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ヨナタンとダビデの麗しい友情

17. ヨナタンとダビデの麗しい友情

【聖書箇所】 20章1節~42節

はじめに

  • 愛のないセックスや結婚というものがありますが、本来は愛があって結婚するのが普通です。結婚という目に見える契約は結婚する二人の中に目には見えない愛が前提としてあります。ただしその愛については互いに成長させ、深めていく必要がありますが・・・。
  • 聖書の中に見られる神と人、あるいは人と人との親しい友情には、目に見えない選びと愛と目に見える形としての契約(誓い)があります。サムエル記第一20章には、ヨナタンとダビデとの麗しい友情が記されています。二人の友情は比類なき、無二の友情です。太宰治の作品「走れ、メロス」にも麗しい友情が描かれていますが、そこに登場する人物はフィクションですが、聖書に登場するヨナタンとダビデはノンフィクションです。
  • ヨナタンとダビデの友情は、単に彼ら二人だけの個人的なものでなく、彼らの子孫にも及ぶものであり、また神とイスラエルとのかかわりの型ともなっているのです。そのような視点からも、二人の友情にフォーカスしてみたいと思いますが、そのキーワードは二つの愛、すなわち、「選びの愛」と「契約の愛」を示すヘブル語、「アハヴァー」と「ヘセド」です。

1. ヨナタンは再度ダビデと契約を結んだ(誓った)

  • ヨナタンは父サウロのダビデに対する真意を確かめる前に、もう一度ダビデと約束を交わしましています。最初は18章3節、「ヨナタンは、自分と同じほどにダビデを愛したので、ダビデと契約を結んだ。」でした。そして20章17節では、「ヨナタンは、もう一度ダビデに誓った。ヨナタンは自分を愛するほどに、ダビデを愛していたからである」(新改訳)とあります。しかし、原文では「そして、ヨナタンは、再度ダビデに誓わせた」となっています。契約を結ぶためには「誓う」(「シャーヴァー」שָׁבַע)ということが当然含まれますが、そこにはヨナタンのダビデに対する愛(アハヴァー)が根底にあります。その愛を形にしたものが契約(ベリート)です。
  • また、18章は双方の個人的な契約でしたが、20章では家と家との契約になっています。ヨナタンはダビデに対してこう言っています。「もし私が生きながらえておれば、主の恵み(ヘセド)を私に施してください。たとい、私が死ぬようなことがあっても、あなたの恵み(ヘセド)をとこしえに私の家から断たないでください。主がダビデの敵を地の面からひとり残らず立ち滅ぼすときも。」と言って、「ヨナタンはダビデの家と契約を結んだ。」(16節)ということは、彼らの関係が血を分けた兄弟の関係を結んだことを意味します。
  • ある国に新しい王が擁立されるとき、それまでの王の一族のすべては滅ぼされるというのが当時の慣例でした。しかしヨナタンの発言はその正規の慣例に従ってヨナタンの子孫を絶滅することをしないでほしいというものでした。後に、ダビデが王となったとき、ダビデがヨナタンの息子メフィボシェテを優遇したのも、それはヨナタンとの契約のゆえでした。

2. アハヴァーの「愛」とヘセドの「愛」

  • 20章17節には、アハヴァーאַהֲבַה(名詞)の「愛」が2回。さらにその動詞「アーハヴ」が1回使われています。

    【新改訳】
    「ヨナタンは、もう一度ダビデに誓った。ヨナタンは自分を愛するほどに、ダビデを愛していたからである。」
    【新共同訳】
    「ヨナタンは、ダビデを自分のように愛していたので、更にその愛のゆえに彼に誓わせて、」
    【NKJV訳】
    Now Jonathan again caused David to vow, because he loved him; for he loved him as he loved his own soul.

    • すべて動詞であるかのように訳しています。ただし3回出てきます。
  • 20章には「ヘセド」(חֶסֶד)という名詞が3回(8節、14節、15節)使われています。

    8節では、ダビデがヨナタンに対して「どうか、このしもべに真実を尽くしてください。あなたは主に誓って、このしもべと契約を結んでおられるからです。」
    ここでは「ヘセド」が「真実」(新改訳、岩波訳)、「慈しみ」(新共同訳)、NIV訳;kindness と訳されています。

    14節では、ヨナタンがダビデに対して「もし、私が生きながらえておれば、主の恵みを私に施してください。」
    ここでは「ヘセド」が「恵み」(新改訳)、「慈しみ」(新共同訳)、NIV訳;unfailing kindnessと訳されています。

    15節でも同じくヨナタンがダビデに対して「あなたの恵みをとこしえに私の家から断たないでください。」とあります。
    「惠み」(新改訳)、「慈しみ」(新共同訳)、NIV訳;kindness.

  • 「ヘセド」のもとになっている動詞はありません。このヘセドの「愛」は「確かさ」、「不変」、そして「継続性」をもった契約的な愛を意味しています。
  • ここで重要なことは、ヨナタンとダビデが交わした契約は、真実、慈しみ、恵みによって成り立つものですが、その契約を支えているのが「アハヴァー」の愛です。このヨナタンの愛のかかわりは、実は、神と神の民であるイスラエルの一つの型となつているということです。契約的な愛が損ねたとしても、もう一つ別のサイトがあるのです。それが「選びの愛」です。神の民はその「アハヴァー」の愛によって、新しい心と新しい霊を与えられて、やがてイエス・キリストによる「新しい契約」を結ぶことができたのです。

2012.6.20


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