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ミデヤン人に対する主の聖なる戦い

民数記の目次

26. ミデヤン人に対する主の聖なる戦い

【聖書箇所】 31章1節~54節

はじめに

  • 民数記31章の出来事はモーセの生涯の最後のものであったことが2節で分かります。彼の生涯を閉じる出来事は、かつてイスラエルの民を巧妙な企みによって陥れた25章にある「バアル・ベオル事件」と「コズビ事件」がその背景にあります。この二つの事件はイスラエルの民の内部から神の「聖」を喪失させてしまう事件でした。すでにこの事件とかかわったイスラエルの民に対して、神はそのさばきをなされましたが、そのように企んだミデヤン人に対する復讐を記した戦いがこの31章です。
  • 54節もある章ですが、構造的には以下の事柄が記されています。

    (1) ミデヤン人との戦い(1~12節)
    (2) 分捕り品に対する扱い(13~24節)
    (3) 分捕り品の分け方(25~41節)
    (4) 感謝のささげもの(42~54節)

以上の項目からそれぞれのポイントを取り上げてみたいと思います。

1. ミデアン人との戦い(1~12節)

  • この戦いにまことに不思議な戦いです。わずか12,000人による小規模な軍隊で大勝利をもたらしていることです。しかもイスラエルの軍隊は誰一人として戦死した者がいなかったのです(49節)。さらにどんな戦いをしたのか聖書は全く記していません。陣頭に立った者もヨシュアではなく、祭司のビネハスであったことも不思議です。ピネハスはかつてコズビ事件のときに神のねたみ(憤り)を自分のねたみ(憤り)とした人物です。31章の戦いも信仰的な憤りによる戦いということができます。
  • イスラエルの「聖」を守る戦いは、やがて約束の国に入国してからは「聖絶」というかたちで守られていきます。「聖」を喪失することはイスラエルの存在意義を喪失することにつながることだったのです。
  • ミデヤン人との戦いにおいて占い師のバラムも殺されています。「なぜ彼がそこにいたのか。」その問いの答えの一つは、戦いにおいては勝ち目がないことを知ったモアブヤミデアンの王たちは美しい女たちを用いてイスラエルを陥れようとする策略はバラムの提案によるものであったとする見方です。もう一つの答えは、ミデヤン人たちはイスラエルを呪ってもらおうとバラムを招いていたという味方です。いずれにしても、バラムは自分の将来を予測できなかったのは確かなようです。
  • ミデアンの五人の王の名前の中に「ツル」がおりますが、おそらく、娘コズビの父親であると思われます(25:15)。

2. 分捕り品のきよめる方法(13~24節)

  • イスラエルはミデヤンの戦いにおいて多くの分捕り品を得ました。捕虜も家畜も物もきよめる必要がありました。そのきよめ方について言及されています。それは、「火に耐えるものは火を通し、火に耐えないものは水で洗わなければならない」ということでした。ミデヤン人が使っていたものをイスラエルの民の所有とし、それを用いるためには儀式的なきよめが必要だったのです。
  • それは戦いに参加したイスラエルの軍人たちもそうです。彼らは血や死体にもふれているため、儀式的なきよめが必要であり、帰ってきても7日間はきよめのために宿営に入ることも、会見の幕屋に近づくこともできませんでした。戦いでその手を血で汚した者は、会見の幕屋に近づくにふさわしいくないとされたのです。これは後に、ダビデが神のための神殿を建てたいと願った時に許されなかった理由として、ダビデは「戦士であって血を流してきた」ことがあげられています(1歴代誌28:3)。

3. 分捕り品の分け方(25~41節)

  • イスラエルはミデアンに勝利したことで膨大な数の家畜や貴重品を得ました。このことは、かくしてエジプトを出た時と同様に(出12::35, 36)、敵から奪ったもので豊かになったことと似ています。出エジプトに際して得た貴重品は幕屋を建造するためにささげられたように、ミデヤンから得たものによってこれから約束の地に入って行く必要が備えられました。
  • 軍事的成果である分捕り品の分け方においても、明確な規定が示されています。それによれば、戦いに参加した人々と他のイスラエル人との分け前はすべて二分すること。その上で戦いに参加した人々は分捕り品の500に対して1を主への奉納物として祭司エルアザルに渡さなければならないこと。イスラエル人の場合は彼らが受ける分から50に対して1をレビ人に与えなければならないことが示されました。

4. 主への感謝のささげもの

  • 戦いに従事した指揮官たちは、この戦いにおいてだれ一人死ぬ者がなかったことを感謝して、彼らが手に入れた金の飾り物を主への感謝のささげものとしてささげました。金は最も貴重な分捕りものですが、それをささげました。自分たちの力によって勝利を得たのではないこと、あくまでも神が不思議な方法で彼らを守り、勝利を与えてくださったということを指揮官たちが率先して示しました。このことはこれからカナンに入国して主の戦いをしていく場合に、とても大切な信仰的姿勢であった思います。
  • モーセと祭司エリアザルは彼らのささげものを受け取り、会見の幕屋へ持って行き、主の前に、イスラエル人のための記念としたとあります(54節)。

2012.2.29


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