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主が声を出すと、水のざわめきが天に

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65. 主が声を出すと、水のざわめきが天に起こる

【聖書箇所】 エレミヤ書 51章16節

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【読み】
ール ティー ハーン イム バッシャーマイム
ヴァッアル ネシーム ミクツェー ーレツ 
ベラーーム ラマーール  アー
ヴァーツェー ルーアッハ メオーツローター

【文法】
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【翻訳】

【新改訳改訂3】
主が声を出すと、水のざわめきが天に起こる。主は地の果てから雲を上らせ、雨のためにいなずまを造り、その倉から風を出される。
【口語訳】
彼が声を出されると、天に多くの水のざわめきがあり、また地の果から霧を立ちあがらせられる。彼は雨のためにいなびかりをおこし、その倉から風を取り出される。
【新共同訳】
主が御声を発せられると天の大水はどよめく。地の果てから雨雲を湧き上がらせ/稲妻を放って雨を降らせ/風を倉から送り出される。
【岩波訳】
(その)ヤハウェが声を発すると、天の大水は、ざわめく。彼(ヤハウェ)は地の果てから雲を上らせ、雨のために稲妻を造り、その倉から霊風を吹き出させる。
【関根訳】
彼その声出だせば天に多くの水あり、地の果てより雲は起こる。彼は稲妻を雨の為に作り、風をその身よりいだし給もう。
【バルバロ訳】
み声のとどろきに、天の水は声をあげる。彼は地のはてから雲をのぼらせ、雨の稲妻をつくり、その倉から風を引き出される。
【NKJV】
When He utters His voice-There is a multitude of waters in the heavens: "He causes the vapors to ascend from the ends of the earth ;He makes lightnings for the rain; He brings the wind out of His treasuries."

【瞑想】

エレミヤ書51章は、13節、「大水のほとりに住む財宝豊かな者よ。あなたの最期、あなたの断ち滅ぼされる時が来た。」とあるように、バビロンの最期が描かれています。それがいかに確実なことであるか、またそれがどのようにして遂行されるのかを、万軍の主はご自分をさして誓って言われました。その中に御使いたちの表象が語られています(16節)。

主はバビロンを滅ぼす手段として他国人を送られますが、その他の手段として、主に仕える御使いたちも動員されるのです。エレミヤ書51章16節(10章13節も同様の記述がありますが、イスラエルの家に対するさはぎの預言の中に置かれています)には、その御使いたちのさまざまな表象が描かれています。御使いたちのさまざまな表象を知ることは、聖書全体における神のみわざの顕現を理解する上できわめて重要です。特に、キリストの再臨を描く記述では特に重要なのです。

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上記の聖句には、「声」「水」「雲」「雨」「いなずま」「風」の表象が取り上げられています。それぞれヘブル語で「声」は「コール」(קוֹל)、「水」は「マイム」(מַיִם)、「雲」は「ナーシー」(נָשִׁיא)、「雨」は「マータール」(מָטָר)、「いなずま」は「バーラーク」(בָּרָק)、「風」は「ルーアッハ」(רוּחַ)、これらを順に見ていきます。


(1) 声 (音、雷鳴)
神の「声」は、「音」や「雷鳴」とも関係があり、また、「息」や「風」とも連動します。「声」は第一義的には神ご自身の臨在を表わしますが、神に仕える御使いたちも神のメッセンジャーとして人に語りかけます。聖書にはそのような場面が数限りなくあります。たとえば、出エジプト記3章2節では、神の山ホレブで主の使いがモーセに現われます。御使いは柴の中の火の炎の中にいました。よく見ると、火で燃えているのに柴は焼け尽きなかったのです。この光景を目にしたモーセがもっとよく見ようと近づいたとき、「モーセ、モーセ」と呼ぶ神の声を聞きました。見ているのは御使いであるにもかかわらず、耳にした声は主ご自身の声でした。主が声を出されるときに、そこに御使いがいることが分かります。

主の民が敵との戦いに際してしばしば雷鳴が伴っています。たとえば、Ⅰサムエル記7章10節にはこうあります。「ペリシテがイスラエルと戦おうとして近づいて来たが、主はその日、ペリシテ人の上に、大きな雷鳴をとどろかせ、彼らをかき乱したので、彼らはイスラエル人に打ち負かされた。」とあります。「雷鳴」は単なる自然現象ではなく、そこに御使いたちがかかわっています。「主は、はむかう者を打ち砕き、その者に、天から雷鳴を響かせられる」からです(Ⅰサムエル2:10)。詩篇18篇13~14節も参照。

御座からは、神の力と栄光が、稲妻や雷鳴のとどろきのように起こっているのをヨハネは見ています(ヨハネの黙示録4:5)。御使いが天の金の香炉を取り、祭壇の火でそれを満たして地に投げつけると、雷鳴と声と稲妻と地震が起こりました(同、8:5、16:18)。

(2) 水 (ざわめき、大雨)
「水」はすべての被造物にとって必要不可欠なものですが、ノアの時代、神が地をさばかれる時、巨大な大いなる水の源が張り裂け、天の水門が開かれたため、地に大洪水が起こったと記されています(創世記7:10~11)。神は水によるさばきがないことを約束しておられます。

「(主よ、あなたは)・・水の中にご自分の高殿の梁を置き、雲をご自分の車とし、風の翼に乗って歩かれます。風をご自分の使いとし、焼き尽くす火をご自分の召使とされます。」(詩篇104篇3~4節ーここにある「水」「雲」「風」「火」もすべて御使いの表象です)。

(3) 雲 (密雲、濃い雲、雲の柱)
「雲」も御使いの表象です。出エジプト記40章はモーセの幕屋が完成したことを記している章です。34節以降に「栄光の雲」についての記述があります。

34 そのとき、は会見の天幕をおおい、【主】の栄光が幕屋に満ちた。35 モーセは会見の天幕に入ることができなかった。がその上にとどまり、【主】の栄光が幕屋に満ちていたからである。36 イスラエル人は、旅路にある間、いつもが幕屋から上ったときに旅立った。37 が上らないと、上る日まで、旅立たなかった。38 イスラエル全家の者は旅路にある間、昼は【主】のが幕屋の上に、夜はの中に火があるのを、いつも見ていたからである(【新改訳改訂第3版】出エジプト40章34~38節)。

昼間は「」ですが、夜になると「火」になるのです。これは文字通りの意味ではなく、御使いの表象です。御使いが神の民を導き、そして守ったのです。また「雲の柱」「火の柱」という表現も御使いの表象です。「モーセが天幕に入ると、雲の柱が降りて来て、天幕の入り口に立った。主はモーセと語られた。民は、みな、天幕の入り口に雲の柱が立つのを見た。民はみな立って、おのおの自分の天幕の入り口で伏し拝んだ」(出33:9~10)。とあります。雲の柱の中に主が臨在しておられるのです。

ソロモンが神殿を奉献した時にもそのことが現わされています。

10 祭司たちが聖所から出て来たとき、が【主】の宮に満ちた。11 祭司たちは、そのにさえぎられ、そこに立って仕えることができなかった。【主】の栄光が【主】の宮に満ちたからである(【新改訳改訂第3版】Ⅰ列王記8章10~11節)。

ちなみに、 8章12節で「主は、暗やみの中に住む」とありますが、その「暗やみ」とは「密雲」(「アラーフェル」עֲרָפֶל)のことです。主は御使いの表象である「密雲」の中にとどまっておられるのです。

(4) いなずま (稲妻、稲光)
「いなずま」(いなびかり)は単独ではあり得ず、必ず、雷鳴や雨と密雲と結び着いています。「いなずま」は光です。神は「光を衣のように着ておられるのです」(詩篇104篇2節)。

主がご自身の民に律法(トーラー)を与えようとしてモーセをシナイ山の頂に呼び寄せたときも、山の上に「雷といなずま(בָּרָק)と密雲と煙と火」があったことを聖書は記しています(19:16~)。これらもすべて御使いの象徴と言えます。ヘブル人への手紙2章2節に「御使いたちを通して語られたみことば」というフレーズがあります。これはモーセの律法のことで、神から御使いに伝えられ、御使いからモーセに伝えられたのです。

「いなずま」を意味する「バーラーク」(בָּרָק)は、比喩的に「きらめき」という意味にも使われ、「きらめく剣、光る剣」(申命記32:41)、すなわち「さばきのための剣や槍」として用いられます。

(5) 風 (息、霊)
ヘブル人への手紙1章7節に、はっきりと「神は、御使いたちを風とし」とあります。「風」(「ルーアッハ」רוּחַ)は御使いの表象です。風は直接に見ることはできませんが、ひとたび吹き過ぎる時、木の葉をそよがせ、枝を揺るがします。そのことで風の在り処を目でとらえることが出来ます。しかしどこから来て、どこへ行くのかはだれにもわからないのです。これが風の特徴です。風は息とも霊とも同義です。声も息なしには相手に通じない。息の流れの中にいのちがあります。

しかしその同じ「息」が、さばきの息、さばきの「風」ともなるのです。イザヤ書40章に「すべての人は草、その栄光は、みな草のようだ。主のいぶきがその上に吹くと、草は枯れ、花はしぼむ。」(6~7節)とあります。ここでの主の「いぶき」は「ルーアッハ」ですが、さばきの風の一例と言えます。

イスラエル(中東)の気候は夏と冬に大別され、春と秋はその間の短い移行期間でしかありません。その移行期の春や秋に吹くのが東風。アラビア砂漠から吹く強烈な熱風です。聖書では「東風」(「カーディーム」קָדִים)と呼ばれます。

モーセが手を海に向かって差し伸べると、主は夜もすがら激しい東風をもって海を押し返されたので、海は乾いた地に変わり、水は分かれた(出エジプト記 14章21節【新共同訳】)。

東風のように、わたしは彼らを敵の前に散らす。災いの日に/わたしは彼らに背を向け、顔を向けない(エレミヤ書 18章17節【新共同訳】)。


以上のように、聖書には自然現象としての「声」「水」「雲」「雨」「いなずま」「風」「火」がありますが、御使いたちの働きを表わすさまざまな表象もそれらによって表わされていることが多いのです。あるいは自然の現象の中に御使いの働きが重ねられてもいるのです。そのことを知ることで、聖書をより正しく解釈することができると信じます。

2013.4.20


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