****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

パウロに大きな影響を与えた人物ーステパノとの出会い


6. パウロに大きな影響を与えた人物ーステパノとの出会い

ベレーシート

●パウロが「天からの光」を受けるようになった背景に、ステパノの殉教があります。彼はパウロの生涯に決定的な影響を与えた人であると思います。その名が「ステパノ」であったことにも神の不思議な配剤があったと思います。

1. サウロとステパノの出会い

●ステパノは「聖なる所(神殿)と律法に逆らうことばを語るのをやめない」ということで無理やりユダヤの最高法院に連れて行かれ、訴えられます。神殿と律法はユダヤ教の最も重要な事柄としてしていました。それに逆らうことばをステパノが方続けていたのです。大祭司が「そのとおりなのか」と尋ねたことから語り出した弁明が使徒の働き7章に記されていますが、ステパノの結論は「 あなたがたの先祖たちが迫害しなかった預言者が、だれかいたでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを前もって告げた人たちを殺しましたが、今はあなたがたが、この正しい方を裏切る者、殺す者となりました。あなたがたは御使いたちを通して律法を受けたのに、それを守らなかったのです」(7:52~53)と言って、むしろ彼らに悔い改めを迫りました。それを聞いていた人々(大祭司と祭司長たちのサドカイ派、パリサイ派の長老と律法学者たち)は、はらわたが煮え返る思いで、ステパノに向かって歯ぎしりしていたとあります。そして死刑が確定し、最高法院から外に連れ出されて、石打ちの刑に処せられました。その場にサウロがいたのです。聖書には「サウロという青年」と記されています。彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは「主イエスよ、私の霊をお受けください。」と主を呼び、そしてひざまずいて大声で、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください。」と叫んで、彼は眠りについたのでした。

●ステパノの死は明らかにイェシュアの死に倣うものでした。ステパノはおそらくイェシュアの十字架上での最期をその目で目撃し、その耳でイェシュアの言うことばを聞いたと思われます。そして今、ステパノは主と同じように祈って、自分のいのちを主に委ね、敵のためにとりなし祈ったのです。そうしたステパノの光景を、青年サウロはまざまざと見ていたのです。これがサウロとステパノの最初で最後の出会いでした。おそらくイェシュアの事実(十字架の死と復活)から二、三年後のことでした。

2. ステパノという人物

(1) ヘレニストのステパノ

●イェシュアの昇天後、エルサレムに誕生した教会には、使徒たちを中心とするヘブル語を話すユダヤ人だけでなく、ギリシア語を話すユダヤ人(ヘレニスト=離散したユダヤ人「ディアスポラ」)、そして異教からの改宗者たちがいました。ステパノはギリシア語を話すユダヤ人の代表的人物でした。

【新改訳2017】使徒の働き6章8~10節
8 さて、ステパノは恵みと力に満ち、人々の間で大いなる不思議としるしを行っていた。
9 ところが、リベルテンと呼ばれる会堂に属する人々、クレネ人、アレクサンドリア人、またキリキアやアジアから来た人々が立ち上がって、ステパノと議論した。
10 しかし、彼が語るときの知恵と御霊に対抗することはできなかった。

●ステパノは「恵みと力に満ち、人々の間で大いなる不思議としるしを行っていた」人とあります。使徒でもないステパノがこのようなことが許されたということは異常なことであり、驚きです。それは神からの特別な権威が与えられていたことのしるしと言えます。それゆえ、彼と議論する者はだれ一人「彼が語るときの知恵と御霊に対抗することはできなかった」とあります。ステパノと議論した「キリキアやアジアから来た人々」の中に、おそらく「タルソ生まれ」の青年サウロがいたと思われます。最高法院の人々だけでなく、青年サウロもステパノを殺すことに賛成していたのです。

●ステパノに与えられていた特別な権威は、神がステパノを福音の真理を明確に語らせ、最初の殉教者となるべく定められていたと考えられます。

(2) 最初の殉教者となったステパノという名

●青年サウロの全生涯において、ステパノとの出会いは実に重大な意義があったと言えます。なぜなら、この事件を契機としてサウロの生涯は全く思いもよらない方向に展開していくからです。「その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外はみな、ユダヤとサマリアの諸地方に散らされた。」(使徒8:1)とあるように、サウロは彼らを追ってダマスコに行き、そこで主イェシュアと出会うことになるからです。

●「ステパノ」(Στέφανος=ステファノス)という名前はまさに殉教者にふさわしい名です。なぜなら、「ステパノ」は「冠、栄冠」(στέφανος)という意味だからです。競技者にとって栄冠は最高の栄誉です。パウロは最初の殉教者となったステパノのうちに、キリストにあるふさわしい「勝利の冠」を見ていたのではないかと思わせられます。以下の言葉がそのことを暗示させます。

【新改訳2017】Ⅰコリント書 9章25節
競技をする人は、あらゆることについて節制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。

●やがてパウロもローマにおいて殉教者となるのですが、その生涯の終わりにこう述べています。

【新改訳2017】Ⅱテモテへの手紙 4章8節
あとは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。その日には、正しいさばき主である主が、それを私に授けてくださいます。私だけでなく、主の現れを慕い求めている人には、だれにでも授けてくださるのです

●古代教父テルトゥリアーヌスのことばに「殉教者の血は教会の種子である」ということばがあるそうです。確かに、殉教者ステパノの血は教会の種となり、「御国の福音」の偉大な宣教者パウロを生み出しました。神はステパノの死を決して無駄にはされなかったのです。

2019.2.16


a:2796 t:3 y:2

powered by Quick Homepage Maker 5.2
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional