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ルーアッハ


No.26「 ルーアッハ」(רוּחַ)

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「地は茫漠として何もなく、・・・
神の霊がその水の面を動いていた。」(創世記1:2)

●創世記1章1節は聖書全体のタイトルです。「はじめに」と訳された「べレーシート」は「(死者の中からよみがえられた)初穂であるキリストによって」と読むことができます。そのキリストによって、「天と地」つまり「神と人がともに住む家(神殿)」を「神が再創造する」という聖書全体のストーリーが表されているのです。物語は2節から始まります。ところが、その冒頭には「地は茫漠として何もなく・・神の霊(ルーアッハ:רוּחַ)がその水の面を動いていた」とあります。それは地において、神の霊と水(=神のことば)が混じり合うことなく、分離していたことを意味しています。その状態から神は光を呼び出されました(3節)。その「光」とは光源としての光ではなく、神のご計画とみこころ、みむねと目的を意味します。

●イェシュアは、訪ねて来たニコデモに「まことに、まことに、あなたに言います。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません」(ヨハ3:3)と言われました。彼は「人は、老いていながら、どうやって生まれることができますか。もう一度、母の胎に入って生まれることなどできるでしょうか」と答えます。するとイェシュアは再度「人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることはできません。肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です」と言われました。人が「新しく生まれる」ことと「水と御霊によって生まれる」ことは同義です。イェシュアの語ることばは「水」であり、同時に「霊」です(ヨハ6:63)。これを「水と御霊によって」と言い表しています。つまり「わたしによって生まれなければ、神の国に入ることはできない」ということです。

●人はアダムの罪により、生まれながらにして神とのかかわりが死んだ状態で生まれてきます。それを「肉によって生まれた」と言います。「肉」とは「たましい(=心)」と「からだ」です。人ははじめ、神から「いのちの息」を吹き込まれて生きるものとされました(創2:7)。しかし、神の霊を吹き込まれた「人の霊」の部分が、アダムの罪によって機能不全に陥ったのです。ですから、人は生まれながらにして神を知ることも、神のことばを理解することもできないのです。イェシュアが遣わされたのは人の霊を回復するためであり、その回復はイェシュアが栄光を受けられてから、つまりイェシュアの死と復活を通してです。その時まで「御霊はまだ下っていなかった」(原文は「まだなかった」ヨハ7:39)からです。しかし復活されたイェシュアが「いのちを与える御霊」となり(Ⅰコリ15:45)、機能不全となっていた人の霊の中に入る(内住する)ことで、「キリストによる新創造(再創造)」がなされました。このことにより、人は「新しく生まれる」こと、そして「神の国に入る」ことができるようになったのです。「人が霊(ルーアッハ)によって生きること」は、神と人がともに住むための、神の長年の悲願だったのです。

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