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ベート瞑想(2)「たくわえる」

ב べート 瞑想(2) 「たくわえる」

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  • 「たくわえる」(新改訳)と訳されたツァーファン(צָפַן)は、「秘め置く」(岩波訳)、「心に納める」(新共同訳)とあるように、何か大切なものを心にいだく、秘める、秘蔵する、隠す、かくまうという意味をもった動詞です。旧約では32回、詩篇では8回用いられています。礼拝用語としても、恩寵用語としても使われています。secrete, hidden, cherish, store up,10:8/17:4/27:5/31:19, 20/56:6/83:3/119:11
  • 詩119篇では、「どうしたら、若い人は自分の道をきよく保つことができようか。」という問いに対する答えとして三つ
    ①「あなたのことばに従って、それを守ること」、
    ②「心を尽くして、あなたを尋ね求めること」、
    ③「あなたのことばを心にたくわえること」-を挙げています。
  • 新約聖書のルカの福音書にも、イエスの母マリアが心に納めるということをしています。
    「これらのことを、すべて心に納めて、思い巡らしていた。(1:19)
    「母はこれらのことを、みな、心に留めておいた。」(2:31)
    必ずしも、すべてを理解しているわけではなく、また、解答を見出したというのでもなく、直感的に、大切なこととして自分の心の中に納め、秘め置くことは重要です。特に、神の事柄においては、心に秘め置くことで、短絡的な答えで満足することを防ぎます。
  • イスラエルの民たちがバビロン捕囚を経験したことによって、民族としてのアイデンティティを確立すべく神の律法を真剣に学ぶようになります。そしてそこからユダヤ式教育法が確立していったようです。その教育法では、本やテキストを使ってなすものではなく、顔と顔を見合せて学ぶ方式です。子どもがきちんと理解できるまで何度も繰り返し、復唱させ、繰り返すことによって、最も大切なことを体得していく教育法です。ユダヤ人の「ミシュナー」は6世紀になって文書化されたようですが、そうした学習法を意味しています。
  • ユダヤ人のラビたちの対話形式による学習姿勢は、本質的に「答え」よりも「問い」に関心があったようです。なぜなら、ものごとの答えは時代の状況下や立っている視点によって変わっていきますが、「問い」は絶えず残るからです。こうした学習法によって物事の本質を見抜く力、洞察力が研磨され、優秀な人材を多く輩出させたと言われています。
  • 神の「ことばを心にたくわえる」ツァーファン(צָפַן)」とは、単に、神のことばを数多く覚えることではなく、そのことばの意味するものを体得するために、たえず、良い「問い」を自らの心の内に秘め置き、思い巡らすことであると信じます。

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