヤ人とサマリヤ人(特に、サマリヤ人に対するユダヤ人の憎悪は強かった) 

    (4) 地域的バリア
    エルサレムとガリラヤ、中心都市と田舎町 

  • 最初のクリスマス(イエスの誕生)の知らせを、当時、「アム・ハーレツ」と呼ばれた「羊飼いたち」に告げられたことは、この世にあるさまざまな階級的バリアをフリーにしようという神のみこころがあることを意図的に伝えようとしているように思います。
  • 長い時間をかけて徐々に作られてきたさまざまな領域における「障壁」は簡単に崩せるようなものではありません。その「障壁」を崩そうとすることは、社会全体の仕組みの根幹を揺るがすことであるゆえに、軋轢が生じることは必須です。御子イエスはこの問題のために苦しみを受けることになります。
  • マリヤの賛歌にある「心の思いの高ぶっている者を追い散らし、低い者を高く上げ」(1:31, 32)という神の救いの戦い、あるいは、人間社会のあらゆるバリアをフリーにしようとする神の平和に向けた戦いの布石が敷かれたことが、この「羊飼いたちへの顕現と幼子イエスへの礼拝」の出来事に込められているメッセージと言えます。御使いのお告げは、イスラエルの民全体のためのものでしたが、特に、羊飼いたちに向けて「あなたがたのために」と語ったことが重要なのです。単なる綺麗ごとでは済まされないとてつもないある種の迫りを感じさせられます。


●ここでの解釈は、「アドベント3」での解釈とは異なっています。


You Tobeより; Gloria In Exccelsis Deo

Angel

a:18535 t:3 y:3

powered by Quick Homepage Maker 5.2
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional