****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

一つの詩篇の全体像を把握すること

13. 一つの詩篇の全体像を把握すること

  • もし、楽譜を読むことのできない人がオーケストラのスコア(総譜)を見るならば、おそらくその人の目には音符の洪水にしか見えません。しかし楽譜を読むことのできる人は、そこに一つの主題となるメロディーがあり、それがいかに展開していくか、その様子を目で聴くことができます。同様に、詩篇を味わう場合にも、そうした能力を培うならば、一つの主題のもつ広がりや深さを、よりダイナミックに味わうことができると信じます。
  • あるひとつの詩篇を瞑想するとき、その詩篇の全体像(構成)を把握することは大切だと信じます。全体像が把握できないと神を瞑想できないというわけではありません。その中の1節(あるいは数節)なり、一つのことばを、全体のコンテキスト(文脈)と切り離して味わうことができます。神様は、あることばを全体のコンテキストから切り離して私たちに語りかけることがしばしばあるのです。しかしながら、ひとつの詩篇には、ひとつの主題をもっており、それが展開されています。それを見いだすことは、その詩篇が一番いいたいことを見つけることでもあります。文字の多さや、耳慣れない表現に惑わされないで、その詩篇が最も主張したいことを把握するためには、詩篇の構造の特徴を知っておくことが理解を助けます。その特徴の一つは、しばしば、結論が冒頭に来ているということです(もちろん、最後にくることもあります)。とても大切な問いかけや、その問いかけの行き着いた結論が冒頭に来ていることが多いということです。
  • 日本の俳句や短歌にもそれ独自の文体や構造があるように、詩篇にも詩篇独自の文体や構造があります。そうしたことに目が開かれ、その面白さに気づかれることも、詩篇瞑想の楽しみの一つではないかと思います。

powered by Quick Homepage Maker 5.2
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional