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モーセの召命と使命(2)

4.  モーセの召命と使命(2)

【聖書箇所】 出エジプト記 4章1~31節

はじめに

  • モーセの召命において顕著な語彙は「行け」(「ハーラフ」הָלַךְ)の命令形、「レーフ」לֵךְ)という主のことばです。主がかつてアブラムを召し出すときにも、同様に、「(わたしが示す地へ)行け」(創世記12:1)ということばでした。アブラムは主の「行け」というお告げのとおりに出かけました(同12:4)。主の召しによるアブラムの新しい人生がはじまったのです。そのとき、アブラムは75歳でした。アブラムの「ハーラフ」(歩み)は必ずしもすべて神からの指示によるものではありませんでした。飢饉のときには主に伺いも立てずに勝手にエジプトに行きました。また、自分の思いで神の計画を実現しようとしてイシュマエルを生みました。そんなアブラムに対して主は「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ」(同17:1)と語られました。「わたしの前を歩み」の「歩む」は「ハーラフ」(הָלַךְ)の強意形ヒットパエル(再帰)態で、自ら、自発的に、主体的に神の前に歩むことを意味しています。そして22章では、主がアブラハムに、モリヤの山に行きひとり子イサクをささげるように命じます。アブラハムは主が命じられたとおりに、イサクを連れ、その山に向かって行きました。ここにアブラハムの信仰の「ハーラフ」(הָלַךְ)の頂点を見ることができます。
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  • モーセは80歳になってから主の召命を受けますが、モーセの召命においても際立っているのは「ハーラフ」の命令形「レーフ」(לֵךְ)なのです。主はモーセに繰り返し、繰り返し、「行け」と命じられました。

1. モーセの召命における「行け」(レーフ)

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  • 聖書には神からの召命を受けた人々が多くおり、それぞれの召命には多様性がありますが、神からの召命には明確な促しと目的と約束がいつも伴っているということです。神の召命は人間的に考えるならば到底でき得ないということです。それゆえ、モーセのように尻込みしてしまうことがあるのです。しかし、モーセのように神からの召命を何度も確かめながら、召しへの確信を持つことがとても重要なのではないかと思います。使徒となったパウロは次のように言っています。

私が使徒となったのは、人間から出たことでなく、また人間の手を通したことでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中からよみがえらせた父なる神によったのです。」(ガラテヤ1章1節)

2. 4章24節~26節の理解

  • 出エジプト記4章でひときわ印象深い箇所が、24節~26節の箇所です。モーセを召し出された主がエジプトに向かう途中で、モーセを殺そうとされたということをどのように理解すべきかということです。ここだけの箇所を読むだけでは正しく理解することはできません。
  • 妻のチッポラは事の重要性を悟りました。なぜモーセの妻が事の重要性を悟ることができたのでしょうか。彼女は自分の息子の包皮を切り取って割礼をしたのです。この息子とは誰のことなのでしょうか。
  • 20節を見ると、モーセは妻や息子たちを連れて、エジプトの地へと帰って行きます。「息子たち」と複数です。しかし妻のチッポラが割礼を施したのは「息子」で単数です。モーセには二人の息子がいたのです。出エジプト記18章3、4節を見ると、そのひとりの名は「ゲルショム」、もうひとりの名は「エリエゼル」です。長男の「ゲルショム」はモーセが40歳でチッポラと結婚して与えられた子です。「エリエゼル」は40歳から80歳の間に生まれた子ですが、年齢は不詳です。おそらく、この次男の「エリエゼル」がなんらかの理由で割礼を施されていなかったと考えられます。
  • 割礼は神とアブラハム、およびその子孫との間に交わした契約のしるしです。創世記17章12~14節に「あなたがたの中の男子はみな、代々にわたり、生まれて八日目に、割礼を受けなければならない。家で生まれたしもべも、外国人から金で買い取られたあなたの子孫ではない者も。・・必ず割礼を受けなければならない。・・包皮の肉を切り捨てられていない無割礼の男、そのような者は、その民から断ち切られなければならない。わたしの契約を破ったのである。」と記されています。
  • チッポラの父イテロは、アブラハムの第二の妻ケトラから生まれたミデヤンの子孫です。ですから、彼らもアブラハムの子孫であり、割礼という習慣があったと思われます。チッポラは父イテロの7人の娘たちの一番上の娘だと思われますが、自分たちがアブラハムの子孫であること、また割礼の伝統を知っていたことで、事の重大性を悟ることができたと言えます。これからエジプトにいるイスラエル人たちを救い出すために家族で赴く上で、無割礼の息子がいたことは父親であるモーセの過失であり、正されなければならなかったのです。たとえ、どんなに大きな神のプロジェクトに携わるよう召されていたとしても、神の契約の原則には従わなければならなかったのです。

2011.11.30


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