****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

ルツの婚活

3. ルツの婚活

聖書箇所 3章1~18節

はじめに

  • 「婚活」という今日的はやりの言葉をタイトルに使いましたが、ルツが自分で結婚活動して相手をみつけようとしたのでありません。当時の習慣として、結婚のとりまとめ役は、イサクの場合もそうであったように、普通親の責任でした。落ち穂拾いを契機に、ナオミとルツはボアズを通して生存の保障が与えられましたが、そのこと以上に、ボアズが買い戻しの権利を持つ親族の一人であることを知って、ナオミはルツのしあわせを考えて、ルツの方から直接、求婚させるために具体的な知恵を与えます。ナオミの指示に従ってといっても、形としては直接ルツが求婚するわけですから、ルツの婚活と言っても間違いではないと思います。事はどのように運んで行ったのでしょうか。

1. ルツのしあわせを願うナオミ

  • 3:1にナオミがルツにこう言います。「娘よ。あなたがたしあわせになるために、身の落ち着く所を私が捜してあげなければならないのではないでしょうか。」「身の落ち着く所」と訳された「マノーアッハ」(男性名詞、מָנוֹחַ)は、家庭のことです。そこは憩いの場所、休みの場所、くつろげる所という意味で、いわば英語のホーム(home)に近いイメージです。アットホームな場所を持つことが、ここではしわあせになることと同義に使われています。
  • すでにルツ1章9節でもナオミは二人の嫁に対して、自分の家に帰って、新しい夫をもって「平和な暮らし」ができるよう願っていました。この「平和な暮らし」と訳されたことばは「マノーハー」(מָנוֹחַה 、マノーアッハの女性名詞)が使われています。女性にとってのしあわせは、結婚によって得られる精神的な落ち着き、安住できる場所を持つことであったようです。そんな「身の落ち着ける所」(מָנוֹחַ)をルツが与えられてしあわせになることを、ナオミは自分の責任として感じていたことを示しているのが3:1のことばです。
  • ちなみに、ここで「しあわせになる」ということばは、形容詞の「トーヴ」(טוֹב)の動詞で「ヤータヴ」(יָטַב(という言葉が使われています。ニュアンスの広い動詞で旧約聖書では108回、ルツ記では3章に3回(1節、7節、10節)使われているだけです。「うまく行く、気持ちがよくなる、喜ぶ、楽しむ、心にかなう、まさっている、巧みである」と言った意味があります。幸福感を表わす動詞ですから、幸福に感じるあらゆるニュアンスを含んでいると言えます。

2. ボアズに対するルツの求婚

  • そしてそのしあわせをつかむ機会がルツに訪れたとナオミは感じたのでした。ボアズとルツの様子をじっと観察しながら、ナオミは彼ら二人がお互いに好意以上のものを持っていることを感じ取ったと思われます。それだけでなく、おそらくボアズはルツの亡くなった義父と同年輩と考えてもおかしくありません。もしボアズの方から求婚したとして、断られる可能性もないわけではありません。それゆえにナオミはルツの方から求婚することを教えたのだと考えられます。「あなたはからだを洗って、油を塗り、晴れ着をまとい、打ち場に行くように」と指示しました(3:3)。そして、そのあとにする行為も・・・。結構、大胆です。ナオミのルツの幸せを思うところから来る狡猾な知恵なのかもしれません。前後の流れを考えるとこれが当時の求婚とは思えません。
  • ルツは自分の方から進んでしているにもかかわらず、いつしかボアズの方から求婚するように迫っています。「私はあなたのはしためルツです。あなたのおおいを広げて、このはしためをおおってください。あなたは買い戻しの権利のある親類ですから。」と(3:9)。これは、ボアズがゴーエールとなって買い戻しをしてくれることを前提とした求婚なのです。「買い戻す」とは、ルツとその夫が本来所有すべき財産を買い戻すことであり、そこから得られるものは買い戻した者の所有とはならないというのが律法の定めです。それゆえ「買い戻しの権利」は、それを持つ者にとって必ずしも喜ばしいものではなかったのです。なぜならそれは経済的負担を余儀なくされたからです。
  • しかし実際には、ボアズよりもっと近い買い戻しの権利のある親類がいました。それゆえボアズは、その親類が果たして買い戻す意志があるのかどうかを確認する必要がありました。その親類が買い戻す意志がなければ、「私があなたを買い戻します」と約束したのです。ルツの求婚は受け入れられましたが、果たして事はどうなるのか、その結論は天に預ける他ありませんでした。

3. 事のなりゆきをじっと見守る二人

  • 3章の最後のナオミのことば(18節)に注目したいと思います。

    【新改訳】
    「娘よ、このことがどうおさまるかわかるまで待っていなさい。あの方は、きょう、そのことを決めてしまわなければ、落ち着かないでしょうから。」
    【新共同訳】
    「わたしの娘よ、成り行きがはっきりするまでじっとしていなさい。あの人は、今日中に決着がつかなければ、落ち着かないでしょう。」
    【関根訳】
    「息子よ、事がどう運ぶか分かるまで待ちなさい。今日このことを終えるまで、あの方はじっとしていないでしょうから。」
    【樋口訳】
    「娘よ、静かにしていなさい。この成り行きがはっきりするまで。あの人は、きょうそのことを決めてしまわなければ、休まれないでしょうから。

  • 自分から行動を起こすときと、その結果をじっと待つこととは別のことです。ナオミとルツとはすべてボアズにゆだねるほかありませんでした。私たちは行動が先だって失敗することがおうおうにしてあります。事がどうなるのか、成り行きがどうなるのかだれにもわかりません。しかし大切なことは、神を信頼することです。
  • 「待っていなさい」と訳されたヘブル語は「ヤーシャヴ」(יָשַׁב)で、「住む、とどまる、座る」という意味があります。じっと座っていること、落ち着いて静かにしていることが勧められています。あたかも、ナオミはボアズの性格を良く知っているかのようです。果たして成り行きはどうなるのか、その結論は神にまかせる他ありませんでした。


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