ダーヴァール
No.18「 ダーヴァール」(דָּבָר)
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「初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。
ことばは神であった」(ヨハネ1:1)
●ヘブル語の「ダーヴァール」は神の「ことば」を意味すると同時に、神の御子を意味します。「初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった」(ヨハネ1:1)とあるとおりです。ことばである御子は御父の懐(ふところ)におられた方であり、御父と向き合っておられた方であり、御父と一つである方です。ですから、御子はことばとして御父を表現する唯一の方と言えます。「ことば」である「ダーヴァール」の語源は、「神が語る、告げる」を意味する動詞「ダーヴァル」で、旧約で1145回使われています。同義語の「アーマル」は5093回で、旧約の中で最も多く使われている動詞です。このことから、聖書の神は「語られる神」だということが分かります。
●イスラエルの民が430年間過ごしたエジプトから解放され紅海徒渉をした後、神は彼らを荒野に導かれました。「荒野」は「ミドゥバール」と言います。これは「ダーヴァール」に接頭語の「ミ」が付いた語彙です。「ミ」が付くと「~の場所」という意味になります。つまり「ミドゥバール」で「神が語られる場所」となるのです。これが「荒野」の真の意味であり、神はイスラエルの民に語るために彼らを荒野に導かれたのです。しかしながら、彼らは神の語ることばを信じることができず、40年間荒野をさまようことになります。第二世代の者が約束の地カナンに入ることになりますが、そのときモーセは荒野経験の意義についてこう語りました。「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の御口から出るすべてのことばで生きるということを、あなたに分からせるためであった。」(申命記8:3)。
●イェシュアはまさに「神の口から出る一つ一つのことばで生きた」方(=リビング・トーラー)であり、神の口から出ることばを語って人を生かすことのできる方です。「最後のアダム」である御子イェシュアは、33年半の生涯を通して「最初のアダム」を終わらせ、三日目に死からよみがえり、「いのちを与える御霊(霊)」となって私たち人の霊を再生し、その霊の中に内住してくださいました。このことによって「キリストにある新創造」がなされたのです。イェシュアによる一連の贖いはすでに神の側では包括的になされているのですが、いまだその現われは完全ではありません。やがて、私たちのたましいとからだが御霊によって変えられ、メシア王国において初めて「主の御口から出るすべてのことばで生きる」ということが成就するのです。ですから、からだが贖われるキリストの空中再臨のとき(Ⅰテサ4:17, Ⅰコリ15:52)、すなわち携挙のときを私たちは切に待ち望まなくてはならないのです。
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