ツロに対するさばきの預言
エゼキエル書の目次
26. ツロに対するさばきの預言
【聖書箇所】 26章1節~21節
ベレーシート
- 26章~28章の3章にわたって、ツロに対する神のさばきの預言が記されています。その冒頭である26章1節には「第十一年の十一の月の一日」とあります。エルサレムが陥落したのは「第十一年の第五の月の十日」ですから、陥落の半年後に語られた預言だということが分かります。
- ツロとはいったいどのような町なのか、また、歴史的にエルサレムとどのような関係にあった町なのか、またイザヤ書にもあるツロに対する預言との関連などをまとめておきたいと思います。これまでも、ツロはダビデとソロモンの時代に、ツロの王ヒラムと友好関係を結んでいました。ダビデの王宮、およびソロモン神殿と王宮の建設のための最高品質としてツロの杉(レバノン杉)が用いられました。
- ツロの聖書的地理的情報としては、ガリラヤ湖から北西56km、エルサレムから北160kmにある地中海沿岸の町です。カナン本土と1キロほど離れた沖合にある岩礁島の二つです。特に、岩礁島は自然の要塞として、難攻不落の砦としてそこに城があったようです(下図参照)。
- ツロは地中海沿岸の町であり、航海によって繁栄した町で、当時としては世界商業の一大中心地として知られていたようです。また、アッキ貝から取れる高級な紫色の染料は有名でした。
(Web「百科事典」である「ウィキペディア」によれば、ツロは「ティルス」という項目になっていますが、そこにある歴史的情報によれば以下のようにまとめられます。
B.C.701 エジプトと同盟してアッシリヤに反乱。アッシリヤの王セナケリブに5年間包囲され抵抗を続けるが、その後、従属する。 B.C.669 再び、エジプトと同盟しアッシリヤに反乱。 B.C.585 エルサレム陥落後、バビロンのネブカデネザルに包囲され、13年間に渡って抵抗した後、バビロンに従属する。 B.C.332 マケドニアのアレキサンダー大王に対してティルス島に立て籠って激しく抵抗するが、島までの約1kmを七か月かけて埋め立られて、陸続きになったことで総攻撃を受けた。1万人の者が殺害され、3万人もの市民が捕えられた。
1. ツロに対する神のさばき
- ツロはエルサレムの陥落について「あはは。国々の民の門はこわされ、私に明け渡された。私は豊かになり、エルサレムは廃墟となった」と言ってあざけったとあります。海路と陸路による通商ルートがありました。陸路の場合、エルサレムという税関を通して南の国々と交易をせざるを得ませんでしたが、バビロンによるエルサレムの陥落により、各国の財を直接得るようになったようです。ツロに貿易の取引が集中し、それによって経済的繁栄が増大すると考えたからです。そうした驕りに対して、主は「ツロよ。わたしはおまえに立ち向かう。・・多くの国々をおまえに向けて攻め上らせる。」(26:4)と語られました。ここに記されている「多くの国」というのが、「アッシリヤ、バヒロン、ペルシャ、マケドニア」の諸国を意味します。
- このように人間の築いた繁栄は必ずいつかは崩壊します。神の都以外に、永遠の都はないのです。
2. イザヤ書に23章にあるツロの再建の預言
- 瞑想を助ける補助的情報として、イザヤ書23章にもツロに対する神の預言を知っておくことは重要です。その章の17節にはツロの再建の預言が記されています。
【新改訳改訂第3版】イザヤ書23章17~18節
17 七十年がたつと、【主】はツロを顧みられるので、彼女は再び遊女の報酬を得、地のすべての王国と地上で淫行を行う。
18 その儲け、遊女の報酬は、【主】にささげられ、それはたくわえられず、積み立てられない。その儲けは、【主】の前に住む者たちが、飽きるほど食べ、上等の着物を着るためのものとなるからだ。
- ツロは再び、主によって顧みられて、貿易が盛んになることが預言されていますが、その儲けが主にささげられること、しかも主の前に住む者たちが、その祝福を受けるというのです。この預言はまだ成就していませんが、主のことばは必ず実現するのです。
3. イエスとツロ、シドンとのかかわり
- 新約聖書にはイエスがツロ、およびさらに北にあるシドンにも訪れていることを福音書は記しています。この旅の目的は「イスラエルの家の滅びた羊」のためでした(エゼキエル28:25~26と関連があるかもしれません)。しかし、イエスのもとに異邦人であるカナンの女がイエスのもとにやってきて、自分の娘にとりついた汚れた霊(悪霊)を追い出してほしいと嘆願しました。一度はイエスは断りますが、その女はイエスの前にひれ伏して、「主よ。私をお助けください」と食い下がります。「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです」と言われたイエスに、女はさらに食い下がります。「主よ。そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます。」と。そのことばを聞いたイエスは彼女に答えて言われました。「ああ、あなたの信仰はりっぱです。その願いどおりになるように。」と。すると、彼女の娘はその時から直りました。マタイの福音書15章21~31節を参照。
- この話で重要なことは、イエスが異邦人の女の信仰をほめていることです。イスラエルの家の失われた羊のところに遣わされたはずのイエスでしたが、執拗に求める異邦人(カナン人)の女の信仰を見、それを褒め、かつその女の娘がいやしの祝福を受けたのです。先の者があとになり、後の者が先になっています。ここに、私たちの思いを越えた神の不思議な秘密が隠されているように見えます。
- ちなみに、イエスとその弟子たちは、ツロとシドン(アシェル族に与えられた地)からデカポリス(ギルアデ)へと旅を続けていますが、それは「イスラエルの家の滅びた羊」を捜し出すためです。カナンの女の話はマタイとマルコの福音書にしか出てきません。しかしルカは19章でイエスの旅の目的を語っています。イエスはエリコの町に住む「取税人のザアカイ」の家に行って泊まりました。それは偶然ではなくイエスが予め意図したことでした。そして、悔い改めたザアカイにこう言っています。「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」(9~10節)。
- エリコの町はエルサレムの近くにあり、かつてはそこはベニヤミン族の領地(つまり、南ユダ王国に属していた町)でした。ザアカイに対してイエスは「この人もアブラハムの子なのですから」と語ったのは、イエスが全イスラエルを回復するために来られたという含みがあるからです。
2013.6.14
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