パウロを照らした「天からの光」
5. パウロを照らした「天からの光」、シャハイナ・グローリー
ベレーシート
●使徒の働き9章は、主の弟子たちに対する迫害に意欲を燃やしていた青年サウロが、突然照らした天からの光によって、180度転換するという奇蹟的な回心の出来事を記した偉大な章です。この「天からの光」とは何でしょうか。それは「神の光」「御顔の光」「主の光」「いのちの光」「啓示の光」「闇の中に輝く光」「人を照らすまことの光」「福音の光」「永遠の光」とも言い換えることができます。この光に照らされることによって、サウロは変えられたと言うことができます。そして神の永遠のご計画を余すところなく宣べ伝えることができたのです。「天からの光」に照らされた者でしか、人を照らす光となることはできません。とすれば、それを理解する私たちにも「天からの光」が不可欠なのです。
●パウロを照らした「天からの光」とはどのようなものだったのでしょうか。また、パウロの理解した「天からの光」の概念とはどのようなものだったのでしょうか。
1. パウロを照らした「天からの光」
●使徒の働きに記されているパウロの回心の記事は三箇所(9:1~19、 22:3~21、26:9~18)です。それぞれ微妙に異なっています。聖書には「三」という数が驚くほど多く使われています。「三度」「三日目」「三日間」など、また今回のように「三」という数が直接記されていなくても、「あかし」の記事が三回も記されているのは、「神による完全な取り扱いの確証」を意味しています。パウロは自分に対する神の恵みのあかしとして、いつでも、どこでも、自分に起こったあかしをしたはずです。パウロは他の使徒たちと異なり、歴史上のイェシュアと共に過ごした事はありません。しかし、この「天からの光」の経験こそが、人々に自分の使徒性を主張できたのです(ガラテヤ 1:1)。
●サウロ(=「シャーウール」שָׁאוּלは「神を熱心に尋ね求める者」の意)、つまり、後の使徒パウロ(=「パ ウロス」(Παῦλος) はラテン語で「小さい」の意)は、ダマスコへの途上で突然「天からの光」に照らされました。彼は地に倒れ、「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか」という声を聞いたのでした。「主よ。 あなたはどなたですか」と尋ねると、「わたしは、むあなたが迫害しているナザレのイエスである。」(使徒22:8)と。サウロが「主よ、私はどうしたらよいでしょうか」と尋ねると、「起き上がって、ダマスコに行きなさい。あなたが行うように定められているすべてのことが、そこであなたに告げられる」という主の声を聞いたのです(22:10)。
●彼は「天からの光」によって目が見えなくなりました。三日の間、暗闇の中で、また一切の飲食も絶って、彼は自分に起こった出来事を考え巡らしていたことと思います。そして三日目に、主から遣わされたアナニヤという主のしもべが訪ねてきて、サウロの頭に手をおいて祈ったその時、彼の目からうろこのようなものが落ちて、目が見えるようになったのでした。
●「目が見えるようになった」というのは、単に肉体的な視力が回復したことだけを意味しません。彼が迫害してきたイェシュアこそ、キリスト(メシア)であるということを論証できるほどに、彼の霊の目が開かれたことを意味します。言い換えるなら、キリストにある神のご計画(みこころ、御旨、目的)のすべてが、彼のうちにおいて整理し直されたことを意味します。たとえ三日間でも、それは私たちの何十年分に相当する経験であったかもしれません。驚くべきことは、その三日間の経験がダマスコに住むユダヤ人たちをうろたえさせるほどであったということです。何が彼をそのように変えたのでしょうか。それは「天からの光」です。この「天からの光」が、神によってすでに定められている永遠のご計画を、彼のうちに理解させ、悟らせる「啓示の光」であったのです。
●サウロを照らした「天からの光」は「シャハイナ・グローリー」という特別な光で、文字通り、「太陽よりも明るく輝く光」として見たサウロと、彼に同行していた者たちはみな地に倒れました。しかし、その光によって目が見えなくなり、しかもその光の中から主の声を聞いたのはサウロただ一人だけでした。どんな声を彼は聞いたのでしょうか。「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。」(使徒9:4)。これは彼が聞いた始めの部分で、その後にも主の声は続いていました。「とげの付いた棒を蹴るのは、あなたには痛い」 (使徒26:14)と。その後にも主の声は続いて、パウロのこれから果たすべき使命が語られます。パウロが経験した「天からの光」はまさに「天からの啓示」だったのです。「啓示」とは神のご計画が特別に開かれ、示されることです。
●後に使徒パウロはこの光を「キリストの栄光にかかわる福音の光」だとし、「『闇の中から光が輝き出よ』と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださった」(Ⅱコリント 4:4, 6)と述べています。「福音の光」と「キリストの御顔にある神の栄光を知る知識」とは同義です。つまり「天からの光」なしに、福音を理解することはできないということです。ですから、「天からの光」は「人に悟りを与えて人を輝かす光」であり、神との生きたかかわりをもたらす「いのちの光」 とも言えるのです(ヨハネ 1:4)。
2. パウロが理解した光の概念とは
●次に、パウロは「天からの光」をどのように理解したでしょうか。パウロはⅡコリントの手紙 4 章 6 節で、創世記 1 章 3 節のことばを解釈(ミドゥラーシュ)して、「闇の中から光が輝き出よ」と言われた神が、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせるために、私たちの心を照らしてくださったのです。」(新改訳2017)と説明していますが、パウロは創世記 1 章 3 節のみことばをそのままではなく、解釈して語っています。特に「闇の中から光が輝き出よ」というのは、神がすでにあった光を、闇の中から呼び出しているからです。これは神がことばをもって命令したときはじめて光が創造されたのではないことを示しています。光が闇の中から呼び出されたことによって、神が光と闇を分けられた(区別された)のです。天と地のすべての被造物とそのかかわりのすべては、この「光」の中に創造されて存在しています。
●パウロはエペソ人への手紙1章の中で、「光」を神の定められた計画とみこころ、御旨、目的ということばで表現しています。つまり、「天からの光」には、明確に定まった神の永遠のご計画とみこころ、御旨と目的が含まれていることが分かるのです。それを知ることこそが私たちにとって「救い」となるのです。
●この「天からの光」は、天地創造の時から、神の啓示の場となる歴史の中でも(①モーセの見た燃え尽きない柴、② 幕屋に臨在した雲と火の柱、③ソロモン神殿の献堂のときに主の宮に満ちた栄光の雲(暗やみ)、④イェシュアの本来の栄光の姿を垣間見せた変貌)、さらには、メシア王国と究極的な永遠の新しい天と地においても、神の特別な栄光の現われである「シャハイナ・グローリー」として現わされます。
●ユダヤ人のラビは一般の栄光と区別して、神の特別な栄光の現われを「シャハイナ・グローリー」(ヘブル語と英語による造語)と呼びました。「シャハイナ」とはヘブル語の動詞「シャーハン」(שָׁכַן)(神が住む、神が宿る)に由来します。
●私たちもパウロのように「天からの光」を与えられて、神のご計画の全貌を垣間見させていただきたいものです。
2019.2.12
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