ダビデの賛歌
ヘブル語のキーワードの目次
2. 「ミズモール」 מִזְמוֹר
はじめに
- 以下のリストは「ミズモール」という言葉が使われている箇所です。圧倒的に「ダビデの賛歌」(ミズモール・レダヴィド)という形で使われていることが分かります。
1. 「ミズモール」とは
- 「ミズモール」とは「楽器を伴う神への賛美」を意味します。詩篇にのみ使われている語彙で、しかもすべて表題の中にあります。新改訳では「賛歌」と訳されています。LXX訳では「プサルモス」ψαλμὸς、英語では「サーム」Psalmと訳されます。
- この名詞の元になっている動詞は「ザーマル」זָמַרです。「ほめ歌う、ほめ歌を歌います」と訳されています。英語では、I will sing praises to / singing praises と訳しています。「ザーマル」זָמַרは、旧約では45回、詩篇では42回ですから、ほとんど詩篇特愛の動詞だということが分かります。特に、このことばは、様々な楽器をもって主に歌い、賛美するという意味です。
2. 「ミズモール」とダビデの関係
- 詩篇の表題の中でも最も多いのが「ダビデの賛歌」(ミズモール レ・ダヴィド)です。これはダビデと楽器を伴う神への賛美が密接な関係にあることを意味しています。礼拝において音楽を導入したのはダビデが最初でした。ダビデが王となってから最初にしたことは、神の契約の箱をギルヤテ・エアリムからエルサレムに運び移すことでした。そのときダビデはレビ人たちを集めて、彼らに楽器をもって神への賛美を歌うように命じました。歴代誌第一の15章にはそのことが記されています。
15:16
「ここに、ダビデはレビ人のつかさたちに、彼らの同族の者たちを十弦の琴、立琴、シンバルなどの楽器を使う歌うたいとして立て、喜びの声を上げて歌わせるよう命じた。」
15:25
「こうして、ダビデとイスラエルの長老たち、千人隊の長たちは行って、喜びをもって主の契約の箱をオベデ・エドムの家から運び上ろうとした。」
15:28
「全イスラエルは、歓声をあげ、角笛、ラッパ、シンバルを鳴らし、十弦の琴と立琴とを響かせて、主の契約の箱を運び上った。」
15:29
「こうして、主の契約の箱はダビデの町にはいった。サウルの娘ミカルは、窓から見おろし、ダビデ王がとびはねて喜び踊っているのを見て、心の中で彼をさげすんだ。」
- 歴代誌15章17~28節には、当時の賛美の様子をうかがわせる記述があります。
①17節
当時の賛美リーダーのリストが載っています。ヘマン、アサフ、エタンの三人。アサフ、ヘマン、エタン(エドトン)の三人です。彼らはそれぞれレビ族の中の代表となっています。
a. アサフ・・・ゲルション族出身(ダビデの幕屋、後のソロモン神殿の賛美リーダー)
b. ヘマン・・・ケハテ族出身(ギブオンにあったモーセの幕屋の賛美リーダー)
c. エタン・・・メラリ族出身(ギブオンにあったモーセの幕屋の賛美リーダー)②18節
「第二の部類」に属する人々のリストが載っています。
③19節
三人の賛美リーダーが歌うだけでなく、青銅のシンバルを持って歌ったことが記されています。
④20節
十弦の琴を奏でる者たちのリストが記されています。これらの楽器は「アラモテ」と合わせられました。「アラモテ」とはソプラノのような音域を出す楽器、あるいは声を意味します。
⑤21節
「八弦の琴」を奏でる人々のリストが載っています。この楽器は「アラモテ」と比べて逆にオクターヴ低い音域の楽器です。
⑥24節
ラッパを吹き鳴らす祭司たちのリストが載っています。ラッパは祭司のみ吹くことができました。
⑦Ⅰ 歴代誌25章7節
「主にささげる歌の訓練を受けた・・彼らはみな達人だった。」とあります。ダビデは賛美を担う者たちに、熟練した力(霊的な能力、奏楽の技能)を要求したのです。
- このように、イスラエルの歴史の中で音楽を伴う神への賛美を全盛期に至らしめたのはダビデでした。音楽はそれまで戦いのために、あるいは戦勝の祝い(勝利の凱旋)のために用いられていましたが、ダビデは神を礼拝するために初めて音楽(歌、および様々な楽器)を用いたのです。これは礼拝の歴史において革命的なことだったのです。
- ダビデ自身も主を賛美するための楽器を自ら奏でることができました。ダビデは神殿において昼も夜も24時間の賛美をささげるヴィションをもっていました。そしてやがて祭司たち、および四千のレビ人たちが「ダビデが賛美するために作った楽器を手にして、主を賛美する者」として登用されました(但し、実際にそれをしたのはソロモン王でした)。
- 詩篇150篇を見ると、角笛、十弦の琴、立琴、緒琴、笛、青銅のシンバル、ラッパなどの楽器で神をほめたたえるべきことを命じられています。これは現代の楽器でいえば、弦楽器、木管楽器、打楽器です。
3. ダビデがしたように
- キリスト教会の歴史を見ると、初代教会時代もカトリック時代も礼拝において楽器は用いられず、長い間、声楽が中心でした。プロテスタント教会はオルガンのみを神を賛美する楽器として認め、その他の楽器はサタンに属するものとみなしてきました。しかし現代における教会は、ダビデが目指した礼拝のように、特に、詩篇に目を留めるようになり、あらゆる楽器を用いて主を賛美するようになってきています。
- 「ダビデがしたように」、現代の教会はもっと多くの有能な賛美を担う器たちが起こされるように祈らなければなりません。「ダビデがしたように」、神をほめ歌う音楽をサタンの手から「奪還」しなければならないのです。
2012.5.24
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