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主に従い通したカレブ

14. 主に従い通したカレブ

【聖書箇所】 14章6節~15節

はじめに

  • 信仰による充実した熟年の輝きは、地道な信仰の歩みの継続の積み重ねによってよるものです。そのことを14章に記されている「カレブ」という人物にみることができます。
  • カレブの信仰の生涯とその特色を三つの段階に分けることができます。

    (1) 40歳までの時代・・「勇気ある信仰」
    (2) 40歳~85歳までの時代・・「忍耐ある信仰」
    (3) 85歳以降・・・「冒険する信仰」


1. 40歳までの時代・・「勇気ある信仰」

  • カレブは若い時から霊的な勇気をもった人でした。そのことが明らかになったのは、カナンの地を探るために斥候として遣わされたときでした。12人斥候のうち10人の斥候はカナンの地は良い地ではあるけれども、そこへ入ることはできないと民たちが恐れてしまうような報告をしたとき、カレブは「私たちはぜひとも、上って行って、そこを占領しよう。必ずそれができるから」(民数記13:30)と自分の見解を表明しました。さらに彼は「もし、私たちが主の御心にかなえば、私たちをあの地に導き入れ、それを私たちに下さるだろう。あの地には乳と蜜とが流れている(同、14:8)と勇気をもって少数者の主張を貫き、石で殺されそうになっても、その自分の見解を撤回したりはしませんでした。その信仰を神は喜ばれました。そして神は「わたしのしもべカレブは、・・・わたしに従い通したので、わたしは彼が行って来た地に彼を導き入れる。彼の子孫はその地を所有するようになる」と約束されました(同、14:24)。
  • カレブの熟年の輝きの萌芽はすでに若い頃から備えられていたと言えます。マイノリティ・コンプレックス(少数であることの恐れ)に屈しない「勇気ある信仰」は幼い頃から培われたの信仰の結実と言えます。

2. 40~85歳まで・・「忍耐ある信仰」

  • カレブはイスラエルの民の不信仰のために当てのない荒野の旅を続けることとなりましたが、それから彼は45年間、主に従い通しました。イスラエルの民に対する荒野の40年間の間に、エジプトを出た第一世代の者はみな死んでしまいました。カレブとヨシュアだけが約束の地に足を踏み入れることができましたが、荒野の40年にはカレブにとって、神の約束を信じる忍耐を学ぶ期間だったと言えます。「あなたがたが神のみこころを行なって、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。」(ヘブル書10:34)とあるように、神が語られたことは必ずなると忍耐をもって信じつづけることです。カレブはその意味において成長がとまることはなかったのです。

3. 85歳以降・・・「冒険する信仰」

  • 若い頃からの信仰の積み重ね、神の約束に対して従い抜く信仰の積み重ねは、85歳以降のカレブの生き方を確実なものにしていきます。14章は何度も「主に従い通した」という言葉が出てきます。
  • ここで11節のカレブのことばに注目したい。

    ヨシュア記14章11節
    モーセが私を遣わした日のように、今も壮健です。私の今は、あの時の力と同様、戦争にも、また日常の出入りにも耐えるのです。」

  • 「モーセが私を遣わした日のように、今も壮健です。」ということばと「私の今は、あの時の力と同様、戦争にも、また日常の出入りにも耐えるのです。」はパラレリズム(同義的並行法)です。ところで「日常の出入り」という表現はどういうことでしょう。ここで「日常の出入り」という表現は「行くにも帰るにも」という慣用句です。詩篇121篇8節に「主はあなたを行くにも帰るにも守られる」とあります。「行くにも帰るにも」とは単に「出かけることと帰ること」を意味しているのではありません。ヘブル語特有の「メリズモ」という表現法です。全く逆の言葉を組み合わせてその間にあるすべてのことを意味する修辞法です。創世記1:1にある「天と地」も同じメリズモです。天と地にあるすべてのものを神は創造されたという意味です。ちなみに神がはじめに創造されたのは「光」でした。
  • 日常の出入り」とは日常のすべての務めを意味します。ヨシュア記14章11節の「日常の出入りに耐える」とは、戦いのみならず、日常のすべての責任ある務めと与えられた使命を十分に果たすことができるほどに壮健だという意味です。
  • 「出入り」について

    (1) モーセの場合
    モーセは高齢になってリーダーの役割をヨシュアに託す時に、「私は、きょう、百二十歳である。もう出入りができない」(申命記31:2)と言っています。これは、超人的な活動をしてきたモーセが、自分の限界を知って口にした言葉です。この「出入り」は、モーセの活動そのものです。 新共同訳では「わたしは今日、既に百二十歳であり、もはや自分の務めを果たすことはできない。主はわたしに対して、『あなたはこのヨルダン川を渡ることができない』と言われた。」とあります。


    (2)ソロモンの場合
    ソロモンがダビデ王の後継者となった時「わが神、主よ。今、あなたは私の父ダビデに代わって、このしもべを王とされました。しかし、私は小さい子どもで、出入りするすべを知りません」(Ⅰ列王3:7)と訴えて知恵を求めました。この「出入り」とは、王としての行政能力や責任を指していることが明らかです。 新共同訳では「わが神、主よ、あなたは父ダビデに代わる王として、この僕をお立てになりました。しかし、わたしは取るに足らない若者で、どのようにふるまうべきかを知りません。」とあります。


最後に

  • カレブはヨシュアに対してこう言いました。「どうか今、主があの日に約束されたこの山地を私に与えてください。あの日、あなたが聞いたようにねそこにはアナク人がおり、城壁のある町々があったのです。主が私とともにいてくだされば、主が約束されたように、私は彼らを追い払うことができましょう。」
  • この申し出は40歳のときから全く変わっていない信仰です。常に成長を続ける信仰を伺わせます。そんなカレブに対してヨシュアは彼にヘブロンの地(そこはアナク人の中でも最も偉大な人物がいた所)を与えたのです。

2012.4.2


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