****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

三つの主の例祭

【補完10】三つの主の例祭


【聖書箇所】申命記 16章1~22節

ベレーシート

  • 申命記16章には、イスラエルの民が生涯にわたって記念すべき三つの祭りが規定されています。

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(1) 1~8節 過越の祭り(「ペサハפֶּסַח)
(2) 9~12節 七週の祭り(「シャーヴオーットשָׁבֻעֹת)
(3)13~17節 仮庵の祭り(「スッコートסֻּכּוֹת)

  • イスラエルの民に主が規定された祭りには、すべて主のご計画のマスタープランが啓示されています。すでにそれが歴史の中で成就したものもあれば、これから起こるものもあります。(1)の「過越の祭り」はイェシュアの十字架の死と復活において、(2)の「七週の祭り」は聖霊の降臨によって教会が誕生したことで実現しています。ところが(3) の「仮庵の祭り」はいまだ実現していないイェシュアの再臨が啓示されているのです。
  • キリスト教の三大祝祭は、第一にイェシュアの誕生をお祝いする「クリスマス」として、第二はイェシュアの十字架と復活を記念する「イースター」として、第三は聖霊降臨による教会の誕生を祝う「ペンテコステ」として定着しています。しかしその祝祭はいわば形骸化したもの(異教的な祭り)となっています。主の定めた永遠のご計画という視点によってこれらの祭りを取り戻し、その祭りが啓示していることをより深く知り、祭りを回復する必要があるように思われます。

1. 過越の祭り(「ペサハפֶּסַח)

  • この過越の祭りは、本来、出エジプトの前夜に神がエジプトの長子(初子)を打ってエジプトをさばかれたとき、イスラエルの民は神から命じられたとおり、犠牲の子羊の血を家の入り口の柱とかもいに塗ることで神のさばきが見過ごされたことで、「過越の祭り」と言われました。イスラエルの民はこれを主への祭りとして祝い、代々守るべき永遠のおきてとして祝うよう制定されたのでした。しかしこれはやがて神の御子イェシュアご自身か小羊となって死なれ、その血によって神のさばきを免れることができるという贖罪の「型」でした。
  • この祭りの特徴は、イスラエルにとっては子羊の血の贖いによってエジプトの支配から救い出されたことを想起し、かつ大麦の初穂をささげること、および六日間の「種を入れないパンを食べる」という集会を伴っていました。その意味することは、後にイェシュアの十字架の死による贖いと初穂としてのイェシュアの復活を記念して、それにあずかる者たちが神の民としてふさわしく生きることを目指した聖なる集会(聖会)を意味していたのです。それは聖餐にあずかることがどういうことかを意味しています。
  • とすれば、私たちキリスト者は八日間の「過越の祭り」を通して、イェシュアの受難と死、そしてよみがえりの意味を深く理解する時として、この祭りを意義づける必要があります。「過越の祭り」は、過去の出来事を想起して感謝するだけでなく、キリストのからだと血にあずかる聖餐の奥義を深く味わう時としなければなりません。イスラエルの民がそうであったように、そのために八日間の祭りが必要であったことを思い起こす必要があります。

2. 七週の祭り(「シャーヴオーットשָׁבֻעֹת)

  • 初穂の祭りから五十日目に「七週の祭り」の規定がありました。この祭りは小麦の初穂で作ったパン(種の入ったパン)を二個ささげる祭りです。これは後に「聖霊降臨祭」(ペンテコステ)となりましたが、この祭りが啓示していることは、「二個のパン」がささげられたことが示しているように、神のご計画には「二つ」「二種類」「二段構え」があるという啓示です。
  • たとえば「ユダヤ人と異邦人」、これが教会のメンバーとなります。他に「教会とイスラエル」、「すでにといまだ(Already but not yet)」、「二度の聖霊の注ぎ」(最初は教会誕生の時、もう一つはイスラエルが民族的に神に立ち返る時)、「空中再臨と地上再臨」、「ペテロとパウロ」(ユダヤ人と異邦人の宣教の働き)、「千年王国と新天新地」・・など。神のご計画における「二つ」が意味することすべてを含んでいます。そして「神と人」「夫と妻」「花婿と花嫁(イェシュアと教会)」「父と子」など、これらの二つを一つにされる方こそ「聖霊」(御霊)でもあります。神のご計画においてこの奥義をもっと深く探ることも「ペンテコステ」を祝う意義となります。この奥義は、わずか一日で味わうことなどとてもできない内容です。教会はこの祝祭を祭り化して、毎年、じっくりと取り組む必要があると思います。

3. 仮庵の祭り(「スッコートסֻּכּוֹת)

  • イェシュアの誕生は仮庵の祭りの頃だということが、今日、ある人たちの間では常識となっています。そもそも秋の仮庵の祭りは、イェシュアの誕生だけでなく、公生涯(33年半)の開始の時期であり、またイェシュアがやがて地上に帰ってくる時期でもあります。まさに仮庵の祭りの時期には共通して、神のご計画における新しいことが起こるのです。空知太栄光キリスト教会では、今年の10月に八日間にわたる第三回目の「セレブレイト・スッコート」を開催しました。
  • 仮庵の祭りは、本来、エジプトの国からイスラエルの民が主によって連れ出されたとき、主が彼らを仮庵に住まわせたことを後の世代が知るためのものでした。約束の地を望みつつ仮庵に住むことは、私たちが天の御国に神とともに住むことを待ち望むことを意味しています。荒野において、彼らは生存と防衛の保障を神によって与えられ続けたのです。この世においては寄留者である私たちも同じく主からの保障を与えられつつ、やがて主が再び来られることを待ち望む祭りとして、きわめて意義のある祭りと言えます。

最後に

  • キリスト教会が神のご計画を単に頭で知るだけでなく、旧約の三つの例祭に秘められていた意味を御国の視点から再解釈し直して、これらの祭りを回復する必要があると信じます。そして形骸化されつつある祝祭にいのちを取り戻し、神のご計画に深く参与していく機会とする取り組みは価値があるように思います。小さなところから・・・。

2017.10.20


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