サウル、ヨナタンに繋がる別のベニヤミン族の系図
8. サウル、ヨナタンに繋がるもう一つのベニヤミン族の系図
【聖書箇所】Ⅰ歴代誌 8章1~40節
ベレーシート
- ベニヤミン族の系図は、すでに7章6~12節に記されていますが、もうひとつ別の系図があります。それが8章にあるベニヤミンの系図です。ベニヤミンの長子ベラだけが同じで、後は全く異なる系図です。しかし、8章の系図には、ダビデと深くかかわることになる王サウル、そしてダビデの無二の友となるヨナタンが登場してきます。
- このベニヤミン族が、長子のベラが生まれた後に、別の妻をめとったとすれば、そこから生まれた子どもたちの系図があるはすです。その辺のことは聖書が記していないので、推測でしかありませんが・・。
- いずれにしても、ユダ族とベニヤミン族のかかわりは、救済史的視点から見ても、興味深いものがあります。この二つの部族は、創世記から、千年王国におけるメシア王国の完成に至るまで、常に、寄り添い合う関係にあります。ソロモン王国以降、イスラエルは北と南の二つに分かれますが、そのときにもベニヤミン族はユダ族に寄り添て、その運命を共にしています。
1. ユダとベニヤミンとのエピソード
- ユダはヤコブ(イスラエル)の第四番目の息子ですが、ベニヤミンはイスラエルの最後の息子です。愛する妻ラケルの二番目の子で、ラケルはその子を産んだ後に「ベン・オニ」と名付けました。その名前は「悲しみの子」という意味です。大変な難産だったからだけでなく、これまで自分が長い間耐えてきたさまざまな苦労を思い、生まれた子が今後ずっと母親の肌も顔も知らずに生きていく悲しみ、苦しみを表わした名前でした。ところが夫のヤコブは、その子どもの名前を「ベニヤミン」(他の子どもとは異なり、この子だけが南の地方で生まれた子という意味を込めて)と改めました。しかし、Ⅰ歴代誌7章にあるベニヤミンの系図を見ると戦いの勇士が多く輩出する子孫となっています。
- ヤコブ(イスラエル)の晩年、飢饉が襲い、エジプトいるヨセフのところに食糧を求めにいくという話があります。最初の調達の時には、ベニヤミンは同行しませんでした。食糧を求めに来た兄弟たちに中に、弟のベニヤミンと父ヤコブの姿がないことにヨセフは気づき、ベニヤヤミンを連れて来させるための計らいをしました。ユダは父ヤコブを説得し、ベニヤミンを自分のいのちにかけてでも必ず戻ってくることを約束して、ベニヤミンをエジプトのヨセフのところに連れて行きます。ところが、ヨセフはベニヤミンを自分のところにとどめるための策を練り、あらぬ嫌疑をベニヤミンを掛けて、エジプトにとどめようとします。ところがそこでユダは父ヤコブとの約束を守るために、自分が身代わりになると申し出たのです。この当たりの話は、⇒こちらを参照のこと。
- それ以降、ユダ族とベニヤミン族は共に寄り添う関係になって行きます。
2. ベニヤミン族から輩出した有名な人物たち
- Ⅰ歴代誌8章の系図の意図は、ダビデと深いかかわりを持つことになったベニヤミン族とのかかわりを示すことにあったと考えられます(特に、29~34節)。なぜなら、その系図にはイスラエルの最初の王となったサウルとヨナタン、そしてヨナタンの子メフィボシェテ(8章では、メリブ・バアルとなっている)が登場しているからです。
- サウルは王としての地位は神に捨てられましたが、ある意味では反面教師としてダビデを霊的に育てた人物と言えます。その息子であるヨナタンは、やがて自分が王となる立場にあるにもかかわらず、ダビデのうちにその資質があることを見抜き、自分の子孫をダビデに託した無二の親友でした。ヨナタンの息子の一人メフィボシェテは父ヨナタンのおかげで、一生、ダビデとともにエルサレムに住み、ダビデの息子たちと同様の待遇を受けています。
- このベニヤミン族の中から、ユダヤ人絶滅の陰謀から救ったモルデカイと彼の姪エステルが登場してきます。また新約時代では、イエスとその弟子たちを迫害していたサウロ(後の使徒パウロ)が輩出するのです。そのパウロが自己紹介の中でこう述べています。「私は八日目に割礼を受け、イスラエル民族に属し、ベニヤミンの分かれの者です・・」(ピリピ3:5)参照。ローマ11章1節にも「私も・・ベニヤミン族の出身です」とあります。
2013.12.21
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