マラナ・タ
来たりませ! Come!
- 22:16
「・・わたしはダビデの根、また子孫、輝く明けの明星である。」
17
御霊も花嫁も言う。「来てください。」
これを聞く者は、「来てください。」と言いなさい。・・
20
これらのことをあかしする方がこう言われる。
「しかり。わたしはすぐに来る。」アーメン。主イエスよ、来てください。
マラナ・タ
- ヨハネの黙示録ははじめから「後に来られる方(やがて来られる方、やがて来るべき方)」の来臨を繰り返し継げ知らせた。1章4節、7節、8節。そして最後の22章において、主キリストご自身が「わたしはすぐに来る」(20節)と、そして他にも二度繰り返して約束している。22章7、12節。
- さらに、このように約束されたキリストが「わたしは、ダビデの根、また子孫、輝く明けの明星である」と言われた時、「御霊も花嫁」、すなわち、「小羊」であるキリストの「花嫁」としての教会も共に言う。「来てください」と。
- 御霊は希望を作り出す働きをし、主を待ち望ませる力がある。そして信じる者たちに、望みを与えるのである。この「来てください」というのは、キリストの再臨を待望する(携挙待望)祈りを表わしている。コリント第一の手紙16章21節に「マラナ・タ」(「われらの主よ、きたりませ」Μαρανα θα, Μαραν αθα)とあるが、この祈りこそ祈りの中の祈りであり、すべての祈りの源泉としての祈りである。その祈りにすべての祈りが要約されるからである。しかも、この祈りを御霊が祈るということは、この祈りが天的な起源をもつということに他ならない。この御霊と共にキリストの花嫁であるが教会が「アーメン・主イエスよ、来てください。」と祈るように勧められているのである。