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ダビデの神殿の場所が決定した根拠となった出来事

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21. 神殿再建事業の根拠となった出来事

【聖書箇所】Ⅰ歴代誌 21章1~30節

ベレーシート

  • ここでの出来事は、並行記事となっているⅡサムエル記24章にも記されていますが、冒頭のことばとそれが書き記されていた意図とは、若干異なっています。
  • 冒頭のことばで、Ⅱサムエル記では「さて。再び主の怒りがイスラエルに向かって燃え上がった。主は、「さあ、イスラエルとユダの人口を数えよ。」と言って、ダビデを動かして彼らに向かわせた。」とあるのに対して、Ⅰ歴代誌の21章では、「ここに、サタンがイスラエルに逆らって立ち、ダビデを誘い出して、イスラエルの人口を数えさせた。」(Ⅰ歴代誌21:1)となっています。
  • 歴代誌が書かれたのは、バビロン捕囚後の神殿再建に取り掛かった後です。自分たちの失敗を踏み直すために、歴史を再検証しながら、神殿再建によるイスラエルのアイデンティティを確立するためであったろうと思われます。なぜ、神殿を再建するのか、そもそもバビロンによって神殿が崩壊するに至った問題はなにか。そして、なぜ、エルサレムにそれを建てなければならなのかといった根拠が必要であっただろうと思われます。

1.  ダビデがサタンに誘い込まれた理由

  • 1節を注意深く見てみると、

    【新改訳改訂第3版】
    ここに、サタンがイスラエルに逆らって立ち、ダビデを誘い込んで、イスラエルの人口を数えさせた。

とあります。主語は「サタン」です。Ⅱサムエルの場合の主語は「主」でした。最終的にはすべて主の許しなしには起こらないとすれば、サタンが何か企んだとしても、それは主の許容範囲の中で起こったと考えることができます。それゆえⅡサムエル記の場合は、主語が「主」としていると言えます。しかしⅠ歴代誌では、直接的には、サタンが「イスラエルに逆らって」立ったことが重要であり、そのためにサタンはダビデを誘い込む必要があったのだと言えます。ダビデ個人の問題ではなく、あまでも神の民イスラエルという存在に対して、サタンが逆らって立ったことが重要だという点です。

  • ダビデはサタンに誘惑されて、イスラエルの人口を数えさせます。このことに軍団長のヨアブはその意図を正しく理解して、「なぜ、わが君はこんなことを要求なさるのですか。なぜ、イスラエルに対し罪過ある者となられるのでしょうか。」と尋ねています。このヨアブの質問は罪であることをなぜするのかという問いかけです。それに対して、ダビデは彼を説き伏せて人口を数えさせています。
  • このダビデの命令が神のみこころをそこない、神はイスラエルを打たれたのです。人口を数えることがなぜ罪なのか。それは神が王であり、ダビデはその代理者でしかないというイスラエル独自の神の王国の理念が、崩されかねない罪であったからだと考えられます。人口を数えることで、国は徴兵制(これまでは徴募制)を取り、また国民に税金を課すことが可能となります。ダビデの一番弱い所はサタンも承知です。一国の王としての使命を果たすためには、人材と財をいつでも自由に動かせるという誘惑に駆られるのだと思います。神に一切を信頼していれば問題ないのですが、ひとたび国が危機に陥った時、そうした目に見えるものに頼ろうとするのは、この世の支配者の常です。王が神のみこころから離れれば、イスラエルの民の存続は危うくなります。サタンの本来の目的は、聖なる神の民をこの世から消し去ることで、このことは昔も今も変わっていません。

2. ダビデの認罪と主のための祭壇を築くことへの導き

  • 王であるダビデが犯した罪のさばきは、イスラエルの民に及び、その結果として七万の者が疫病で死ぬことになりました。ところが、そのさばきの途中で主はわざわいを下されることを思い直されました。
画像の説明
  • 主の使いは、先見者ガドを通して、ダビデに「エブス人オルナンの打ち場に、主のための祭壇を築かなければならない」と命じたのです。ダビデはその主の使いのことばに従って、エブス人オルナンの打ち場を十分な金額を払って買い、そこに主のための祭壇を築いたのでした。
  • ここに登場している「主の使い」は、「地と天の間に立って、抜き身の剣を手に持ち、それをエルサレム(=エブス)の上に差し伸べて」います。それを見たダビデと長老たちは「ひれ伏した」とありますから、かつてヨシュアの前に抜き身の剣をもって立ったひとりの人(ヨシュア記5:13~15)と同一の存在であるとすれば、それは受肉前のイェシュアと言えます。ヨシュアはその人に対して」、「伏し拝んで・・わが主」と言っています。
  • 歴代の王たちの罪によって、イスラエルの民は苦しみ、そしてバビロン捕囚という憂き目を経験しましたが、主のあわれみによって再びイスラエルに帰還し神殿を再建します。その歴史的必然性の根拠を、この章で記しているとも考えられます。いずれにしても、謎の多い(多くの秘密が隠された)章だと言えます。


「エブス人オルナンの打ち場」について

●「エブス人オルナン」とはどういう人物なのでしょうか。名尾耕作の「ヘブル語辞典」によれば、「エルサレムのエブス人最後の王」と説明されています。その「オルナンの打ち場」はエルサレムのモリヤ山にありました。

●「オルナン」はヘブル語で「オルナーン」(אָרְנָן)と表記されます。この名前の語源は「喜びの声を上げる」という意味の「ラーナン」(רָנַן)から来ています。これは預言的な名前です。なぜなら、エブス(エルサレム)人の「オルナン」の打ち場がはやがてメシア王国においては、神の民たちが大声を上げて喜び叫ぶところとなるからです。

●また「打ち場」というヘブル語は「ゴーレン」(גֹּרֶן)ですが、穀物を打穀して実を収穫するところを意味します。ちなみに、「酒ぶね」(「イェケブ」יֶקֶב)は岩を少し掘り、そこに収穫したぶどうを入れて足で踏んでぶどう液を取り出すものです。「打ち場」と「酒ぶね」はいずれも、神のさばきと救い審判と回復を象徴するヘブル的慣用語です。申命記16章13節には以下のように記されています。

【新改訳改訂第3版】申命記16章13節
あなたの打ち場とあなたの酒ぶねから、取り入れが済んだとき、七日間、仮庵の祭りをしなければならない。

「仮庵の祭り」はキリストの再臨を啓示する重要な主の例祭ですが、その祭りの季節は秋であり、収穫の季節です。その収穫の前に、穀物は打たれ、ぶどうは踏まれなければなりません。それは神のさばきを通らなければならないことを意味しているのです。

2014.1.24


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