****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

世の終わりのしるしとしての「大患難」


104. 世の終わりのしるしとしての「大患難」(オリーブ山の説教②)

【聖書箇所】マタイの福音書24章15~31節

ベレーシート

●オリーブ山の説教の第二回目は、マタイの福音書24章15~31節に記されている「世の終わりのしるし」、すなわち「大患難」です。「世の終わり」とは「エルサレムにおける異邦人の支配の終わり」を意味するものです。そして、それは以下のみことばが回復することです。

【新改訳2017】詩篇132篇13~14節
13 【主】はシオンを選び それをご自分の住まいとして望まれた。
14 「これはとこしえにわたしの安息の場所。ここにわたしは住む。わたしがそれを望んだから。・・」

●神の都エルサレム(シオン)に対する神のみこころは永遠に変わりません。ところが、長い間、そこが異邦人に支配されて来たのです。バビロン捕囚から始まって、メディア・ペルシア、ギリシア、ローマ、そして今日に至ってもそうです。しかしやがて異邦人の支配が終わる時が来ます。それが「世の終わり」です。そのしるしは獣と呼ばれる反キリストの「大患難」によって「終わる」のです。それは創世記1章2節にあるように、まさに「地は茫漠として何もない」(「トーフー・ヴァヴォーフー」תֹהוּ וָבֹהוּ)という状態になります。そこに神ガ言われた「わたしはダビデのために一つの角を生えさせる。わたしに油注がれた者(メシア)のためにともしびを整える。わたしは彼の敵(サタン)に恥をまとわせる。しかし彼(メシア)の上には王冠が光り輝く。」(詩篇132:17~18)ということが実現されるのです。

●さて、マタイ24章ではイェシュアの弟子たちが三つの質問をしました。それが以下の三つです。
①「いつ、そのようなことが起こるのか」(=エルサレムが破壊されること)
②「あなたが来られるしるしはどのようなものか」
③「世が終わる時のしるしはどのようなものか」
そして、これらの質問にイェシュアが答えたのが、15~31節です。しかもユダヤ人に対して答えられました。ここで今回のテキストを読んでみましょう。それから一つ一つの箇所を説明していきたいと思います。

1. 『荒らす忌まわしいもの』が聖なる所に立つのを見たら

【新改訳2017】マタイの福音書24章15節
それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす忌まわしいもの』が聖なる所に立っているのを見たら──読者はよく理解せよ── 

●イェシュアはここで「読者はよく理解せよ」(以前の訳は「読者はよく読み取るように」)と付け加えています。なぜイェシュアがそのように付け加えたかといえば、ダニエルの預言を誤解しないようにという配慮からです。もし、このダニエルの預言をA.D.70年のローマのタイタスによるエルサレムの崩壊として理解するだけならば、正しく理解したことにならないからです。タイタスの時にはその一部が成就したにすぎません。その証拠に「預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす忌まわしいもの』が聖なる所に立っているのを見たら」、つまり、神殿に忌むべき偶像が置かれたならば、それからメシアが出現するまでの期間は、三年半です。従ってこの預言がタイタスに対するものだけであるなら、すでにエルサレムにおける異邦人の支配は終わっていることになります。しかし異邦人の支配はいまだに続いています。本当の「終わり」(「ホ・テロス」ὁ τέλος)はこれからなのです。

●イェシュアが語ったのはダニエル書9章27節のみことばです。実は原文を見るととても難しいのです。それが以下の訳文にもよく表わされています。大きく異なっている所は太字の部分です。

新改訳2017
彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえとささげ物をやめさせる。忌まわしいものの翼の上に、荒らす者が現れる。そしてついには、定められた破滅が、荒らす者の上に降りかかる。
新共同訳
彼は一週の間、多くの者と同盟を固め/半週でいけにえと献げ物を廃止する。憎むべきものの翼の上に荒廃をもたらすものが座す。そしてついに、定められた破滅が荒廃の上に注がれる。」
回復訳
彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結ぶ、その週の半ばに、彼は犠牲と供え物をやめさせ、その犠牲と供え物を、荒らす者の忌むべきものに置き換え、ついにさだめられていた完全な破壊が、荒らす者の上に注ぎだされる。

●新改訳の「現れる」、新共同訳の「座す」、回復訳の「置き換え」は原文にはありません。また「翼の上に」という意味がはっきりしません。おそらくマタイがこの箇所を「『荒らす忌まわしいもの』が聖なる所に立っているのを見たら」と記していなければ、解釈が難しいです。「荒らす忌まわしいもの」とは偶像です。そしてその偶像が「聖なる所に立つ」とは神殿の至聖所に置かれることを意味します。回復訳の「その犠牲と供え物を、荒らす者の忌むべきものに置き換え」の訳が比較的分かりやすいです。そのようなことが起こったなら、未曽有の大患難が到来するのです。

2. 未曽有の大きな苦難(大患難)の到来

【新改訳2017】マタイの福音書24章16~21節
16 ユダヤにいる人たちは山へ逃げなさい。
17 屋上にいる人は、家にある物を取り出そうとして下に降りてはいけません。
18 畑にいる人は上着を取りに戻ってはいけません。
19 それらの日、身重の女たちと乳飲み子を持つ女たちは哀れです。
20 あなたがたの逃げるのが冬や安息日にならないように祈りなさい。
21 そのときには、世の始まりから今に至るまでなかったような、また今後も決してないような、大きな苦難があるからです
22 もしその日数が少なくされないなら、一人も救われないでしょう。しかし、選ばれた者たちのために、その日数は少なくされます。

(1) 大患難に対する対処

●『荒らす忌まわしいもの』が聖なる所に立っているのを見たなら、それが大患難のはじまりなのです。訳文にはありませんが、原文は「そのとき、ユダヤにいる人たちは山へ逃げなさい」と冒頭に接続詞が入っています。つまり、即刻、ユダヤ人に対する迫害が始まることを示しています。イェシュアは反キリストの台頭に対して、「山に逃げよ」と警告しました。事実、ローマのタイタスの時にはユダヤ人はオリーブ山に逃げたそうですが、黙示録12章6節では「女(=イスラエル)は荒野に逃れた」とあります。「逃げよ」「逃れた」も同じ「フューゴー」(φεύγω)という語彙です。その逃れた場所とは今日のヨルダン南部にある「ボツラ」(ギリシア語では「ペトラ」)です。ボツラ(בָּצְרָה)は「エドムの町の主要都市の一つ」であり、セイル山の山脈の中にあります。す。「ボツラ」という語彙には「囲い、(羊の)おり」(ミカ2:12)という意味があります。語源の「バーツァル」(בָּצַר)は、「堅固にする、近寄りがたくする」といった「要害」としての意味合いがあります。

●ところが、「蛇はその口から、女のうしろへ水を川のように吐き出し、彼女を大水で押し流そうとした」(黙12:15)とあります。蛇とは反キリストで、女はイスラエルのことです。「水」「大水」は反キリストが集めた諸国の軍勢を意味します。しかし、「女には大きな鷲の翼が二つ与えられた。荒野にある自分の場所に飛んで行って、そこで一時と二時と半時の間、蛇の前から逃れて養われるためであった」とあるように、女イスラエルが産みの苦しみによって産んだイスラエルの残りの者を、神は反キリストの軍勢から守ります。彼らはやがて「恵みと嘆願の霊」(ゼカリヤ書12:10)によってイェシュアがメシアであることを悟り、悔い改め、その名を呼び求めます。反キリストはエルサレムを破壊するだけでなく、ボツラに隠れているイスラエルの残りの者たちを攻撃しようと軍勢を派遣します。しかし、その場所にメシアが地上再臨され、イスラエルの残りの者たちは助け出されるのです。そのあとにメシアはオリーブ山に立ち(ゼカリヤ14:4)、反キリストとその軍勢を滅ぼされます。このことを記しているのが黙示録19章11~21節ですが、今回はそこを割愛します。

●いずれにしても、反キリストによる未曽有と言われる大患難は一刻の猶予もないことが、「屋上にいる人は、家にある物を取り出そうとして下に降りてはいけません」、「畑にいる人は上着を取りに戻ってはいけません」、「それらの日、身重の女たちと乳飲み子を持つ女たちは哀れです」ということばに表されています。特に、身重の女たちや乳飲み子を持つ女たちは、急いで逃げることができないので、イェシュアは「哀れ」(不幸、悲惨)だと言っています。また、「あなたがたの逃げるのが冬や安息日にならないように祈りなさい」とも言っています。冬は野宿もできないため、冬に逃げることは死を意味します。また「安息日」を守ろうとすることも、全く意味をなさないことを警告しています。「安息日」とあることから、この話がユダヤ人に向けられたものであることを再度証明しています。とにかく「逃げよ」、もたもたしていてはならないということです。なぜなら、「そのときには、世の始まりから今に至るまでなかったような、また今後も決してないような、大きな苦難があるからです。」(21節)

●私たちの想像を超えた苦難の到来です。これまでも、ユダヤ人は異邦人から多くの迫害を受けてきました。しかしここでは「世の始まりから今に至るまでなかったような、また今後も決してないような、大きな苦難」と言っています。なにゆえに、ユダヤ人は迫害を受けて来たのでしょうか。いろいろな理由が考えられますが、真の理由は霊的なものです。つまり、神の敵であるサタンによって攻撃の的とされたからです。ユダヤ人の先祖であるアブラハムが神から召し出されたときのことばを見てみましょう。

【新改訳2017】創世記12章1~3節
1 【主】はアブラムに言われた。「あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい。
2 そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとする。あなたは祝福となりなさい。
3 わたしは、あなたを祝福する者を祝福し、あなたを呪う者をのろう。地のすべての部族は、あなたによって祝福される。

●サタンがユダヤ人を迫害する最大の理由は、アブラハムに対する神の約束にあります。それは、アブラハムとその子孫が「地のすべての部族を祝福する者となる」からです。「祝福する」という務めは、祭司の務めです。神の祝福を分け与える民となるという約束のゆえに、サタンはそれを妨害するのです。彼らが迫害される理由は、その背景に神とサタンの戦いがあるからなのです。

●神である主は、「アブラハムを祝福する者を祝福し、アブラハムを呪う者をのろう」と言っています。漢字で記された「呪う」には「軽んじる」を意味する「カーラル」(קָלַל)が使われています。一方、ひらがなで記される「のろう」は「アーラル」(אָרַר)が使われています。創世記3章14節で蛇がのろわれた「のろい」がそうです。蛇であるサタンに対するのろいは、「永遠に苦しみを受けて火の池に投げ込まれる」定めにあるということです。それゆえユダヤ人の存在をサタンは徹底的に憎んでいるのです。しかし、神はユダヤ人を絶対に見捨てることはありません。なぜなら、神がユダヤ人をこの地を祝福するための祭司としてお定めになられたからです。

(2) 大患難の期間

●未曽有の大患難はいつまで続くのでしょうか。マタイ24章22節を見ると「もしその日数が少なくされないなら、一人も救われないでしょう。しかし、選ばれた者たち(=イスラエルの残りの者たち)のために、その日数は少なくされます。」とあります。「少なくされます」とありますが、その期間はどれほどでしょうか。大患難は、27節の「人の子の到来」までです。29節には「そうした苦難の日々の後、ただちに」、30節には「そのとき、人の子のしるしが天に現れます」とあり、大患難の後に直ちに主が再臨(地上再臨)されることが語れています。

●大患難の期間については、聖書のいろいろな箇所で明らかにされています。

①黙 11章2節 「神殿の外の庭はそのままにしておきなさい。それを測ってはいけない。それは異邦人に与えられているからだ。彼らは聖なる都を四十二か月の間、踏みにじることになる。」(=都と神殿は破壊される)
②黙11章3節 「わたしがそれを許すので、わたしの二人の証人は、粗布をまとって千二百六十日間、預言する。」(但し、ここは七年間の前半の期間です)
③黙12章6節 「女は荒野に逃れた。そこには、千二百六十日の間、人々が彼女を養うようにと、神によって備えられた場所があった。」
④黙12章14節「しかし、女には大きな鷲の翼が二つ与えられた。荒野にある自分の場所に飛んで行って、そこで一時と二時と半時の間、蛇の前から逃れて養われるためであった。」
⑤黙 13章5節 「この獣には、大言壮語して冒涜のことばを語る口が与えられ、四十二か月の間、活動する権威が与えられた。」

●以上のように、黙示録では「四十二か月の間」「千二百六十日間」「一時と二時と半時の間」ということばで、三年半を表わしています。イェシュアの公生涯も三年半であったので、サタンの反抗も同じ三年半とされたようです。但し一箇所だけ、「常供のささげ物が取り払われ、荒らす忌まわしいものが据えられる時から、千二百九十日がある。」(ダニエル12:11)と記されています。「千二百六十日」よりも「一か月間」多くなっています。このことは何を意味するのでしょうか。ウオッチマン・ニーは「この一か月間は、患難後の羊とやぎのさばきを指している」と解釈しています(マタイ25章31~46節)。この箇所はイスラエル人に対して、異邦人がどのように取り扱ったかを記している箇所であり、私もこの解釈に同意します。

3.「あなたが来られるしるしはどのようなものか」

●弟子たちの質問に「あなたが来られるしるしはどのようなものか」がありました。質問することは良いことです。なぜなら、弟子たちが質問することで、天の御国の奥義が明らかにされるからです。その答えはしばしば預言的です。預言は「暗い所を照らすともしび」(Ⅱペテロ1:19)です。人が神の預言を知らなければどうなるでしょうか。容易に暗闇の中でつまずき、倒れてしまいます。同様に、主の民とされた私たちも神の預言について耳を傾けることをしないなら、世の情報に翻弄され慌ててしまいます。確かな預言は、聖霊に動かされた者が神から受けて語ったものです。その意味でもイェシュアはまことの預言者であり、最も確かな情報です。イェシュアの語る預言は旧約の預言者たちが語って来たものです。そのイェシュアの預言に目を留めてみましょう。

【新改訳2017】マタイの福音書24章23~31節
23 そのとき、だれかが『見よ、ここにキリストがいる』とか『そこにいる』とか言っても、信じてはいけません。
24 偽キリストたち、偽預言者たちが現れて、できれば選ばれた者たちをさえ惑わそうと、大きなしるしや不思議を行います。
25 いいですか。わたしはあなたがたに前もって話しました。
26 ですから、たとえだれかが『見よ、キリストは荒野にいる』と言っても、出て行ってはいけません。『見よ、奥の部屋にいる』と言っても、信じてはいけません。
27 人の子の到来は、稲妻が東から出て西にひらめくのと同じようにして実現するのです。
28 死体のあるところには、禿鷹が集まります。
29 そうした苦難の日々の後、ただちに太陽は暗くなり、月は光を放たなくなり、星は天から落ち、天のもろもろの力は揺り動かされます。
30 そのとき、人の子のしるしが天に現れます。そのとき、地のすべての部族は胸をたたいて悲しみ、人の子が天の雲のうちに、偉大な力と栄光とともに来るのを見るのです。
31 人の子は大きなラッパの響きとともに御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで四方から、人の子が選んだ者たちを集めます。

(1) 多くの惑わしがある

●27節には人の子の「到来」(「パルーシア」παρουσία)について語られています。その前に、偽キリストたちや偽預言者たちが現れて、「選ばれた者たち」を惑わすと言っています。「選ばれた者たち」とはユダヤ人のことです。その惑わしには、大きなしるしや不思議を伴うこともあります。おそらく、それはサタンが彼らに権威を与えるからです。彼らの「大きなしるしや不思議」は、人々に偽りを信じさせるためです。終わりの時代にはこうした「しるしと不思議」が多くなっていくので私たちも注意が必要です。

●そのような事が起こることを、「わたしは前もって話しました」とイェシュアは述べています。「前もって語る」ということが預言です。未来の事柄を私たちが前もって知らされていることは、何と尊いことでしょうか。黙示録12章6節にあるように、イスラエルの残りの者たちを養うために、神によって備えられた場所があるのです。「ですから、たとえだれかが『見よ、キリストは荒野にいる』と言っても、出て行ってはいけません。『見よ、奥の部屋にいる』と言っても、信じてはいけません。」(26節)と警告しているのです。

(2) 人の子の到来はだれもが見える形で来る

●「到来」(来ること)を意味する「パルーシア」という名詞は、マタイでは24章3節と27節、37節、39節の4回だけに使われています。3節と27節の到来は「地上再臨」でだれでも見ることができますが、37節と39節の到来は「空中再臨」なので誰も見ることはできません。27節にある「人の子が来られるときのしるし」は明確です。それは「人の子の到来は、稲妻が東から出て西にひらめくのと同じようにして実現する」とあるからです。主はイスラエルの残りの者たちのために、秘密裏にやって来るではなく、目に見える形で、天から雲に乗って来られるのです。しかも、人の子が到来する地は、彼らが隠され、養われているボツラです。私たちクリスチャンはこれを地上から見ることはないはずです。患難後携挙説であっても、クリスチャンが地上から見ることは不可能です。なぜなら、教会である私たちはすてに携挙されており、人の子の到来(地上再臨)に天から同行するからです。

28 死体のあるところには、禿鷹が集まります。
29 そうした苦難の日々の後、ただちに太陽は暗くなり、月は光を放たなくなり、星は天から落ち、天のもろもろの力は揺り動かされます。

●28節の「死体のあるところには、禿鷹が集まります」とはどういう意味でしょうか。おそらくこの「死体」とは反キリストによってハルマゲドンに集結した軍勢のことです。彼らはエルサレムでメシアによって滅びます。「禿鷹」とはメシアの軍勢(御使いと勝利者たち)を意味します(黙19:17~18)。

●29節には、イスラエルの民に対する「そうした苦難の日々の後、ただちに太陽は暗くなり、月は光を放たなくなり、星は天から落ち、天のもろもろの力は揺り動かされます。」とあります。本来、「太陽と月と星」とはイスラエルの民を象徴しますが(黙12:1)、ここでは字義どおりに考えるなら、大患難後には自然界の異変が起こることが語られていると考えられます。自然界の1/3の光を失うという、誰もが見える天の異変が起こることが預言されています。これは大患難が始まる時に起こる天の異変(黙6章12~13節の「第六の封印」、8章12節の「第四のラッパ」)とは異なります。大患難時代には繰り返し天の異変が起こるようです。そして、人の子が到来するのです。

30 そのとき、人の子のしるしが天に現れます。そのとき、地のすべての部族は胸をたたいて悲しみ、人の子が天の雲のうちに、偉大な力と栄光とともに来るのを見るのです。
31 人の子は大きなラッパの響きとともに御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで四方から、人の子が選んだ者たちを集めます。

●そのとき、だれもが見える人の子のしるしが天に現れます。つまり、「人の子が天の雲のうちに、偉大な力と栄光とともに来る」のを見るのです。それは地に住む者たちにとって裁きの時となります。ですから、「胸をたたいて悲しむ」時となるのです。さらに、人の子の到来は、大きなラッパの響きとともに御使いたちが遣わされ、「天の果てから果てまで四方から、人の子が選んだ者たちを集め」るのを見ることにもなります。エルサレムに「人の子が選んだ者たちを集め」るという光景は、旧約の中に何度も繰り返されてきた預言が成就することであり、圧巻の出来事となるはずです(脚注※)。

●以下は、信仰の試練に勝利したアブラハムに対して語られた約束です。

【新改訳2017】創世記22章15~17節
15 【主】の使いは再び天からアブラハムを呼んで、
16 こう言われた。「わたしは自分にかけて誓う──【主】のことば──。あなたがこれを行い、自分の子、自分のひとり子を惜しまなかったので、
17 確かにわたしは、あなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように大いに増やす。あなたの子孫は敵の門を勝ち取る。

●最後に一つの質問をしたいと思います。上記にあるように、アブラハムの子孫は、いつ、どのようにして、空の星、海辺の砂のように大いに増えることになるのでしょうか。それぞれ考えてみましょう。


脚注※
【新改訳2017】エレミヤ書32章37~41節
37 「見よ。わたしは、かつてわたしが怒りと憤りと激怒をもって彼らを散らしたすべての国々から、彼らを集めてこの場所に帰らせ、安らかに住まわせる。
38 彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。
39 わたしは、彼らと彼らの後の子孫の幸せのために、わたしをいつも恐れるよう、彼らに一つの心と一つの道を与え、
40 わたしが彼らから離れず、彼らを幸せにするために、彼らと永遠の契約を結ぶ。わたしは、彼らがわたしから去らないように、わたしへの恐れを彼らの心に与える。
41 わたしは彼らをわたしの喜びとし、彼らを幸せにする。わたしは、真実をもって、心と思いを込めて、彼らをこの地に植える。」

【新改訳2017】エゼキエル書36章24~28節
24 わたしはあなたがたを諸国の間から導き出し、すべての国々から集め、あなたがたの地に連れて行く。
25 わたしがきよい水をあなたがたの上に振りかけるそのとき、あなたがたはすべての汚れからきよくなる。わたしはすべての偶像の汚れからあなたがたをきよめ、
26 あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を与える。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。
27 わたしの霊をあなたがたのうちに授けて、わたしの掟に従って歩み、わたしの定めを守り行うようにする。
28 あなたがたは、わたしがあなたがたの先祖に与えた地に住み、あなたがたはわたしの民となり、わたしはあなたがたの神となる。

【新改訳2017】ミカ書2章12~13節
12 ヤコブよ。わたしは、あなたを必ずみな集めイスラエルの残りの者を必ず呼び集める。わたしは彼らを、囲いの中の羊のように、牧場の中の群れのように、一つに集める。こうして、人々のざわめきが起こる。
13 打ち破る者は彼らの先頭に立って上って行く。彼らは門を打ち破って進み、そこを出て行く。彼らの王が彼らの前を、【主】が彼らの先頭を進む。」
※ここではボツラにいるイスラエルの残りの民を集めることを言っています。


2021.5.30
a:3517 t:2 y:0

powered by Quick Homepage Maker 5.2
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional