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プリムの祭りの救済史的意義

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7. プリムの祭りの救済史的意義

【聖書箇所】エステル記8章1~17節

ベレーシート

  • エステル記8章には、ユダヤ人が絶滅の危機から救われた喜びを記念する「プリムの祭り」の起源的出来事が記されています。まさに、ユダヤ人の栄誉があかしされた出来事です。その基調は「喜び」です。

1. 王の名によって発布された公文書撤回の嘆願するエステル

  • ハマンは自滅したものの、ハマンが王の名前で発布したユダヤ人絶滅の公文書はそのままでした。そのために、エステルは王の前に出て、ハマンがユダヤ人に対してたくらんだわざわいとなるべく公文書を撤回するために、王の前にひれ伏して嘆願しています(3節)。なぜなら、ひとたび王の名で書かれ、王の指輪で印が押された文書は、だれも取り消すことができないからでした。できるのはただ一人、王のみです。
  • 幸いにも、エステルの嘆願は王に受け入れられ、急遽、先の文書を取り消すための新たな文書が、王の名と王の指輪の印が押された「詔書」が早馬に乗る急使によって書き送られました。現代でいう速達便、あるいは電報といったところです。

2. プリムの祭の救済史的意義

(1) 自滅したハマンのすべてを継承したモルデカイ

  • 王は王妃エステルにユダヤ人を迫害しようとしたハマンの財産を与えましたが、エステルはそれをモルデカイに管理を任せました。そしてモルデカイはハマンがもっていた財産と栄誉(王の指輪と地位)を継承しました。

(2) 王からの栄誉が与えられたモルデカイ(ユダヤ人)

  • 「栄誉」と訳されたヘブル語は「イェカール」(יְקָר)です。その動詞の「ヤーカル」(יָקַר)は、尊い、高価である、重いという意味です。名詞の「イェカール」は、旧約全体で24回使われていますが、そのうちの10回はエステル記にあります。いわば、エルテル記の特愛用語です。その「栄誉」はモルデカイとユダヤ人全体に与えられています。その栄誉が誰の目にも明らかになったとき、そこに爆発的な喜びが湧き上がりました。その様子が15~17節に記され、プリムの祭の性格が暗示されています。

    新改訳改訂第3版 
    15 モルデカイは、青色と白色の王服を着、大きな金の冠をかぶり、白亜麻布と紫色のマントをまとって、王の前から出て来た。するとシュシャンの町は喜びの声にあふれた
    16 ユダヤ人にとって、それは光と、喜びと、楽しみと、栄誉であった。
    17 王の命令とその法令が届いたどの州、どの町でも、ユダヤ人は喜び、楽しみ、祝宴を張って、祝日とした。この国の民のうちで、自分がユダヤ人であることを宣言する者が大ぜいいた。それは彼らがユダヤ人を恐れるようになったからである。

  • モデルカイが「青色と白色の王服を着、大きな金の冠をかぶり、白亜麻布と紫色のマントをまとって」シュシャンの城から出て来た時の姿は、やがて再臨されるキリストの姿を彷彿とさせます。その姿はまさに王の姿です。また、15節にある「マント」と訳されたヘブル語は「タフリーフ」(תַּכְרִיךְ)で、ここ一回限り使われている言葉です。黙示録1章13節で使徒ヨハネは、「足まで垂れた上着を着た」復活された栄光のキリストの姿を見ています。モルデカイの着ていたマントもそれを暗示していると言えます。しかもそれは大祭司の着る上着でもあります。モルデカイの姿は、大祭司であり、王である風采をして人々の前に姿を現わしたのです。

(3) 再度、ユダヤ人が神からの栄誉を与えられるとき

  • エステル記8章の出来事は、やがてキリストの地上再臨での出来事の型としてみなすことができます。キリストの地上再臨の目的は、反キリストによる大迫害を受けているイスラエルの民を救うために来られるからです。それは、王の王、主の主として、反キリストの軍勢を打ち負かし、悔い改めたイスラエルの民を救い、彼らに約束していたすべてのことを成就して、この地上に御国を来たらせます。しかもキリストが天から来られる時には、すべての聖徒たち(キリストの花嫁)とともに来られますから、地上で婚宴の大祝宴会がもたれます。そのときにはこの上ない喜びに包まれることでしょう。
  • ユダヤ人は毎年、プリムの祭を行っていますが、この祭りの真の意味に目が開かれていません。プリムの祭に啓示されているのは、「終わりの時」に彼らに起こる預言的な出来事なのです。その意味で、「プリムの祭」には救済史的な意義があるのです。


【付記】

「アダル月にはいると、喜びが増す」ということばが、ユダヤ社会やイスラエルのシナゴーグ、家庭で耳にするほどに、ユダヤ人にとって「プリム祭」はそれほど楽しみな祭りのようです。

アダル月14日の夕方、シナゴーグでは「エステル記(メギラー)」の朗読が行われます。朗読は独特の節回しで進められていき、エステル記3章に入ると雰囲気が一変します。「ハマン」が登場してくるからです。朗読者が「ハマン」と読む度ごとに、聴衆は机を叩いたり、足を踏み鳴らしたり、ガラガラを鳴らしたり、声をあげたりと、騒然となります。とは言っても、それは憎しみや憎悪感を表現しているわけではなく、いたって和やかで、楽しげです。なぜなら、「スィムハー ヴェサソン ライェフディーム(ユダヤ人に歓喜と喜び)」がメインテーマだからです。

2013.12.4


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