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ヤコブから輝き出る一つの星

3. ヤコブから輝き出る一つの星

【聖書箇所】 マタイの福音書 2章2, 7, 9, 10節

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はじめに

  • クリスマスシーズンになりますと、街中の商店街には必ずと言っていいほどにクリスマスツリーなるものが置かれています。聖書に記されているキリストの誕生とクリスマスツリーは全く関係ありませんが、その中にただひとつ、聖書に関連する飾りがあります。それはツリーの一番上にある「星」です。この星が何を意味するのかを知っている人は少ないように思います。
  • 今回のアドベントでは、特に、マタイの福音書2章に登場する「星」という象徴について瞑想したいと思います。

1. マタイの「星」の言及についての「ひとつの問い」

  • マタイは、「14」という数字、「夢」だけでなく、「星」についても非常にこだわっています。マタイ福音書の第2章には、キリストの誕生と関連して4回も「星」ということばを使っています。キリストの誕生と星が関係するのはマタイが記すクリスマスの記事だけです。その箇所を拾うために、マタイ2章1~11節の箇所を開いて見ることにします。

【新改訳改訂第3版】マタイの福音書2章1~11節
1 イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。
2 「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方のを見たので、拝みにまいりました。」
3 それを聞いて、ヘロデ王は恐れ惑った。エルサレム中の人も王と同様であった。
4 そこで王は、民の祭司長たち、学者たちをみな集めて、キリストはどこで生まれるのかと問いただした。
5 彼らは王に言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者によってこう書かれているからです。
6 『ユダの地、ベツレヘム。あなたはユダを治める者たちの中で、決して一番小さくはない。わたしの民イスラエルを治める支配者が、あなたから出るのだから。』」
7 そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、彼らからの出現の時間を突き止めた。
8 そして、こう言って彼らをベツレヘムに送った。「行って幼子のことを詳しく調べ、わかったら知らせてもらいたい。私も行って拝むから。」
9 彼らは王の言ったことを聞いて出かけた。すると、見よ、東方で見たが彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、その上にとどまった。
10 そのを見て、彼らはこの上もなく喜んだ。
11 そしてその家に入って、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。

  • 2章2節には「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」とあります。ここでひとつの疑問が起こります。
  • 東方の博士といえば、ユダヤの世界から見るならば異邦人です。その異邦人である彼らがなぜ不思議な星を見て、その星が「ユダヤ人の王である方の星」だと分かったのでしょうか。しかも、彼らは王にささげるにふさわしい贈り物を携えて、遠路はるばるエルサレムに礼拝しにやって来たのです。
  • 驚いたのは、その当時の王であったヘロデ王です。そんなことを聞いていなかったからです。それを聞いたヘロデ王は「恐れ惑った」とあります。新共同訳では「不安を抱いた」、塚本訳では「うろたえた」と訳しています。使われているギリシャ語は「タラッソウ」ταράσσωで、「恐れて、ひどく動揺する、恐怖が襲う」ことを表わす動詞です。昔、ユダの王アハズの時代に北からエフライムとアラムの同盟軍が攻めてくるという知らせを聞いたときに、王の心も民の心も、「林の木々が風で揺らぐように動揺した」(イザヤ7:2)とありますが、それと似ています。ヘロデ王だけではありません。エルサレム中の人も王と同様であった。この世界に二つの太陽は必要としないように、一つの国に二人の王が存在するということはあり得ないからです。
  • ヘロデ王は学者たちをみな集めて、キリストはどこに生まれるのかと問いただしました。すると、ベツレヘムからイスラエルの民を治める支配者が出ると預言されていることが分かりました。ヘロデ王は「ひそかに」博士たちを呼んで彼らから星の出現を突き止めました。なぜ「ひそかに」なのか。それは星の出現の時間を知ることで、いつ頃に生まれたかが分かるからです。ヘロデはそれを興味本位に聞くために「ひそかに」博士たちを呼んだのではなく、その「ユダヤ人の王として生まれた幼子」を殺そうと思い計ったからです。
  • ところで先ほどの疑問、つまり、東方の博士たちが不思議な星を見て、どうしてその星が「ユダヤ人の王である方の誕生を告げる星」だと分かったのかという疑問です。しかもその星がユダヤ人の王として生まれた場所へ彼らを導いたのです。
  • 東方の博士たちは「星」を見たとあります。単なる「星」ではなく、特別な「星」だったのです。この星の正体についていろいろな説があります。その中には、星と星が重なって見えたのだという説や、ある星が突然大爆発を起こすと何千倍にも明るく輝く時があることから、そのような星ではなかったのかという説など・・。いずれも決定的な説とは言えません。驚くべきことは、博士たちが見た「星」をユダヤの王の誕生を示す星だと彼らがみなしたことです。なぜ、彼らがその星とキリスト(メシア)の誕生を関連づけることができたのでしょう。

2. 「星」と「メシア預言」とのかかわり

  • 私も今回の瞑想を通して初めて知ったことです。東方の博士たちはキリスト誕生のおよそ1200~1300年ほど前に、異邦人である預言者が語ったメシアの預言について、なんらかの形でそのことを聞いて知っていたという事実です。とすれば、そのメシアの預言はだれが、いつ、どこで、誰に対して、どのような状況において語ったものなのかということです。
  • マタイはその預言のことについては何一つ触れてはいませんが、「星」という象徴によって、ユダヤの民に思い起こさせているのではないかと思えます(マタイの福音書はユダヤ人向けに書かれています)。実は、「ヤコブから一つの星が上り、イスラエルから一本の杖(笏)が起こる」という預言が聖書の中にあるのです。その預言が記されているのは民数記24章17節で、東方の預言者バラムが語った有名なメシア預言が以下のように記されています(民数記24:17~19参照)。

【新改訳改訂3版】
私は見る。しかし今ではない。私は見つめる。しかし間近ではない。
ヤコブから一つの星が上り、イスラエルから一本の杖が起こり、
モアブのこめかみと、すべての騒ぎ立つ者の脳天を打ち砕く。」(24:15~19)


17節を他の訳では次のように訳しています。
(1)【新共同訳】
「ひとつの星がヤコブから進み出る。ひとつの笏がイスラエルから立ち上がる」
(2)【関根訳】
「ヤコブから一つの星が上り、イスラエルから支配者の杖が起こる」
(3)【岩波訳】
「ヤコブから一つの星が進み出る。イスラエルから一つの笏が上がる」
(4)【LB訳】
「イスラエルから一つの星が輝き出ます。一人の王が起こり・・」

  • この預言はパラレリズム(並行法)で語られています。「ヤコブの子孫から一つの星が上る」ことと「イスラエルから一本の杖(支配者の権威をあらわす象徴、あるいは笏が指し示しているのは王の存在です)が起こる」ということは同義だということです。しかも、星が「上る、進み出る、輝き出る」と訳されたヘブル語動詞は「ダーラフ」(דָּרַךְ)、杖(笏)が「起こる」と訳されたヘブル語動詞は「クーム」(קוּם)、いずれも完了形です。ヘブル語ではまだ事が完了していなくても、必ず実現されることは完了形で表わされます。
  • この預言を語ったのは異邦人の預言者バラムという人ですが、誰に対して語ったというと、モアブの王に語った預言なのです。この預言が語られた背景について考えみたいと思います。
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  • イスラエルの民がエジプトを出てから40年間、不信仰のゆえに荒野をさまよいます。そしてその時が終わりになる頃には、第一世代の者はほとんど死んで、第二世代の時代に入っていました。神が約束された国カナンに入って行く前に、神は第二世代がカナンに住む者たちと戦うその戦いを訓練するためにヨルダン川の東側にある国々と戦いをさせます。いわば、本格的な戦いの前哨戦ともいうべき戦いです。その最初の戦いはエドム人との戦いでした。その前に、モーセはエドムの王に使いを送って「どうか、あなたの国を通らせて下さい。私たちは、畑もぶどう畑にも通りません。井戸の水も飲みません。ただ通過するだけです。」と願いました。ところが、エドムの王は「私のところを通ってはならない。さもないと、私は剣をもってお前を迎え撃とう」と言ってイスラエルを迎え撃つためにイスラエルと戦いました。ところが、イスラエルの方が勝ってしまったのです。そしてエドムからエモリ人が住むところを攻め取り、エモリ人を追い出してしまいました。さらにイスラエルの民はヨルダンのエリコを望む対岸のモアブの草原に宿営したのです。
  • そうした状況を見たモアブの王バラクは恐れをイスラエル人にいだきました。そこで彼は、同族の国であるユーフラテス河畔の町に住む預言者のバラムを招こうとして使者を送り、イスラエルの民を呪ってほしいと頼みました。するとバラムは、「主が私に告げられることを答えましょう。」と応えます。すると神はバラムに言いました。「あなたは彼らと一緒に行ってはならない。またその民(イスラエルの民)を呪ってはならない。その民は祝福されているからだ。」という主の声を聞いたので、使いの者たちを帰しました。
  • ところがモアブの王バラムはあきらめません。前よりも大勢の、しかも位の高い司たちを遣わしました。そしてバラムに、「手厚くもてなしますから、言いつけられることはなんでもしますから、どうか来てイスラエルの民を呪ってください」と頼みました。それを聞いたバラムは、「たとえ銀や金の満ちた家をくれても、私は主のことばに背くことはできません。主が私に他のことをお告げになるかどうか確かめますから、今晩、ここにとどまっていてください」と言います。すると夜、神はバラムに現われて、「この者たちがあなたを迎えに来たのなら、立って彼らとともに行きなさい。ただし、あなたは、わたしがあなたに告げることだけを行いなさい。」
  • 朝になってバラムは起き、ロバに鞍をつけてモアブのつかさたちと一緒に出かけたのです。ところがどうしたわけか、神の怒りが燃え上がって、主の使いが彼に敵対して道に立ちふさがったのです。
    この当たりの詳しい話は、民数記22章を参照。
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  • 主の使いはバラムに向かってこういいました。「なぜ、おまえはロバを三度も打ったのか。敵対して出てきたのはわたしだ。おまえの道がわたしとは反対に向いていたからだ。」そのことを聞いたバラムは自分の罪を認めました。バラムはこれ以上進むのをためらうのですが、主の使いは「この人たちと一緒に行け」と言います。そして、「主が告げることばだけを告げよ」と命じました。
  • バラムとバラクの使いの者は一緒に進んでモアブに行きました。モアブの王バラクはバラムが来たことで大変喜びました。ところが、いざイスラエルの民を前にした預言者バラムは、イスラエルを呪わずに、なんと祝福してしまうのです。そんなことが三度あり、三度ともイスラエルを祝福してしまったので、バラクはバラムに対してカンカンに怒ってしまいました。その後に付け加えられた預言の中に先の「メシア預言」があるのです。それが24章17節のことばです。

    私は見る。しかし今ではない。私は見つめる。しかし間近ではない。
    ヤコブから一つの星が上り、イスラエルから一本の杖が起こり、
    モアブのこめかみと、すべての騒ぎ立つ者の脳天を打ち砕く。

  • この預言は、後の(250年後)ダビデ王によってある意味では成就しています。なぜなら、ダビデの時代には「モアブがダビデのしもべとなった」(Ⅱサムエル8:2)からです。また、ダビデが王となった時代には、西のペリシテ人、北のアラム人、アモン人も、南のエドム人、そしてアマレク人もまたイスラエルの支配のもとに置かれることになったからです(Ⅱサムエル8:14)。
  • しかしダビデはひとつの型であって、この民数記のバラムの預言の本体(本型)は、ダビデの後に約束されたメシア、すなわちイエス・キリストに関する預言だったのです。「ヤコブから一つの星が上り、イスラエルから一本の杖が起こる。」というその星は、キリストの栄光とその輝きをあらわし、笏はその力と権威をあらわします。「治める」のはこの方なのです。
  • ちなみに、「星」ということばは旧約で37回使われていますが、ひとつを除いてすべて the starsと複数で使われて「星」と訳されているのですが、ここ民数記24:17だけはa Star כּוֹכָבと単数形なのです。つまり「一つの星」なのです。
  • 東方の出身であるバラムのこの預言は、バラムの住む国であるユーフラテス流域のメソポタミヤ地方で長年にわたって言い伝えられていたということが考えられます。したがって、マタイがその福音書2章で記しているように、東方の博士たちがひときわ輝く不思議な星を見たとき、かつてバラムが預言したことが成就したことを確信し、王である方を礼拝するためにエルサレムを訪ねることになったと言えるのです(マタイ2:2)。
  • 東方の博士たちが見た星は、東方の預言者が語った「ヤコブから出た一つの星」であり、それはまた同時に「王権を表わすひとつの杖(笏)」です。そしてそれがついに実現したことをマタイは「星」ということばにこだわりながら伝えているのです。
  • このことはきわめて象徴的です。というのは、イエスの来臨がずっと以前からユダヤ人にだけでなく、異邦人にもこのように示されるのが神のみこころだからです。やがてイエス・キリストの福音とその王国の支配はユダヤの国境をはるかに越えて広がることになっていくことをすでに私たちは知っていますが、この預言をしたバラムが異邦人の預言者であったということが重要な点であると思います。

3. イスラエルの国旗はダビデの星―「明けの明星」

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  • イスラエルという国は1948年に再建されました。しかしその50年前に、イスラエルの国旗となるデザインはシオニストたちの会議においてすでに造られていました。それは次のような六角形をした星のデザインです。「ダビデの星」と言われるものです。
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  • ギリシャ語で「ダビデ」の最初の文字は「デルタ」δ'ですが、これを大文字で書くと三角形の形をしています。クリスマスツリーの上にある星の形は大概、五角形の星ですが、イスラエルの国旗の星は六角形なのです。「ダビデの星」と言われるこの六角形の形はきわめて象徴的です。二つの正三角形(△,▽)を重ね合わせたもので、下に向く三角形と上に向く三角形が組み合わさっているからです。そのことにも深い事柄が秘められていると思われます。
  • 「ヤコブから出る一つの星」、それはメシアの星であることはこれまで述べてきましたが、そのメシアの星を黙示録22:16では「明けの明星」と表現されています。「明けの明星」the Bright and Morning Starとは、夜明け前に東の空に美しく輝いて見える金星のことを指します。古くから「明けの明星」として親しまれていますが、それは民数記の預言にあるように「一本の杖」、つまり「王権の象徴」なのです。
  • キリストご自身が「輝く明けの明星」であるとしたことは、長い時代にわたる暗闇は終わり、夜明けが来ることの保証です。彼の王としての輝きは永遠の輝きです。福音のゆえに迫害を受けてパトモス島に流刑になっていたヨハネは、諸教会の苦難を一時も忘れることのできない状況にあったに違いありません。そうした中で、将来の究極的な創造と歴史の完成の様を見せられ、また約束の言葉を主イエスと御使いたちから聞かされ、大きな励ましを受けたに違いありません。
  • 「星」は太陽や月が輝いているときは目に見えません。しかし確かに存在しているのです。むしろ、暗ければ暗いほど「星」はその輝きを放つのです。私たちは「輝く明けの明星」であるイエス・キリストを信仰をもって仰ぎ見るならば、どんな暗闇の中にあっても、深い慰めが与えられるのです。そしてやがて再び帰って来られる主イエスは、暗闇を照らす朝の光のごとくに来られるのです。

おわりに

  • クリスマスシーズンに見る「クリスマスツリー」の一番上にある「星」、多くの人はその星の真の意味を知りません。しかし神の子とされた私たちがその星を見る時には、「輝く明けの明星」として再び来られるキリストを思い起こすシンボルとならなければなりません。アドベントの正しい過ごし方は、その信仰の中に自分が本当に生きているかどうかを確認することです。
  • 民数記24章17節の預言―「ヤコブから一つの星が上り(輝き出で)、イスラエルから一本の杖が起こり、・・すべての騒ぎ立つ者の脳天を打ち砕く」という預言は、イエス・キリストの誕生によってある意味では成就しましたが、真の成就はイエス・キリストの再臨を待たなければなりません。キリストの再臨こそ、真の御国の完成のときだからです。
  • 東方の博士たちがバラムの預言した「ひとつの星」を見て悟ったように、私たちも神の救いの歴史の完成にしっかりと目を据えながら、キリストの再臨を予告する「ひとつの星」に心を向けて歩み続けたいと思います。

2011.12.12


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