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シオンに現わされるシャハイナ・グローリー

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58. シオンに現わされるシャハイナ・グローリー

【聖書箇所】60章1~22節

ベレーシート

  • イザヤ書60章1節の「起きよ。光を放て。」のフレーズは有名です。しかし、このフレーズは「御国の福音」の視点から理解する必要があります。60章は終わりの日に成就する「メシア王国」の栄光と、「新天新地」における神の栄光が預言されています。この二つは使徒パウロが余すところなく宣べ伝えた「御国の福音」です。十字架の死と復活を中心とする「神の恵みの福音」とは異にする福音です。前者は神のご計画の全体にかかわる福音であり、後者は「御国の福音」にあずかるための「恵みの福音」です。「恵みの福音」はあかしするものですが、「御国の福音」は神のマスタープランそのものであり、聖書全体から論証され、伝え知らされるべきものです。このことが今日のクリスチャンたちに欠落しています。
  • 神の「恵みの福音」を聞いて天国行きの切符を手にしたことで満足し、聖書全体を謙虚に学ばないために、「御国の福音」に目が開かれていない状況です。イェシュアは「この御国の福音は、全世界に宣べ伝えられて、・・・それから、終わりの日が来ます。」と語られました。ですから、「御国の福音」に目が開かれる必要があるのです。「御国の福音」は、本来的にはキリストの再臨によって成就する「メシア王国」(千年王国)であり、それがその後に続く永遠の御国としての「新しい天と新しい地」の型ともなっているのです。

1. メシア王国のまばゆいばかりの輝き

  • イザヤ書60章は、「光」「光を放つ」という語彙が多用されて(1,1,2,3,13,19,20節)、まさに、まばゆいばかりの輝きを放っています。しかもその「光」のスポットは再臨のメシアが王として統治する「シオン(エルサレム)」、あるいは「シオンに住む者たち」に当てられています。

【新改訳改訂第3版】イザヤ書60章1~3節

1 起きよ。光を放て。あなたの光が来て、【主】の栄光があなたの上に輝いているからだ。
2 見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている。しかし、あなたの上には【主】が輝き、その栄光があなたの上に現れる。
3 国々はあなたの光のうちに歩み、王たちはあなたの輝きに照らされて歩む。


【フランシスコ会訳】イザヤ60章1~3節
1 立ち上がれ。光を放て。まことに、おまえの光がやって来る。ヤーウェの栄光がおまえの上に輝き昇る。
2 まことに、見よ。闇が地を。暗黒が諸国民を覆うが、おまえの上にはヤーウェが輝き昇り、その栄光がおまえの上に現れる。
3 国々はおまえの光に、王たちはおまえの曙の輝きに、歩み寄る。


●「あなたの光が来て」の「来て」は預言的完了形の「ヴァー」(בָא)。また「輝いている」も同じく預言的完了形の「ザーラハ」(זָרַח)で、確実にそうなることを意味しています。

  • 「起きよ。光を放て。」(「クーミー(קוּמִי)・オーリー(אוֹרִי)」)というフレーズはそれぞれ2人称女性単数の命令形です。だれに向かって語られた命令かといえば、それはエルサレム(シオン)です。ヘブル語では町は女性形です。「起きよ」と訳される動詞は「立ち上がる、立つ」を意味する「クーム」(קוּם)。ギリシア語では復活用語の「アニステーミ」(ανιστημι)です。また、「光を放て」と訳された動詞は「オール」(אוֹר)です。この「光」は歴史の中で輝いた特別な神の光であり、「シャハイナ・グローリー」とも呼ばれます。
  • 創造において、神は最初にやみの中から「光」を呼び出されます。この「光」は光源としての「光」ではなく、かかわりの「光」です。そしてその「光」の中にすべてのものがかかわりを持って創造されます。何のかかわりもなく単独で存在している被造物は存在しません。「暗闇」「夜」といった語彙はそうしたかかわりのない世界と言えます。そもそも神ご自身が「光」であり、その神は「御父・御子・御霊」の三位一体の交わりの神です。かかわりとしての「光」は、創造主である神と被造物の間に、また被造物どうしの中にも反映され、その概念をさまざまな表現をもって表わしています。例えば、「天からの光」「いのちの光」「救いの光」「真理の光」「啓示の光」「愛の光」「恵みの光」「導きの光」「永遠の光」・・などと表現されます。
  • 「光」の源泉は常に神にあるゆえに、その光に照らし出された対象は神の栄光の輝きを放つのです。終わりの日に、神の栄光の輝きが百パーセント照らし出される対象は神の御子ですが、その御子とかかわるすべてのもの(人、民、国、民族、場所)にもその輝きが最高度に回復されるのです。それに比べるならば、今の私たちが経験できるのは「光の種」程度でしかありません。

2. メシア王国の中心地はシオン(エルサレム)

  • 「やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている。しかし、あなたの上には【主】が輝き、その栄光があなたの上に現れる。」(60:2)。主の光のスポットがまばゆいほどにこの地上のエルサレム(シオン)に当てられるとき、異邦人も、また諸国の王たちもエルサレムを照らす光に向かって歩み寄るようになるのです(3節)。つまり、メシアによってエルサレムは光が照らされるので。まさにエルサレム(シオン)は全地において中心的な場所となり、多くの者たちが主を礼拝するためにそこに集まるのです。

【新改訳改訂第3版】イザヤ書60章14節
あなたを苦しめた者たちの子らは、身をかがめてあなたのところに来、あなたを侮った者どもはみな、あなたの足もとにひれ伏し、あなたを、【主】の町、イスラエルの聖なる方のシオン、と呼ぶ。


3. 「新しい地」においての中心地もシオン(エルサレム)

  • イザヤ書60章19節以降は、メシア王国の後に到来する永遠の御国である「新しい天と新しい地」についての預言です。神のマスタープランの最終ステージです。その直前、メシア王国(千年王国)の終わりに、白い御座においての最後の審判がなされますが、その直前に、それまでの天と地は過ぎ去り、もはや海はなくなります。そして、「聖なる都、新しいエルサレム」が出現し、天から新しい地に下ってきます。その様子がイザヤ書60章19~20節に記されています。

【新改訳改訂第3版】イザヤ書60章19~20節
19 太陽がもうあなたの昼の光とはならず、月の輝きもあなたを照らさず、【主】があなたの永遠の光となり、あなたの神があなたの光栄となる。
20 あなたの太陽はもう沈まず、あなたの月はかげることがない。【主】があなたの永遠の光となり、あなたの嘆き悲しむ日が終わるからである。

  • 聖なる都、新しいエルサレムには「太陽」も「月」もありません。なぜなら、「主があなたの永遠の光となる」からです。このことは、ヨハネの黙示録21章23節の「都には、これを照らす太陽も月もいらない。」というのは、神の栄光が都を照らし、小羊が都のあかりだからである。」というみことばとも符合します。
  • イザヤが語った預言の射程は、神のマスタープランの全体に及んでいます。人間の犯した罪によって完全に闇の中を歩んでいた人々を、そこから救い出すべく「主のしもべ」による贖罪による神の「恵みの福音」を指し示すと同時に、その贖われた者たちを永遠の光の中へと招く「御国の福音」をも指し示したのです。その意味で、イザヤはまさに偉大な預言者だと言えます。イザヤの語った預言の成就はこれからのことです。したがって、私たちも同じくイザヤの視点をもって神のご計画を俯瞰的に見なければなりません。目に見える事柄にではなく、いまだ見たことのない事柄を信仰をもって見るのです。まさに、朝露の一滴のしずくの中に、全宇宙を見るように・・。


2014.11.28


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