ルツ記の真のゴーエールは誰か
「ルツ記」の瞑想(改)の目次
5. ルツ記における真のゴーエールとは誰か
前へ |
聖書箇所 4章13~22節
はじめに
- ルツ記がもし映画化されるとしたら、映画の最初のシーンはどのようにするだろうか、どのようにはじまるべきだろうか。だれの目(視点)をもってこの物語を展開すべきであろうか。脚本家(あるいは監督)になって想像してみるのも面白いかもしれません。このことはルツ記をどう理解するかということと関係します。
- ルツ記の展開を追っていくと、ナオミとルツが持つ土地の借用権(所有権は神のもの)を買い戻す権利をもっている「ゴーエール」(買い戻す資格のある者)として、ボアズにスポットが当てられているように見えます。ところが、最後の段になって、本当の「ゴーエール」はボアズではなく、ボアズとルツの間に生まれたオベデ、このオベデこそ真の「ゴーエール」であることが明らかとなってきます。物語の流れのすべてはこのオベデに辿りついているのです。エリメレクの一家も、異邦人のルツも、そしてボアズもすべて脇役という位置づけになります。オベデが主役と言っても、このオベデの物語はありません。ただ彼の存在だけが重みを放っているのです。オベデを抱くナオミの眼差し、そこに行き着くまでの神の不可思議な導き、ルツ記はその導きのすべてを描いていると言ってもよいかもしれません。
1. 神の意図的な介入
- 4章13節以降に注目したいと思います。
「こうしてボアズはルツをめとり、彼女は彼の妻となった。彼が彼女のところにはいったとき、主は彼女をみごもらせたので、彼女はひとりの男の子を産んだ。」(13節)
- 「こうして」の行き着く先は「ひとりの男の子」です。ルツ記の物語の行き着くところはこの「ひとりの男の子」に向かっており、その男の子の名は「オベデ」で、主はルツを「みごもらせた」とあります。ルツをみごもらせたのは主です。
- 「みごもらせる」と訳された言葉は、「与える」という意味の動詞「ナータン」(נָתַן)と「受胎、妊娠、はらむこと」を意味する名詞の「ヘーラーヨーン」(הֵרָיוֹן)が合わさったものです。受胎させた主体である「主」が強調されています。名詞の「ヘーラーヨーン」(הֵרָיוֹן)の動詞は「ハーラー」(הָרָה)で、普通に「みごもる」という意味です。創世記に多く使われている動詞です(初出は4:1)。普通に性的な交渉によって妊娠することを意味します。その動詞の主語は妊娠した女性がほとんどです。
- ですから、ルツ記4章13節のように「主は彼女をみごもらせた」という表現はとても珍しいのです。普通に、ボアズがルツのところに入ったので、ルツは「みごもった」とすればよいところを、あえて「主は彼女をみごもらせた」としているところに神の意図的な介入が強調されているように思います。
- ちなみに、旧約で名詞の「ヘーラーヨーン」(הֵרָיוֹן)が使われているのは、ルツ記のこの箇所の他にもう一箇所、ホセア書9章11節にしかありません。ホセア書の場合はイスラエルの運命の「たとえ」として使われているので、実質的に人間の誕生において主が「みごもらせた」という表現はルツ記のここ一箇所ということになります。主が「みごもらせた」結果として生まれたのが「ひとりの男の子」なのです。
2. ルツ記の真のゴーエールは「オベデ」
- この「ひとりの男の子」の存在について、ルツ記ではナオミの女友だちを通して語る設定になっています。14~15節を見てみましょう。
14 女たちはナオミに言った。「イスラエルで、その名が伝えられるよう、きょう、買い戻す者をあなたに与えて、あなたの跡を絶やさなかった【主】が、ほめたたえられますように。
15 その子は、あなたを元気づけ、あなたの老後をみとるでしょう。あなたを愛し、七人の息子にもまさるあなたの嫁が、その子を産んだのですから。」
- 14節にある「買い戻す者」とはボアズのことではありません。オベデのことです。この子がナオミを「買い戻す」(ゴーエール)と言われているのです。それはこの子が、成長するに及んでナオミの財産を贖うだけでなく、ルツの子であると同時に、ナオミの子でもあったからです。17節には「近所の女たちは、『ナオミに男の子が生まれた。』と言って、その子に名をつけた。彼女たちは、その名をオベデと呼んだ。」とあります。驚くべきことに、生まれた子を「オベデ」と名づけたのは、なんと近所の女たちだったのです。信じられないような話です。両親でもなく、祖母のナオミでもなく、近所のおばさんたちがその子を「オベデ」と呼んだというわけですから。オベデは、ナオミを元気づけ(いのちの回復者)、ナオミの老後をみとり(養育者)、ナオミを愛することを預言しています。ナオミはオベデの育ての親(養母)となりました。
- 「オベデ」עוֹבֵדという名(正確には「オーヴェード」)は、「仕える」という意味の動詞「アーヴァド」עָבַדの名詞形「エヴェド」(עֶבֶד)から来ています。この名前は「しもべ」を意味します。やがて「神のしもべ」として遣わされる真のゴーエール(贖い主)としてのイエス・キリストを指し示しています。イエス・キリストは私たちの罪による悲惨な状態から救い出すだけでなく、神の子としての権利を回復してくださるゴーエール(贖い主)なのです。オベデの存在はそのことを預言的に指し示しているのです。
a:10759 t:2 y:1