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ダレト(v.25~32)の瞑想(2)

ダーレット(v.25~32)の瞑想(2)

テキスト 」| 瞑想(1)

状況
①25節「私のたましいは、ちりに伏しています。」
②27節「私のたましいは悲しみのために涙を流しています。」

●ここで、はじめてこの詩119篇の作者が置かれた状況を知る表現が出てきます。25節、27節は同義とみなすことができます。

●25節の「伏しています」ということばと、31節の「堅く守る」ということばは原語が同じです。その原語はダーヴァク(דָּבַק)、本来は「すがりつく」という絶対依存を意味する動詞です。御子イエスは御父にすがりついていました。ルツも姑のナオミにすがりついて自分の故郷であるモアブを捨て、イスラエルにやって来ました。そしてはからずもボアズと出会い、ダビデ、イエス・キリストの系図につながる女性となりました。すがりつく相手をひとつ間違えば、失望と悲しみがもたらされることになります。

●26節の「私は私の道を申し上げました。するとあなたは答えてくださいました。」と、27節の「私のたましいは悲しみのために涙を流しています。」は、イエスのゲッセマネでの祈りと重なります。「『父よ。みころろならば、この杯をわたしから取りのけてください。』・・・イエスは苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が地のしずくのように血に落ちた。」(ルカ22:42~44)。「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。」(マルコ14:34)。「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。・・わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかしわたしの願うようではなく、あなたのみこころのようにしてください。」(マタイ26:38)。ー御父の答えは沈黙と言う形で答えられました。御子イエスはみこころを成し遂げる力を与えられたのです。

嘆願
①25節「生かしてください。」
②26節「教えてください。」
③27節「悟らせてください。」
④27節「思いを潜めることができるようにしてください。」
⑤28節「堅くささえてください。」
⑥29節「(偽りの道を)取り除いてください。」
⑦29節「あわれんでください。」

●これらの嘆願はそのまま恩寵用語になります。私を生かし、私を教え、私に悟りを与え。私を堅くささえてくださる方・・という神の恩寵があってはじめて神に嘆願できるのです。

●また、嘆願だけで終始しているのではなく、26節には「あなたは、私に答えてくださった。」とあります。この経験があるために、作者は嘆願する力を与えられています。

主体的求道性
①30節「真実の道を選び取ります。」
②30節「~を私の前に置きました。」
③31節「堅く守ります。」(=「すがります」)
④32節「走ります。」・・その根拠は、「あなたが、私の心を広くしてくださるから」、つまり、「自由にしてくださるから」だとしています。

特記すべき点
●第二、第三、第四、第六、そして第十段落に登場する動詞があります。それは「思いを潜める」の「スィーアッハ」(שִׂיחַ)です(119:15, 23, 27, 48, 78)。この動詞は「静かに熟考する、静まる、呻く」という意味。ちりに伏し、悲しみのために涙を流しているような状況の中で、思いを潜めながらじっと静まっていることが分かります。

●作者は、国を失い、神殿を失い、そして王を失いました。そして今、バビロンの捕囚の地で、強制労働を強いられながらも、神から与えられたトーラーに思いを潜め、そこにある「神の奇しいわざ」(驚くべき神の愛)について、静かにじっくりと瞑想する機会が与えられたのです。その瞑想は自分たちのアイデンティティを取り戻すための必須な取り組みでした。このことなしには彼らは生きることができなかったと言えます。自分たちの存在の基盤はなにか、何を優先的に選び取り、だれにすがりつき、だれに向かって走るのか、これは自分だけでなく、自分たちの子孫に対する大きな責任と課題でした。こうした信仰の構え方は現代に生きるキリスト者たちにとっても大きな励ましを与えます。




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