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ソロモンの神殿

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28. ソロモンの神殿

【聖書箇所】Ⅱ歴代誌 3章1節~4章14節

ベレーシート

  • 3章と4章には、神の家(神殿)の本堂の「至聖所」、および庭に据えた「青銅の祭壇」「洗盤」「聖所の中の机、燭台」「付属物」「扉」などが記述されています。モーセの幕屋の構造とほぼ同じですが、規格がかわっています。また「二本の柱」についてはこれまでの幕屋にはなかったものです。

1. 神殿が建てられた場所

【新改訳改訂第3版】Ⅱ歴代誌 3章1節
こうして、ソロモンは、【主】がその父ダビデにご自身を現された所、すなわちエルサレムのモリヤ山上で【主】の家の建設に取りかかった。彼はそのため、エブス人オルナンの打ち場にある、ダビデの指定した所に、場所を定めた。

  • 3章1節には、偉大な神の神殿(主の家)の建てられる場所が「モリヤ山上」であることが言及されています。「モリヤ」という地名は創世記22章とここⅡ歴代誌3章1節にしか出てきません。歴代誌の記者はエルサレムのモリヤには神のご計画において密接な関係があることを示唆していると考えられます。
  • 「モリヤの地」(「エレツ・ハッモーリヤー」אֶרֶץ הַמֹּרִיָה)の「モリヤ」の「ヤ」は「主」を意味する「ヤー」(יָה)で、「モリ」は「指し示す」という意味の「ヤーラー」(יָרָה)の分詞です。したがって「モリヤの地」とは「主が指し示しておられる地」という意味で「エルサレム」のことなのです。その地は、神も人もともに見るべき地なのです。なぜなら、そこに神のご計画が完成されるからです。
  • いずれにしても、創世記22章でのイサクの奉献はやがて神の御子イェシュアの十字架の死の型であるとすれば、いずれの語源であったとしても、つじつまが合います。「山の上にある町(=エルサレム)はいつの時代においても隠れることができないのです(マタイ5:14)。「モリヤの山」は、ダビデが「主のための祭壇」を築いた「アナウテの打ち場」です。それらは「エルサレム」と同義です。しかもそこは神のご計画において神が住まわれる重要な場所なのです。そこにソロモンが偉大な神殿を建てるのですが、3章では神殿の概観とその神殿の本堂の前に建てられる二つの柱について言及しています。

2. 神殿(本堂)の規模と概観

  • ソロモンが実際に建築に取り掛かったのは、「その治世の第四年、第二の月の二日」とあります。実際には三年強の準備期間が必要だったのです(旧約の治世の期間の数え方には今日の数え方とは異なります)。これはイェシュアの公生涯が三年半であったことの「型」かもしれません。なぜなら、すべて神の家の建設にかかわるところには、用意周到な準備があるからです。
  • ソロモンの神殿はモーセの幕屋の規模に比べるなら、約2倍の規模です。モーセの幕屋における聖所の長さは30キュビト、幅10キュビト、高さ10キュビトです。ソロモンの神殿の長さは60キュビト、幅20キュビト、高さが30キュビト(Ⅰ列王記6:2によれば)。しかしⅡ歴代誌3章では120キュビトとの記述があります。あまりにも異様な高さです。そのため、この高さは神殿前の部分だけがその高さであったのではという解釈がありますが、全体の規模からしても、異様な高さと言えます。高さ30キュビトのレプリカがあるようです。以下を参照。

    画像の説明

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  • ちなみに、ソロモンは「二つの柱」を作りますが、その高さは30キュビトに柱頭の5キュビト足した35キュビトです(Ⅱ歴代誌3:15)。
  • 幕屋の10キュビト、神殿の30キュビトと高さについての記述があります。特にソロモン神殿については高さについてのこだわりが感じられます。しかし、メシア王国に建てられるとされる神殿の本堂には高さについての言及はありません(エゼキエル書40~41章)。バビロン捕囚の時に取り壊された時には、立柱の高さは18キュビト、そしてその上に5キュビトの柱頭があったと記されています(エレミヤ52:21~22)。

3. 「二つの柱」に名づけられた名前の意味

  • ソロモンは「二つの柱」を作り、「右」(南)側には「ヤキン」という名を、「左」(北側)には「ボアズ」という名をつけました。「ヤキン」(「ヤーヒーン」יָכִין)とは「主が堅く建てる」という意味であり、「ボアズ」(「ボーアズ」בֹּעַז)は「力を持って」という意味です。二つを合わせると、「主がご自身の家を力をもって建てる」という意味になります。つまり二本の柱は、ソロモン自身によってではなく、家を堅く建てられるのは主ご自身であるという信仰を表明したものなのです。
  • この告白は重要です。詩篇127篇1節にこうあります。
    「主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きむなしい。」と。
    主の家(「バイト」בַּיִת)は神の御子(「ベーン」בֵּן、あるいは「バル」בַּר)によって、建てられる(「バーナー」בָּנָה)のです。すべて「ベート」(ב)の文字で始まる語彙であることに注意。

4. 神殿の聖所の内部はすべて金であることが意味すること

  • 4章には神殿の聖所の内部がすべて金で造られていることが記されています。「金」(「ザーハーヴ」זָהָב)は旧約で389回使われていますが、最も使用頻度が高いのは出エジプト記で105回。次は歴代誌で、第一は24回、第二は49回、合われると73回です。Ⅱ歴代誌4章には8回(7, 8, 19, 20, 21, 21, 22, 22)です。すべて聖所の中にある燭台、香壇、机、本堂に通じる扉、そして使われる器具の一切が金で造られています。
  • 「金」は。神聖さの象徴であり、奥義の象徴でもあります。聖所の内部の金を見ることの出来たのは、そこで務める祭司たちだけです。このことが意味するのは、神の神聖さ、奥義を知ることができるのは限られた者たちだけであるということです。
  • マタイの福音書13章には群衆に語られた「天の御国についてのたとえ話」がまとまっています。その最初のたとえ話は「種蒔きのたとえ」でした。その話を聞いた弟子たちが近寄って来てイェシュアに尋ねました。「なぜ、彼らにたとえでお話になったのですか。」と。するとイェシュアは「あなたがたには、天の御国の奥義を知ることが許されているが、彼らには許されていません。」(13:11)と言われました。13章の御国のたとえ話の最後で弟子たちにこう言われました。「天の御国の弟子となった学者はみな、自分の倉から新しい物でも古い物でも取り出す一家の主人のようなものです。」(13:52)。イェシュアの弟子となることは、天の御国の奥義を開く学者となることです。
  • イェシュアが「聖なるものを犬に与えてはいけません。」(マタイ7:6)と言われたように、また、「子と、子が父を知らせようと心に定めた人のほかには、だれも父を知る者がありません。」(ヨハネ13:13~16)とあるように、聖所の奥義は神に許された者でなければ開かれることがないのです。その意味で、イェシュアの弟子となった者の責任は大きいと言わなければなりません。

2017.4.12


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