ヒゼキヤ王の危機管理能力
56. ヒゼキヤ王の危機管理能力
【聖書箇所】Ⅱ歴代誌 32章1節~33節
ベレーシート
- ヒゼキヤ王の治世は、大きく二つに分けられます。ひとつはユダ王国の内部における改革と、もう一つは外部に対する危機管理です。後者は、Ⅱ歴代誌32章1節によれば「これらの誠実なことが示されて後、アッシリヤの王セナケリブがユダの町々を攻め取ろうして陣を敷いた」ことが記されています。つまり、内部における宗教改革の後に起こっています。外部との戦いにおける国家存亡の危機に際して、これまでヒゼキヤが取り組んできたことが問われる形となっています。
1. ヒゼキヤの「誠実さ」
- 32章1節の「これらの誠実なこと」とは、29~31章までに記されているヒゼキヤが心を尽くして行って来たことです。31章の最後の節にヒゼキヤは「その目的を果たした」とあります。それは彼が行ったすべての礼拝改革事業の目的が果たされたことを意味します。新改訳は「その目的を成し遂げた」と訳していますが、新共同訳は「成し遂げた」と訳しています。ここで使われているヘブル動詞は「ツァーラハ」(צָלַח)の使役形です。本来、主の霊が激しく下ることを意味します(士師記14:6, 19/15:14/Ⅰサムエル10:6, 10等)が、これが使役形で使われると「成し遂げる、成功する、目的を果たす、栄えさせる、繁栄する」という意味になります。ヒゼキヤは、彼の上に激しく下った主の霊によって、自分に与えられた王としての使命を成し遂げることができたと言えます。
- ヒゼキヤは、外敵における危機においても、王としての「すべての仕事をみごとに成し遂げた(「ツァーラハ」צָלַח)」と記されています。そのことを聖書は「誠実なこと」と表現しているのです(32:1)。つまり、神から与えられた賜物を正しく管理し、神の栄光のために用いることを「誠実」としているのです。この「誠実」のヘブル語は名詞の「エメット」(אֱמֶת)です。「真実、忠実、安定、確実性」を意味し、その動詞は「アーマン」(אָמַן)です。動詞にしても、名詞にしても、これが神に使われると、つまり神が真実であるとは、神が一度約束されたことは必ず果たされる(成就される)ことを意味します。
- ヒゼキヤ王が神の代理者として神の家における礼拝を改革をするために、上から与えられた力によって、誠実にそのことが成し遂げられたことを歴代誌の著者は高く評価しているのです。
2. アッシリヤに対してヒゼキヤがしたこと
- 32章において、アッシリヤという脅威に対してヒゼキヤがした現実的な危機の対処が記されています。
(1) 籠城のための「水」の問題
【新改訳改訂第3版】Ⅱ歴代誌32章3~4節
3 彼のつかさたち、勇士たちと相談し、この町の外にある泉の水をふさごうとした。彼らは王を支持した。
4 そこで、多くの民が集まり、すべての泉と、この地を流れている川をふさいで言った。「アッシリヤの王たちに、攻め入らせ、豊富な水を見つけさせてたまるものか。」
- 戦いに備えて「水」の問題が話し合われています。ここでは敵に水を与えないようにしようという戦術です。歴代誌には書かれていませんが、列王記によれば、ヒゼキヤはギホンの泉から直接533メートルのトンネルを掘って水を引いています。このことによって籠城が可能となります。敵はそのことを知らず、包囲することでやがて水がなくなり、籠城できなくなると予想しています。
(2) 奮い立って、城壁を建て直した
【新改訳改訂第3版】
Ⅱ歴代
32:5 それから、彼は奮い立って、くずれていた城壁を全部建て直し、さらに、やぐらを上に上げ、外側にもう一つの城壁を築き、ダビデの町ミロを強固にした。そのうえ、彼は大量の投げ槍と盾を作った。
「彼は奮い立って、くずれていた城壁を全部建て直し、さらに、やぐらを上に上げ、外側にもう一つの城壁を築き、ダビデの町ミロを強固にした。」は、同義的並行法です。
「奮い立つ」「強固にする」は、いずれも「ハーザク」(חָזַק)。
「建て直す」「築く」は、前者は「バーナー」(בָּנָה)、後者は補完による意訳。
- 「奮い立つ」と「強固にする」は、いずれも「ハーザク」(חָזַק)です。この用語は旧約で292回使われていますが、ネヘミヤ記では42回、そしてⅡ歴代誌では39回と、ダントツの使用頻度です。ヒゼキヤに関する箇所だけでも6回使われています(29:3, 34/31:4/32:5, 5, 7)。
- ネヘミヤ記も歴代誌も「再建」をテーマしていることは注目すべきことです。かつて、アダムがエデンの園に置かれたとき、彼がしなければならないことは、その園を管理し守ることでした。園を守ることも、城壁を建てることは、神の宮、神の町を守ることと同じことです。神の都には城壁があります。新しい天と新しい地における聖なる都(新しいエルサレム)も城壁(「ホーマー」חוֹמָה)があります。
(3) 敵の脅しに屈せず、民を励ました
- アッシリヤの戦略は、あざけり、嘲笑、脅迫によって、王と民たちの信頼関係を打ち壊すことにありました。しかし、ヒゼキヤは民を励ましています。
7 「強くあれ。雄々しくあれ。アッシリヤの王に、彼とともにいるすべての大軍に、恐れをなしてはならない。おびえてはならない。彼とともにいる者よりも大いなる方が私たちとともにおられるからである。
8 彼とともにいる者は肉の腕であり、私たちとともにおられる方は、私たちの神、【主】、私たちを助け、私たちの戦いを戦ってくださる方である。」民はユダの王ヒゼキヤのことばによって奮い立った。
7節でヒゼキヤは民たちに「強くあれ、雄々しくあれ」と励ましています。「強くあれ」は「ハーザク」(חָזַק)の命令形「ヒズクー」(הִזְקוּ)。
8節に「奮い立った」とありますが、それは「ハーザク」ではなく、「サーマフ」(סָמַךְ)という動詞が使われています。本来、「支える」という意味ですが。ここでは民がヒゼキヤのことばによって「安心した」(口語訳)、「力づけられた」(新共同訳)と訳しています。
(4) 神への祈り
- アッシリヤの脅威と国家存亡の危機に対して、ヒゼキヤ王と預言者のイザヤが、この事態のゆえに、神に助けを叫び求めました。このことが最も重要です。神への祈りこそ敵に対する最も強力な武器となるからです。その祈りに神は答えられて「ひとりの御使い」を遣わし(「シャーラハ」)、敵を全滅させました。「こうして、主は、アッシリヤの王セナケリブの手、および、すべての者の手から、ヒゼキヤとエルサレムの住民とを救い、四方から彼らを守り導かれた。」のです(32:22)。
最後に
- ヒゼキヤから学ぶべきことは多いです。神を求める心、神への熱心さ、周到な準備、人々を説得する聖書的土台、的確な危機管理と神への信頼による平静さ・・などなど。「ハーザク」と「ヒゼキヤ」との密接なつながりを心に留めておきたいところです。まさにヒゼキヤは「徹頭徹尾」、「慎始敬終」(物事を最初から最後まで気を抜かずに、手抜きもせず、細心の注意を払ってやり通すという意味)です。ヒゼキヤ王とヘブル語の「ツァーラハ」(צָלַח)をしっかりと心に留めおきたいと思います。
2014.4.19
a:6867 t:2 y:2