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主こそ私の受ける分です

13. 主こそ私の受ける分です

【聖書箇所】 13章8節~14章15節

はじめに

  • 13:33に「レビ部族には、モーセは相続地を与えなかった。主が彼らに約束されたとおりにイスラエルの神、主が彼らの相続地である。」とあります。詩篇16篇の作者は「主は、私へのゆずりの地所・・です。あなたは、私の受ける分を、堅く保っていてくださいます。」(5節)と告白し、しかもその地は「まことに、私へのすばらしいゆずりの地だ」と喜びを表現しています。
  • ちなみにヨシュア記13:33の「相続地」は「ナハラー」(נַחֲלָה)で、詩篇16篇5節の「ゆずりの地所」は「分け前」とか「割り当て地」を意味する「ヘーレク」(חֵלֶק)で、6節の「ゆずりの地」は「ナハラー」(נַחֲלָה)です。「ナハラー」は女性名詞、「へーレク」は男性名詞という違いはありますが、意味としては同じです。

1. レビ族と他の部族との関係

  • 他の部族の分け前は不動産としての土地でした。それを失うことなく次の世代にも受け継がせるという課題がありました。レビ族における分け前は「主ご自身」でしたが、それは特権でもありましたが、同時に彼らは他の部族の町々に配属され、その部族によって支えられるという立場に置かれました。民のうちに信仰的な祝福が満ちているときには安泰でしたが、信仰が希薄になれば自分たちの生活も怪しくなるというかかわりの構造を持っていました。その意味では、霊的な責任は重いものがありました。

2. レビ族の祭司の務めをゆだねられた歴史的な経緯

  • イスラエルの中でレビ族が特別な特権が与えられたのにはそれなりの出来事がありました。レビはヤコブの3番目の子どもです。レビはある時、兄のシメオンと共に非常に卑劣なやり方で異邦人を多数殺すという事件を引き起こしました。父ヤコブは彼らを攻めただけでなく、臨終の時に祝福を与える代わりに呪いのことばを宣言したのです。ところがねこの呪われた部族が神の祝福を人々に分かつ部族に変わる決定的な出来事がありました。
  • その決定的な出来事とは、イスラエルの民がエジプトから脱出したのち、シナイ山でモーセが神からの律法を授かって山から降りて来た時、民たちは偶像礼拝にふけり不道徳な行為を行なっていました。その光景を見たモーセは怒り「だれでも主につく者は私の所に来なさい」と訴えた時に、真っ先に罪を悔い改め、神に立ち返ったのが、レビ族だったのです。そのときから彼らはのろわれた者から神と人との間にあって仕える祭司としての務めを与えられました。約束の地においては、彼らの相続地は他の部族のような土地ではなく、主ご自身でした。

3.「主が彼らの相続地」とされたことの本領を発揮した時代

  • イスラエル全体において、レビ族が最もその存在価値とその働きが重視された時代はモーセの時代とダビデの時代です。本来、レビ人は神を礼拝するための働きを担わせられていましたが、ダビデの時代の礼拝には音楽がもちこまれるようになったために、レビ人は礼拝における賛美の働きを担うようになりました。賛美リーダーも聖歌隊もすべて祭司とレビ人(いずれもレビ族ですが)が担いました。その最高潮はソロモンの神殿が建てられた時代でした。しかしソロモンの治世以降、イスラエルは北王国と南王国に分裂しました。北王国ではレビ族によらない者たちが礼拝を司る者として採用されたために、北のレビ族はリストラされ、はからずも南王国に移動せざるを得ませんでした。
  • やがて北王国はアッシリヤによって滅ぼされ、南王国もバビロンによって滅ぼされて捕囚の身となりました。南王国は南ユダ王国とも呼ばれますが、ユダ族の王たちが他の国々のような繁栄を求めて、神を信頼せず、他の国と同盟を結んで和を講じるために莫大な賄賂を差し出しました。その費用はすべて神殿の宝物から、礼拝を担うレビ人たちのリストラによって賄われました。そのために神は神殿を崩壊させ、有能な者たちをバビロンの捕囚の民となることを許したのです。その捕囚の民の中に、ユダ族とともにレビ人たちがいたのです。
  • 捕囚となったレビ人たちはその後の歩みを変える者となります。彼らは神のトーラーに従ったライフスタイルを3世代かけて建て上げていきました。そんな中から、旧約聖書を編纂したと言われるエズラが登場することになるのです。「主が彼らの相続地」という本領がまさに発揮されていったのです。
  • 詩篇16篇の表題には「ダビデのミクタム」とありますが、作者はまさしくレビ族である可能性があります。この作者がこの詩篇で告白していることを見てみましょう。

【新改訳改訂第3版】詩篇16篇2, 5, 6, 8〜9, 11節
2 私は、【主】に申し上げました。「あなたこそ、私の主。私の幸いは、あなたのほかにはありません。」

5 【主】は、私へのゆずりの地所、また私への杯です。あなたは、私の受ける分を、堅く保っていてくださいます。
6 測り綱は、私の好む所に落ちた。まことに、私への、すばらしいゆずりの地だ。

8 私はいつも、私の前に【主】を置いた。【主】が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。
9 それゆえ、私の心は喜び、私のたましいは楽しんでいる。私の身もまた安らかに住まおう。

11 あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。

  • 「主ご自身を相続地とすること」は、神とのかかわりにおいて、「いのち」を掘り起こすべく大いなる務めがゆだねられていると言えます。 それは祝福に満ちた特権であるとともに、大いなる責任と課題が伴っていると言えるのです。

2012.3.31


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