****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

スィン、シン瞑想(3)「待ち望む」

ש スィン、シン瞑想(3)「待ち望む」

テキスト | 瞑想(1) | 瞑想(2)

119:166「私はあなたの救いを待ち望んでいます。」

  • 詩篇119篇における「待つ」という語彙の意味合いを思い巡らしたいと思います。「待つ」にもいろいろな待ち方があります。ウキウキ・ドキドキ・ワクワクしながら待つこともあれば、重圧と苦しみの中にじっと耐えながら待つこともあります。明日が見えずとも信頼することで待つこともあります。あるいは熱心に待つこともあれば、沈着で周到な準備をしながら待つこともあります。
  • 詩篇119篇には二つの「待つ」を表わす動詞があります。

(1) ヤーハル יָחַל(yachal)

  • 一番多く使われている動詞はヤーハルです。これは信頼しながら静かに待つことを表わす動詞です。119篇では6回(43, 49, 74, 81, 114, 147)使われています。新改訳も新共同訳も共に「待ち望む」と訳しています。英語(NIV)訳では、put my hope (直訳は「希望を置く」)と訳されています。この動詞は、将来になされる神の善を信じて、今日を生き抜く力を持たせる「待ち望み」を意味します。たとえ前が見えずとも、現実はより厳しいものであろうとも、神の善を信じ抜く力です。バルバロ訳では「慕う」と訳しています。「慕って絶え入るばかり」(119:81)という表現もあるように、熱心に待っているので、疲れ果ててしまうこともあるようです。

(2) サーヴァルשָׂבַר(savar)

  • もう一つの「待つ」を表わす動詞は1回しか出てきません。119:166の「私はあなたの救いを待ち望んでいます。」がそうです。ここの「待ち望む」はサーヴァルが使われています。旧約全体でもわすが8回で、詩篇では3回(104:27/119:166/145:15)です。このサーヴァルשָׂבַרには、「詳しく見る、詳細に調べる」という意味もあります。この意味と「待ち望む」とはどう結びつくのでしょうか。
  • ネヘミヤが荒れ果てたままになっているエルサレムの城壁の再建のために、エルサレムに行った時、すぐ行動を起こしませんでした。ネヘミヤは崩れた城壁をじっくり調べ、再建のための周到なプランを立てました。つまり、どこからどういうふうにはじめていくか、どういう方法で、といったプランです。だれにも相談することなく、だれにも言うこともなく、彼はひとりで準備に取り掛かりました。それから彼は人々に呼びかけ、訴え、動機づけしてから、共に立ち上がりました。と同時に、それを阻もうとする敵も一緒に立ち上がりました。しかし、敵は、周到な準備をしてスタートさせたネヘミヤの計画を阻止することはできませんでした。この隠された「待ち構え」こそ、崩れた城壁の再建を成功させました。
  • このように、サーヴァルשָׂבַרはあることをなす前の周到な準備をもって待っている意味合いと考えることができると思います。花婿を迎える10人の娘たちのたとえ話をイエスは話されました。娘たちはみなともしびを持ちながら花婿が来るのを待っていました。その花婿は突然夜にやって来ました。そのとき、ともしびの油を準備して待っていたのは10人のうちの5人しかいませんでした。あとの5人はともしびを持ってはいましたが、肝心の油を用意していなかったのです。
  • 神の大切な時、神の働きの開始の時にすでにどれだけ準備して待っていたかが問われます。ただ口をあけて、まだかまだかと待っているのではなく、その時が来た時にどうするかを考えながら備えて待っている。これがサーヴァルשָׂבַרと言えます。
  • 詩篇119篇の作者は、1回限りですが、この動詞を使って、救いを待ち望んでいたのです。やがてバビロンから解放されたとき、神の民の再建事業がはじまりますが、すでにその準備はなされていたのです。モーセの五書を中心としたトーラーライフスタイルはすでに準備されていたのです。またシナゴーグでの聖書の朗読と説き明かしを中心とした新しい礼拝も準備されていたのです。神殿礼拝とは異なるこのシナゴーグ礼拝は今日の教会においても大きな影響を与えているのです。
  • 私たちも神の新しい計画に備えて、周到な準備をしながら待つことのできるあの5人の娘のように、賢くありたいものです。


powered by Quick Homepage Maker 5.2
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional