****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

ヨシヤの王の治世については、⇒こちらを参照

文字サイズ:

トピック(1) ヨシヤの王の31年間の治世について


【聖書箇所】 Ⅱ列王記22章1節~23章30節

1. ヨシヤの評価

  • ヨシヤは8歳で、父王アモンの突然の死によって王位に就きました。「彼は主の目にかなうことを行なって、先祖ダビデのすべての道に歩み、右にも左にもそれなかった」と列王記も歴代誌もヨシヤを評価しています。

【新改訳改訂第3版】Ⅱ列王 23:25
ヨシヤのように心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くしてモーセのすべての律法に従って、【主】に立ち返った王は、彼の先にはいなかった。彼の後にも彼のような者は、ひとりも起こらなかった。


2. 揺れ動く国際情勢

アッシュール・パーン・アプリ
  • ヨシヤの治世の時代背景は、国際情勢が急速に変化していった時代でした。強力な帝国を誇ったアッシリヤが衰退に向かっていました。B.C.627年にアッシリヤの王アッシュール・パーン・アプリ(右の写真)が死ぬと(ちなみに、この年はヨシヤ王の治世13年目に当たり、エレミヤが預言者として召された年に当たります)、ハビロンは反乱を起こし、新バビロニヤ王朝が創始されました。パレスチナにおいてはエジプトの勢力が再び増強しました。アッシリヤの重要な都市アシュルは614年にメディヤによって陥落させられ、ニネベは612年にメディアとバビロンの同盟軍によって壊滅させられました。そのためユダ王国の形勢は有利になっていき、ユダの将来は一時明るさを増してきたように見えました。

3. ヨシヤによる宗教改革の三つの段階

  • こうした国際情勢の変化の中で信仰に目覚めたヨシヤは、父祖マナセと父アモンによって汚されていたユダの宗教を改革しようとしました。その改革は三つの段階を追ってなされました。

第一は、
その治世の第8年目(16歳)の時に、ヨシヤ王が先祖ダビデの神、主を求め始めたことです。

第二は、
その治世の第12年目(20歳)の時にユダとエルサレムをきよめ始めて、高き所、アシュラ像、バアルの祭壇等を取り壊したことです。歴代誌第二34章3~7節参照。

第三は、
ヨシヤの治世第18年目に神殿の修理を命じたことです。この修理の時に、大祭司ヒルキヤが主の宮の中で「主の律法の書」を発見しました。その報告を聞いたヨシヤ王は、衣を裂き、大祭司ヒルキヤやその他の家来たちに、主のみこころを求めることを命じました(列王記第二22:8~13、歴代誌第二34:14~21参照)。

  • 大祭司ヒルキヤたちは、女預言者フルダのもとに行って尋ねました、フルダの答えは、すでに神のさばきが差し迫っているというものでした。今までの改革の手ぬるささを示されたヨシヤ王は、祭司、預言者をはじめ、長老やすべての住民を集めて、彼らに契約の書(おそらく申命記)を読み聞かせ、改革を呼びかけたのでした(列王記第二23:1~2)。
  • このようにして改革は推進されていきました。過越の祭りを再び国事として行ない、従来、家庭において父親が主役として行って来た事(出エジプト12:1~13:16参照)を、祭司とレビ人が担うこととしたのです。この点において、ヨシヤの改革はヒゼキヤが行なった過越の祭りをさらに徹底したものでした。

4. ヨシヤの宗教改革の実態

  • しかしながら、ヨシヤの宗教改革の実態は王自身の努力と積極的な推進にもかかわらず、その実態は民の心に完全には浸透していかなかったようです。それは民の内から起こって来たものではなく、王の命令による上からの改革だったからです。したがって、改革は皮相的、かつ外面的、一時的なものにとどまりました。政治的権力的色彩の帯びた改革は真の霊的覚醒にはつながらなかったと言えます。
  • 列王記の記者は、ヨシヤの治世における改革を絶賛しながらも、主がユダに向けて燃やされた怒りを静めようとはされなかったのは、エルサレムに住む民がマナセの罪を引きずっていたからです。それは、いわば「抜きがたいとげのようなもの」であったのです。

5. ヨシヤのあっけない最期を神の目線から見ると

画像の説明
  • 無敵を誇ったアッシリヤがバビロンに破れ、首都にニネベが陥落すると、今度はバビロンの勢力を恐れたエジプトのパロ・ネコが軍を率いてアッシリヤを援助するために北上してきました。この時、ヨシヤはバロ・ネコの北上を阻止するために出陣し、メギドで一線を交えました。そこで矢に当たって負傷し、それがもとであっけない最期を遂げました。改革の旗手として主の道に戻りつつあったユダの民は、このことによって再び偶像の道へ逆戻りしてしまいます。
  • ヨシヤ王の死を契機として、ユダは滅亡に向けて奈落の底に転げ落ちていくように、破滅へと向かっていきます。しかしヨシヤの不慮の死によってやがてもたらされパピロンの捕囚は、神の目線から見るならば、「わざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのもの」であったからです。なぜなら、ユダの民はそこで再び神の律法によってリセットされ、トーラー・ライフスタイルを二代、三世代にわたって築き上げ、再び、エルサレムに戻されることになるからです。
  • ヨシヤ王は神の律法によって宗教改革を試みましたが、神のご計画はそれをはるかに上回る改革だったのです。それはエルサレムを完全に崩壊させて、再び、神の民を新しく立ち上がらせるための計画でした。神の民が再び神の栄光の位置に着く前に、バビロンでの捕囚の辱めと苦難を通して、自分たちに与えられていた神の律法のすばらしさに霊の目が開かれ、さらに神を尋ね求める者とさせること、それこそが神の隠されたご計画でした。それゆえヨシヤの死は決して無駄ではなく、ある意味で、それを早めさせただけでなく、神のご計画の実現の必然性を啓示しているとも言えるのです。また「律法の書」(申命記)の発見も、ヨシヤの宗教改革の成果をはるかに越えるような、つまり、神の民が「律法の書」によって神にさばかれ、そして同時に「律法の書」によって再び建て直されるという神のご計画の秘密が隠されていたのです。

2013.1.14


a:2913 t:2 y:5

powered by Quick Homepage Maker 5.2
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional