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シオンの回復(エルサレムの再建)の預言

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42. シオンの回復(エルサレムの再建)の預言

【聖書箇所】49章14~26節

ベレーシート

  • 49章14〜26節の部分は、シオンの二つの問いかけに対して主の答えが語られるという構成(設定)になっています。40〜48章までの「ヤコブとイスラエル」が、49〜55章では「シオン(8回)とエルサレム(3回)」にとって代えられます。ですから、主が「あなた」と呼びかけているその対象は「シオン」であり、「エルサレムの町」を意味します。そこはやがて神の民イスラエルが帰還する場所であり、王なるメシアが世界を統治する中心となる場所です。その場所であるシオンの回復が擬人的に語られているのです。
  • カルデヤがバビロンの雅名であるように、またヤマト(大和)が日本の雅名であるように、シオンはエルサレムの雅名です。

1. シオンの最初の問いかけと主の答え(14~23節)

  • シオンの二つの問いかけのうち、最初の問いかけは「主は私(シオン)を見捨てた。主は私を忘れた。」のではないか、というものです。いずれも現実の悲劇を見て絶望するシオンに、主が力強い励ましを与えているのがこの箇所の特徴です。
  • バビロンによってエルサレムが完全に破壊され、国を失いバビロンの捕囚となったユダの民たちにとって、再びその地に帰還することなど考えられないことでした。ましてや、主が11~12節で預言しているように、神の民が世界の各地(東西南北)の遠くから帰還するという約束は、とても信じることができない事柄と言えます。なぜなら、主が語られた時のシオンの地は、まさに主に見捨てられ、主から忘れられてしまったとしか考えられない状況にあったからです。
  • この問いかけに対して、主の答えは以下の通りです。

    【新改訳改訂第3版】イザヤ書49章15~19節

    15 「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。
    16 見よ。わたしは手のひらにあなたを刻んだ。あなたの城壁は、いつもわたしの前にある。
    17 あなたの子どもたちは急いで来る。あなたを滅ぼし、あなたを廃墟とした者は、あなたのところから出て行く。
    18 目を上げて、あたりを見回せ。彼らはみな集まって、あなたのところに来る。わたしは生きている。──【主】の御告げ──あなたは必ず、彼らをみな飾り物として身につけ、花嫁のように彼らを帯に結ぶ。
    19 必ず、あなたの廃墟と荒れ跡と滅びた地は、いまに、人が住むには狭すぎるようになり、あなたを滅ぼした者たちは遠くへ離れ去る。


(1) 「見よ。わたしは手のひらにあなたを刻んだ。」

  • 「主は私を見捨てた。主は私を忘れた。」のではないかというシオンに対して、主は「女が自分の乳飲み子を忘れようか。・・たとい、、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。」と断言しています。女が自分の乳飲み子を忘れるということはあり得ない話です。しかしもし仮にそういうことがあったとしても、主はシオンを忘れないというのです。むしろ、「見よ。わたしは手のひらにあなたを刻んだ。あなたの城壁は、いつもわたしの前にある。」(16節)と語っています。これは、恋人が自分の手のひらに相手の名前を書くように、主の手には再建されるシオンの青写真、新しいエルサレムの城壁の青写真が刻み込まれていて、それがいつも主とともにあるという意味です。主のマスタープランは主の思いの中にすでに出来ているということです。
  • 回復されるシオンに対しての主のことばは、以下の通りです。
    ①「あなたの子どもたちは急いで来る」(17節)
    ②「彼らはみな集まって、あなたのところに来る。」(18節)
    ③「人が住むには狭すぎるようになる。」(19節)

(2) 「見よ。わたしは国々に向かってわたしの旗を揚げる。」

【新改訳改訂第3版】イザヤ書49章22~23節

22 神である主はこう仰せられる。「見よ。わたしは国々に向かって手を上げ、わたしの旗を国々の民に向かって揚げる。彼らは、あなたの息子たちをふところに抱いて来、あなたの娘たちは肩に負われて来る。
23 王たちはあなたの世話をする者となり、王妃たちはあなたのうばとなる。彼らは顔を地につけて、あなたを伏し拝み、あなたの足のちりをなめる。あなたは、わたしが【主】であることを知る。わたしを待ち望む者は恥を見ることがない。」

  • 「私は主に見捨てられた」とする問いかけに対する主の答えとして、22~23節にあるように、主が諸国の民たちと敵であった者たちに主の旗を掲げるようにして合図を送り、彼らによってシオンの息子たちや娘たちがシオンに帰還するための援助がなされることが預言されています。その援助が具体的にどういうものかは書かれていませんが、「ふところに抱いて来る」とか、「世話をする者となる」という表現で記されています。しかもそのようにさせるのは主ご自身です。このことによってシオンは「わたし(神)が主であることを知る」ようになるのです。それゆえ主は「わたしを待ち望む者は恥を見ることがない」こと、つまり主を待ち望む者は失望に終わることがないことを断言しているのです。
  • ちなみに、この箇所にある「わたしの旗を国々の民に向かって揚げる。」の「わたしの旗」とはどういう意味でしょうか。同義的並行法による修辞法が使われているので、「旗を揚げる」とは「主が手を上げる」ことと同義であることが理解できます。ヘブル語で「わたしの旗」は「ニッシィー」(נִסִּי)。出エジプト記17章でアマレクとの戦いで勝利したあとでモーセが祭壇を築いて、それに「アドナイ・ニシ」と名づけました(出17:15)。「主はわが旗」という意味です。この「旗」は、目に見える「旗」ではなく、また人が振れるような旗でもなく、神が敵を打ち破ることのできる主権的な力の現われを意味すると考えられます。

2. シオンの第二の問いかけと主の答え(24~26節)

  • シオンの第二の問いかけは、「奪われた物を勇士から取り戻せようか。罪のないとりこたちを助け出せようか。」というものです。この節をフランシスコ会訳は「勇士から分捕り品を取り上げることができようか。暴君から捕虜を救い出すことができようか。」と訳しています。そのようなことは現実的に見て、到底不可能なことではないかという問いかけです。
  • この問いかけに対する主の答えは以下の通りです。

    【新改訳改訂第3版】イザヤ書49章25節

    25 まことに、【主】はこう仰せられる。「勇士のとりこは取り戻され、横暴な者に奪われた物も奪い返される。あなたの争う者とわたしは争い、あなたの子らをこのわたしが救う。
    26 わたしは、あなたをしいたげる者に、彼ら自身の肉を食らわせる。彼らは甘いぶどう酒に酔うように、自分自身の血に酔う。すべての者が、わたしが【主】、あなたの救い主、あなたの贖い主、ヤコブの力強き者であることを知る。」

  • 主の訪れの時には、神に立ち返った者たちを溢れるばかりに祝福されますが、同時に、神の民をしいたげた者たち(異邦人の国々)に対しては、恐るべき怒りをもって復讐されるのです。

2014.10.22


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