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バーラー

No.14「バーラー」(בָּרָא)

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「はじめに神が天と地を創造された。」(創世記1:1)

●「バーラー」(בָּרָא)は「創造した」という意味で、神のみに使われる語彙です。さて、創世記1章1節が聖書全体のタイトルだと聞いたことがあるでしょうか。実はヘブル語原文で読み解くならば、そのように理解することができるのです。そこには、「誰が」「誰によって」「何を」「創造した」かについて記されています。

●第一の「誰が」は「神が」です。聖書の神が三一の神であることは、クリスチャンであるなら誰もが知っています。イェシュアが「聖書は、わたしについて証ししているものです」(ヨハネ5:39)と言われたとおり、聖書の冒頭からイェシュアを含む三一の神が啓示されているのです。その証拠に「バーラー」を構成する三つの文字を見ると、最初は「べート」(בּ )、次は「レーシュ」(ר)、そして最後は「アーレフ」(א)であり、これらは順に「御子・御霊・御父」を意味することばの頭文字です。まさに創造のわざは三一の神がなされることを示しています。

●第二の「誰によって」は「はじめに」の「はじめ(レーシート:רֵאשִׁית)」に隠されています。それは「復活の初穂であるイェシュア」を預言し、同時に「いのちを与える御霊となって、人の霊の中に入られるキリスト」を意味します。「はじめに」の「に」は「~によって」という前置詞で、つまりイェシュアによって創造されるのです。

●第三の「何を」は「天と地を」です。これは目に見える天と地ではなく、ヘブル的には「神と人がともに住む家」を意味します。神は人とともに住むことを最上の喜びとされるのです。ちなみに天と地をつなぐ接続詞の「と」(ヴェ:וְ)にも、神であり人となられたイェシュアが啓示されています。

●最後の「創造した」(バーラー:בָּרָא)は完了形です。ヘブル語では、まだ実現していなくてもやがて必ず実現することを完了形で表します。神であるイェシュアが人となられたのは、本来の人の霊を回復するためでした。復活の日の夕方、いのちを与える御霊となられたイェシュア(Ⅰコリ15:45)が息を吹きかけ、「聖霊を受けよ」(ヨハネ20:22)と言って人の霊の中に入られました。このことによって、三一の神と人がともに生きることを可能にしてくださったのです。以上のことが、創世記1章1節の意味であり、「キリストにある新しい創造」を啓示する奥義的な表題なのです。

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