シャーレーム
No.25「シャーレーム」(שָׁלֵם)
イエスは・・・「完了した」と言われた。(ヨハネの福音書19章30節)
●十字架上のイェシュアが死の直前に語られた「完了した」ということばの原語は、「完了された」(テレオーの完了受動態テテレスタイ)です。この態ではヨハネの福音書(19:28, 30)の二回しか使われていません。ヘブル語は「シャーレーム」(שָׁלֵם)の受動態「二シュラーム」ですが、旧約にその使用例はありません。イェシュアが語られた「完了された」とは、人が神に近づくために必要なコルバン(ささげ物)が完全に献げられたことを意味します。コルバンとは神が命じた以下の五つ、①全焼のささげ物、②穀物のささげ物、③交わりのいけにえ、④罪(原罪)のきよめのささげ物、⑤代償(数々の行為の罪)のささげ物です(レビ記1~5章)。②の穀物のささげ物は、イェシュアが語り、奇蹟によって表した「御国の福音」のすべてです。それ以外はすべて「血」によるものです。イェシュアがこれらすべてのささげ物となってくださったことで、人は神に近づくことができるようになったのです。イェシュアの死と同時に、神殿の仕切りの幕が上から下まで真っ二つに裂けた出来事に、そのことが証しされています。
●しかしこの出来事は、「人としてのイェシュアの務め」が「完了された」にすぎず、神の贖いの半分です。もう半分の出来事は、死からよみがえられたイェシュアが「いのちを与える霊となって人の霊を再生し、その中に内住された」ことです。これが「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」(Ⅱコリ5:17)という「キリストにある霊による新創造」です。この目的のために、復活されたイェシュアは週の初めの日(八日目)の夕方、ユダヤ人を恐れて隠れていた弟子たちのところに現れ、「平安があなたがたにあるように」と二度も言って、息を吹きかけ、「聖霊を受けよ」と言われたのです。この「聖霊」が「いのちを与える御霊(霊)」(Ⅰコリ15:45)です。このことによって、40日間、弟子たちはイェシュアから再度「御国の福音」を聞いて悟ることができたのです。
●「平安があなたがたにあるように」(ヨハネ20:19,21)とは、単なる挨拶ではありません。ここでの「平安」が「シャーレーム」の名詞「シャーローム」です。これは、やがて神のご計画とみこころ、みむねと目的が、完全に実現されたときの祝福の総称です。イェシュアが誕生されたときに御使いによって歌われた天軍賛歌、「いと高き所で、栄光が神にあるように。地の上で、平和がみこころにかなう人々にあるように」(ルカ2:14)の「平和」(シャーローム)こそが、神のみこころの成就です。そしてその「シャーローム」にあずかる「みこころにかなう人々」とは、メシア王国に招かれるすべての贖われた人々、主からあわれみを受けた者たちなのです。
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