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ナザレから始まるアフェシス(解放・自由)の旅

12. ナザレから始まるアフェシス(解放・自由)の旅

【聖書箇所】 4章14~30節

はじめに・・ルカだけが記すナザレでの出来事

  • 御霊に「引き回されて」の40日間の荒野での試みとサタンの誘惑に勝利されたイエスは、4:14において「御霊の力を帯び」ていました。40日間の断食においてイエスの霊的な感覚は研ぎ澄まされていたと言えます。そのためにイエスの評判はガリラヤ一帯にくまなく広がったようです。その風貌や口から出る教えに人々は驚嘆し、彼をあがめるまでになっていました。
  • ルカは続く4章15~30節において、イエスが育ったナザレにおいて起こった公生涯の最初の出来事について記しています。この出来事はルカ独自のものです。ルカがこの出来事を記した意図は何か、そこに焦点を当ててみたいと思います。

1. イエスに対する相反する反応

  • 4章16~30節の箇所を読んで受ける素朴な感想は、前半と後半のナザレの人々のイエスに対する反応が全く逆になっいているということです。22節では「みなイエスをほめ、その口からでる恵みのことばに驚いた」とあるのに対して、28節では「これらのことを聞くと、会堂にいた人たちはみな、ひどく怒りイエスを町の外に追い出し、・・がけのふちまで連れて行き、そこから投げ落とそうとした」とあります。「ほめ驚いていた人々」が、みな「ひどく怒り、がけから投げ落とそうとする」ということは意外な展開です。イエスのなにが人々にそうまでさせたのでしょうか。
  • それに対する答えの手がかりは、イエスが二人の預言者のことを取り上げて語られたことにあります。最初の預言者のひとりであるエリヤの時には、大飢饉が起こったときにイスラエルには多くのやもめがいたにもかかわらず、彼は異邦人(シドンのサレプタ)のやもめのところに遣われてそこで養われたこと。次の預言者エリシャの時には、イスラエルにも多くのツァラアトがいたにもかかわらず、シリヤのナアマンだけがきよめられたこと。それを聞いたときナザレの人々は「ひどく怒った」のです。
  • これは、当時のユダヤ人たちが異邦人に対してどのように思っていたかを知ることなくしては、異邦人である私たちには理解しにくいことです。過去400年間にわたってユダヤ人は異邦の国(バビロン、ペルシャ、ギリシャ、ローマ)によって支配され、搾取されてきました。それゆえ異邦の国の支配から解放としてくれるメシアをずっと待望して来たのです。ですから、イエスからイスラエルの偉大な二人の預言者が異邦人の女によって守られたことや異邦人にいやしを与えた話を聞かされたことで、いたたまれなくなったということです。そして、イエスに対して町から追い出すだけでなく、がけから投げ落とそうとして敵意をむき出しにしたのです。

2. イエスの公生涯がコンデンスされたナザレでの出来事

  • 実は、ルカがこのナザレでの出来事を記したのにはそれなりの理由があります。その理由とは、このナザレでの出来事の中にこれから展開されるイエスの公生涯がコンデンス(集約、要約、濃縮)されているからです。イエスの語るメッセージも、またすべての行為(預言者として拒絶され、迫害され、殺される)も、ナザレで起こった出来事に集約されているのです。

(1) イエスの語ったメッセージ

  • イエスの語ったメッセージは、会堂で朗読されたイザヤの箇所に対して、「きょう、聖書のこのことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました。」というものでした。人々はイエスを賞賛し、イエスの口から出てくる恵みのことばに驚いたのでした。ナザレの村の小さな会堂でなされているいつもの礼拝で、聖書が朗読され、だれかがそれについて語るということがなされていました。そのことについてはきわめて日常的なことでしたが、40日間の荒野での試みを受け、しかも聖霊の力を帯びていたイエスの口から出ることばは、これまでとは異なる強い印象を人々は受けたようです。
  • イエスが安息日に会堂で朗読しようとして渡されたのは預言者イザヤの書いた巻物でした。イエスはその場ですかさず61章を開いて朗読され、「きょう、このみことばが、・・聞いたとおり実現しました」と言ったのです。引用されたその箇所は、イエスがこれからの公生涯において語るメッセージの要点でした。
  • 引用されたイザヤ書のみことばがイエスが公生涯をどのようにコンデンスしているかに注目します。

    ①イエスの使命とは
    貧しい人々に福音を伝えることでした。

    ②使命遂行のために注がれた油
    イエスは御父から任職のために、聖霊の油注ぎを受けました。

    ③イエスが告げ知らせる福音の内容
    a. 捕われ人には赦免
    b. 盲人には目の開かれること
    c. しいたげられている人々には自由
    d. a, b, cを要約する意味での「主の恵みの年」(つまり、ヨベルの年)

(2) ルカの特愛用語としての「アフェシス」

  • 4章18節には、ルカ文書(福音書と使徒の働き)におけるきわめて特徴的な語彙(名詞)があります。それはギリシア語の「アフェシス」άφεσιςです。新改訳と塚本訳は「赦免」「自由」と訳しています。他の聖書では「解放」と「自由」、「赦」と「自由」というように訳されています。
  • この「アフェシス」άφεσιςは、、
    (1)捕われた状態からの「解放」
    (2)負債義務の「免除」
    (3)罰や罪の「赦し」
    を意味します。
    ルカ福音書では5回(1:77/3:3/4:18, 18/24:47)、
    使徒の働きでも5回(2:38/5:31/10:43/13:38/26:18)です。使徒の働きでの最初の3回は使徒ペテロを通して、あとの2回は使徒パウロを通して使われています。いずれも「罪の赦し」と訳されます。しかもその「罪の赦し」は無条件的な赦しです。
  • ルカはイエスの使命の目的を「アフェシス」άφεσιςということばで要約しています。またこの名詞「アフェシス」が動詞になると「アフィエーミ」άφιημιとなりますが、ルカでひときわこの動詞が際立つている箇所は、イエスが十字架の上で最初に語られたことば、「父よ。彼らをお赦しくださいάφιημι。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」(23:34)の中にあります。
  • イエスの公生涯はナザレでの「アフェシス」の宣言からはじまり、エルサレムにおける十字架の上での「アフェシス」の祈りで頂点に達し、復活後の昇天直前に弟子たちに語られたことばー「イエスの名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。そのことの証人である」(24:47~48)ーを言い残して、この世での生涯を閉じられました。まさにイエスの公生涯の旅はすべての人々に罪の赦しを告げ知らせ、解放と自由を告げる「アフェシス」の旅であったと言えます。

最後に

  • 最後にもうひとつ、この聖書箇所から教えられることは、4章16節にある「いつものとおり」ということばの重みです。イエスは人とは異なり、御霊に引き回されての荒野での40日間という試みを受けられましたが、そのあとの働きはなんと「いつものとおり」の生活から始まったということです。「いつものとおり」、「いつものところ」からのスタートでした。特別な集会を開くこともなく、特別な場所に赴かれることもなく、「いつものとおり」に、「いつものところ」から、御霊の導きのままに、その働きが始まって行ったということです。
  • このところから、神の働きのスタートは私たちがいつもしているところから始まっていくべきことを示唆しています。それゆえに、私たちが今していることの中にこそ神の最善があることを信じていきたいと思います。

2011.6.23


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