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ヨハネの福音書における「世」について

瞑想のための予備知識

6. ヨハネの福音書における「世」について

  • ヨハネの福音書に繰り返し出てくる一つの言葉、「世」(コスモスκοσμος)ということばに注目したいと思います。

1.新約聖書における「世」という語彙

マタイの福音書9
マルコの福音書3
ルカの福音書3
ヨハネの福音書77
ヨハネの手紙1・224
  • 上記の表を見て歴然としているのは、「世」、The world(ギリシャ語では、コスモスκοσμος)という言葉の使用頻度がヨハネ文書(福音書と手紙)においては圧倒的に多いということです。ヨハネ福音書の中には77回、手紙の22回を合わせると、なんとヨハネ文書だけで101回の頻度です。
  • そのうち「最後の晩餐」(13~17章)の箇所に限ってみるならば、そこにはなんと44回も使われています。中でも特に使用頻度が多いのは17章の18回です。
  • この17章では、御子イエスが御父から遣わされたて「世」に来たこと。そして今や「世」からもとにいたところに帰る前に、世に残していく弟子たち、あるいは、やがて弟子たちのことばを信じる者たちのために祈るのは当然のことと言わなければなりません。

2. 「世」とは何か

  • ここで一つの絵(「嵐を静められるイエス」)を見たい。これは象徴樹な弟子訓練の実物教材としての奇蹟と言えるます。
    画像の説明);これは象徴樹な弟子訓練の実物教材としての奇蹟と言える。というのは、聖書では「海」(ここでは湖ではあるが・・
  • しかし突然、激しい突風が起こって、船は波をかぶり、水でいっぱいになりました。ところがイエスはその状況の中でも舳先で枕をして寝ておられました。弟子たちはイエスを起こしてこう言いいます。「先生、私たちが溺れて死にそうでも何とも思われないのですか。」すると、イエスはやおら起き上がって、風を叱りつけ、湖に「静まれ」と言われました。すると風はやみ、大なぎになった(マルコ4章35~39節)と記しています。他に、マタイもルカも同様にこの記事を記しています)。
  • というのは、聖書では「海」(ここでは湖ではあるが・・)は、しばしば「世」の象徴として使われることが多い。荒れ狂う海、そこに浮かぶ1艘の船。船は波を飲まれるならば、海の藻屑と化してしまう。船は海にあるが、海に飲まれずに存在しなければならない。突然、激しい突風が起こって、船は波をかぶり、水でいっぱいになった。ところが、イエスはその状況の中でも舳先で枕をして寝ておられた。弟子たちはイエスを起こしてこう言った。「先生、私たちが溺れて死にそうでも何とも思われないのですか。」すると、イエスはやおら起き上がって、風を叱りつけ、湖に「静まれ」と言われた。すると風はやみ、大なぎになったとあります(マルコ4章35~39節、他にマタイもルカも同様にこの記事を記しています。)。
  • 湖にしても、海にしても、荒波の前に人間のなす術はありません。ただ翻弄されるだけです。このとき、船に乗り込んでいたのはプロの漁師でしたが、彼らとてもどうすることもできません。湖、海が「世」を象徴しているならば、「世」とはまさに人間の力では制御することのできない勢力ということができます。そんな「世」にイエスは弟子たちを残していかなければならない、とすれば、父に彼らを「世」の力から、その勢力から守ってくださいと祈るのは当然のことであったと思います。世の象徴である湖の水が船の中に入って来たならば沈むしかない。まさにタイタニック号の惨劇の如し、です。
  • 唯一、イエスが湖に向かって「静まれ」と命じて大凪としたことは、イエスが「世」に打ち勝つことのできるただ一人の方であることを言わんとしているのです。そのイエスが弟子たち言われました。
    「あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。
    わたしはすでに世に勝ったのです。」(ヨハネの福音書16:33)

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