ヨハネの黙示録の賛美礼拝の学びの視座
序説 1. ヨハネの黙示録の賛美礼拝の学びの視座
(1) 学びの視座(パースペクティブ)
①ヨハネの黙示録に対する多くの人々の関心は「終末預言」に関することである。「これからどうなるのか。世界の終わりは来るのか。来るとすればいつ、どのような形で・」という「封印」された中身の解釈についてである。しかし、本講義においては終末預言の解釈については扱わず、ヨハネが見た天上の礼拝のヴィジョンに注目したい。
②黙示録のヴィションを通して、神によって造られた被造物が、また贖われた者のすべてが、御座におられる方と小羊とに対して、どのような賛美と礼拝をささげているかに焦点が当てられる。
(2) 礼拝の手引書としての「ヨハネの黙示録」
①ヨハネの黙示録は礼拝の手引書である。ジャック・ヘイフォード師は「黙示録の豊かさを理解するためには、・・礼拝の手引書であるという原点を把握しなければならない。」と述べている。
②礼拝は聖書全体のテーマである。人間が創造された目的も、贖われた目的も、それは神を礼拝する(神に仕える)ためである。
③現代における礼拝という輝く宝石の喪失からの回復
a.A・W・トウザー(「福音主義の良心」「20世紀の預言者」と言われた人)は、1960年以前の福音主義的教会に対して<礼拝>という宝石が喪失していると警鐘を鳴らした。それ以後、聖霊の新たな流れは礼拝の刷新をもたらし、特に、「ダビデの幕屋の回復」の啓示によって、賛美を重視した礼拝が回復されるようになった。
b. 最近の日本の福音派の動向について
2002,年に聖書神学舎から「礼拝の聖書的な理解を求めて」という本が出版された。これは現代の福音派を代表する聖書神学舎の教師たちが今日の福音派の教会の今日的課題を自ら提起し、まとめられたものである。その「まえがき」にはこう述べられている。
「今回、・・<礼拝>こそが、聖書全体を貫いている重要なテーマであることに改めて気づかせられました。シナイ契約が壮大な礼拝への招きであること、いけにえの制度も賛美も礼拝そのものであること、・・イエスの再臨によって完成される<礼拝>について述べるヨハネの黙示録は、まさに礼拝の書そのものだということです。これらのことを鑑みるときに、<礼拝>は、聖書全体のキーワードの一つであると言うだけでは十分ではなく、聖書神学の中心主題であると言うことができます。神と人との関わり(契約関係)の中で<礼拝>こそ、その中心だからです。」(5頁)
(3) ヨハネの黙示録が記された主な目的
①「将来に起こる出来事を指摘するだけでなく、イエス・キリストがどのように今、御座に座して支配しておられるかを私たちに知らせることである。」(ウォッチマン・ニー)
②「サタンとその手下に対するキリストとキリストの教会の勝利を知らせ、迫害を受けて苦しんでいる教会に慰めを与えることである」(ヘンドリクセン)
③「主の再臨の時を信仰と忍耐をもって待ち望むように勧めるためである」(チェーン式バイブル)
(4) この学びの目的
①黙示録における神とイエス・キリストの称号の理解を通して、礼拝されるべき御座におられる方と小羊がいかなる方かを知ること。
②私たちが真の礼拝者として生きるとは何かを知ること。