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主との親しい交わりを実現するLife-style<3>

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A-11 主との親しい交わりを実現するLife Style <3>

(3) ひとりになること

  • 「ひとり」ということばには、孤独とか寂しいとかネガティブなイメージがつきまとう。しかし本当にそうであろうか。勉強や仕事や予定に束縛されず、ひとりで過ごす時間の豊かさを私たちはどこかに置き去りにしてはいないだろうか。ひとりになるという行動は、今日、精神衛生学的な面や社会心理学的な面からも推奨されている。その理由は、人間には生物学的にみな縄張りがあり、その縄張りが侵害されることでストレスになるからである。会社で、家庭で、教会等で人と一緒にいるというそのこと自体がストレスとなる。夫婦であっても、あるいはどんなに親しい、好きな人と一緒であっても、やはり、ひとりになる時がないと人間は生物学的に疲れてしまうのである。ましてや霊的な生活においてひとりになる大切さは言うまでもない。もし、ひとりになるとき心が集中せず散漫になってしまう人には、なおのこと、この訓練が必要なのである。
  • ドイツのナチスに立ち向かった牧師、ボンフェッファーはその著『共に生きる生活』(森野善右衛門訳、新教出版社、1975年)という本の中で、ひとりになることについて次のように述べている。「ひとりでいることのできない者は、交わりに入ることを用心しなさい。交わりの中にいない者はひとりでいることを用心しなさい。・・ひとりでいる日がなければ、他者と共なる日は交わりにとっても、個人にとっても、実りのないものとなる。」と。ボンフェッファーはここでひとりになることと、共に生きることの不可欠な関係を述べている。スウィンドル師は「ひとりで過ごすと、神は私たちのこころの奥底を探り、私たちの眼を開いて、しっかり見なければならないところを見るようにしてくださいます。ここで神は私たちが他の人から隠しておきたいことに向かわせてくださるのです。」と述べている。つまり、ひとりでいることの訓練は自己吟味にあるとしている。
  • 詩篇の作者は徹底的な自己吟味の必要を認めていた。そして自分の心と思いの一番奥まで調べてくださるように神に願っている。
    「主よ、あなたは私を探り、私を知っておられます。あなたこそは私のすわるのも、立つのも知っておられ、私の思いを遠くから読み取られます。あなたは私の歩みと私の伏すのを見守り、私の道をことごとく知っておられます。・・神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。」 (詩篇139篇1~3、23、24節)



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