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ツォファルのヨブに対する反論(2)

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15. ツォファルのヨブに対する反論(2)

【聖書箇所】20章1節~29節

ベレーシート

  • 19章の最後にヨブは三人の友人たちを責めることばを言ったことで、ツォファルはかなり激怒したようです。尾山訳は「こうなった以上、私は黙ってはおれぬ。私を非難することばを聞いて、悟りの霊が私を答えさせる。」と言って語り出します。ツォファルの思いが伝わるようなとてもおもしろい訳です。しかし、その内容はヨブにとってはとてもきつい辛辣なことでした。

1. 一般論で語りながら、ヨブを辛辣に攻撃するツォファル

  • 20章5節のことばはこうです。「悪者の喜びは短く、神を敬わない者の楽しみはつかのまだ。」と。しかも、このことは地上に人間が創造され以来の変わることのない真理だとしています。そして6節以降から、「彼」(三人称単数男性)のいうことばを連発します。6~29節までにヘブル語の動詞や名詞の人称代名詞、名詞の人称接尾辞を含めて、少なくとも50回以上、「彼は」「彼の」「彼に」「彼を」という表現を使いながら、5節の真理の剣でヨブを追い詰めています。
  • 6節以降で語っていることは、5節の真理をいろいろな表現で言い換えたものです。29節では、「これが悪者の、神からの分け前、神によって定められた彼の相続財産である」と結論づけています。
  • ちなみに、5節の「悪者」と訳されたヘブル語は形容詞の「ラ―シャー」(רָשָׁע)の複数形「レシャーイーム」(רְשָעִים)で珍しい語彙ではありませんが、パラレリズムとして使われている「神を敬わない者」と訳されている同じく形容詞の「ハーネーフ」(חָנֵף)はヨブ記の特愛用語です。13回のうち11回がヨブ記で使われています。神を「汚す」「背教させる」というのが本来的な意味のようです。
  • 知恵文学における「知恵」は、ユダヤ人たちの長い苦難の生活とそこからの神の回復のみわざを通して学んだ生きる上での知恵です。詩篇1篇に代表されるように、幸いな人の歩みも、悪者の歩みの結末も絵に書いたように明白です。それ自体は真理であったとしても、その真理を用いる用い方が問われます。使徒パウロも「]むしろ、愛をもって真理を語り」(エペソ4:15)と記しているのはそのためです。
  • ツォファルは真理の一般論を語りながら、身近にいる人に対して個人攻撃する手口はよくみられますが、苦難の中にある者、痛みの中にある者に対するこうした手口は、慰めを与えると゜ころか、傷口に塩を塗ることに等しいと言えます。

2. 教訓ー苦難の中にある者に対して、語ってはならないこと

  • 苦しみの中にある者に対して、何を語るべきは難しいことです。しかしなにを語ってはならないか、それはヨブ記の友人たちの言葉から学ぶことができます。
  • そもそも三人の友人たちがヨブを尋ねてきたのは、ヨブを慰めたいという思いからでした。彼らは心の底からそう思ってやってきたのです。ところが、ヨブの現実の姿を目の当たりにして、彼らは言うべき言葉を失いました。そして一週間の間、「だれも一言も彼に話しかけなかった」(2:13)のです。ところが、ヨブが口を開いて自分が生きていることを嘆きました。その嘆きは友人たちの耳には、「なぜ神は私をこんな目に合わせるのか」という問い(質問)として聞こえたようです。三人の友人たちは、このヨブの問いに、ヨブの質問に答えてやれば、ヨブを慰めることができると考えました。それが彼らの間違いの元だったのです。
  • おそらく、ヨブの口から発したため息混じりのことばは、神学的な問いではなく、苦痛から来る悲痛の叫びでしかありませんでした。ですから、ヨブに必要だったのは、神学的な答えではなく、思いやりの心だったのです。
  • 友人たちは苦難についての神学(見解)を話すことに夢中になり、ヨブの苦しみは眼中にはないかのようでした。そして、彼らの共通した見解は、因果応報の思想でした。つまり、ヨブにふりかかった運命はヨブがしでかした罪としか考えられないとし、そのことを悟るようにヨブに迫ったのです。これが彼らの間違いです。私たちも犯しやすい間違いです。だれかが、「どうして自分はこんなに苦しまなければならないのでか」と問うた時に、「それは・・」と言ってしまいやすいのです。そのことに答えてあげることが、その人を助けることだと思い込んでしまうのです。
  • 「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。」(ローマ12:15)とあるように、ヨブの友人たちは、ヨブの怒りや嘆きをあるがままに受け入れることだったと言えます。責めることなく、痛みを分かち合い、それを受け入れることこそ、それがヨブを慰めることだということを知らなったのです。そこに彼らの間違いがあったのです。このことは私たちも十分に気をつけなければならないことです。相手の質問に対して、「それは・・」と安易に答えてしまうことは、むしろ相手を傷つけることになるということをヨブ記から学ばなければなりません。助言よりも、寄り添うことが重要なのです。


2014.6.17


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