主の恵みの年を告げ知らせるメシア
59. 主の恵みの年を告げ知らせるメシア
【聖書箇所】61章1~11節
ベレーシート
- 鍋谷堯爾氏は60~63章のそれぞれの章に以下のようなタイトルをつけています。60章「シオンの栄光と富」、61章「シオンの喜びと繁栄」、62章「シオンのための誓い」、63章「シオンを救う熱心」とし、終末における「シオン」をキーワードとしています。「シオン」は神のマスタープランにおいて重要な位置を持っています。それゆえ、詩篇における「シオン賛歌」も研究する価値があります。シオンの再建は、イスラエルの子孫を再び約束の地と神の元に連れ戻すことを意味しています。つまり、シオンの回復と神の民イスラエルの回復は同義だということです。そのご計画において神の栄光が現わされます。
- さて、イザヤ書のこれまでの流れを以下のようにまとめたいと思います。
(1) 罪が神との仕切リとなっている
【新改訳改訂第3版】イザヤ書59章1~2節
1 見よ。【主】の御手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて、聞こえないのではない。
2 あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ。
(2) とりなす者がいないのに驚いた主は、自ら主権をもって救いをもたらす
【新改訳改訂第3版】イザヤ書59章16~17節
16 主は人のいないのを見、とりなす者のいないのに驚かれた。そこで、ご自分の御腕で救いをもたらし、ご自分の義を、ご自分のささえとされた。
17 主は義をよろいのように着、救いのかぶとを頭にかぶり、復讐の衣を身にまとい、ねたみを外套として身をおおわれた。
(3) 救いの舞台となるシオンとその栄光
【新改訳改訂第3版】 イザヤ書60章1~3節
1 起きよ。光を放て。あなたの光が来て、【主】の栄光があなたの上に輝いているからだ。
2 見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている。しかし、あなたの上には【主】が輝き、その栄光があなたの上に現れる。
3 国々はあなたの光のうちに歩み、王たちはあなたの輝きに照らされて歩む。●ここでの「あなた」とは、「シオン」(エルサレム)を指しています。
(4) 主に油注がれた者(メシア)は、主に遣わされてその使命を果たす
【新改訳改訂第3版】イザヤ書61章1~3節
1 神である主の霊が、わたしの上にある。【主】はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、囚人には釈放を告げ、
2 【主】の恵みの年と、われわれの神の復讐の日を告げ、すべての悲しむ者を慰め、
3 シオンの悲しむ者たちに、灰の代わりに頭の飾りを、悲しみの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせるためである。彼らは、義の樫の木、栄光を現す【主】の植木と呼ばれよう。
●ここでの「わたし」とは「主のしもべ」のことです。
1. 主の「恵みの年」になされるメシアの働き(1~3節)
- 上記のイザヤ書61章1~2節の前半部分がイェシュアにおいて実現したことをルカは記しています。ルカの福音書4章16~21節にあるように、イェシュアがご自分の育ったナザレの会堂でその管理者から手渡されて読んだ聖書の箇所が、はからずもイザヤ書61章でした。そして、イェシュアは「きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました。」と言われました。この出来事は福音書の中でルカ独自のものです。イザヤの聖書箇所とルカが記している箇所を比較してみたいと思います。
イザヤ書 61章1~2節
1 神である主の霊が、わたしの上にある。【主】はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、囚人には釈放を告げ、
2 【主】の恵みの年と、・・・・を告げ、
ルカ 4章18~19節
18 「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油をそそがれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕らわれ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、
19 主の恵みの年を告げ知らせるために。」(・・・このあとは省略)
- ルカのイザヤ書の引用はかなり自由です。その内容をまとめてみると以下のようになります。
(1) メシアの使命とは「貧しい人々に福音を伝えること」
●「貧しい人々」のヘブル語は「アナーヴィーム」(עֲנָוִים)、ギリシア語は「プトーコイス」(πτωχοις)で、普通の貧乏のことではなく、打ち砕かれ、差し迫った窮乏にある人々を意味します。
●「福音を伝えること」(良い知らせを告げ知らせる)のヘブル語は「バーサル」(בָּשַׂר)の強意形ピエル態でイザヤ書の特愛用語。ギリシア語は「ユーアンゲリゾー」(εὐαγγελίζω)。
●イザヤ書では「貧しい人々に福音を伝えること」と「心の傷ついた者をいやす」ことが対応しています。(2) メシアの使命遂行のために主が油を注ぐこと
●「主の霊がわたしの上にある」のは、「主が油を(わたしに)注がれた」からです。イェシュアは任職の油を人を介することなく、御父から直接に受けられました。
(3)メシアが告げ知らせる福音の内容 (イザヤ書61章と表現が異なります)
●イザヤ「捕らわれ人には解放」、ルカ「捕らわれ人には赦免」
「解放」は「デロール」(דְּרוֹר)、「赦免」は「アフェシス」(ἄφεσις)。特に、「アフェシス」はルカの福音書においては重要なキーワードです。●イザヤ「囚人には釈放」、ルカ「盲人には目が開かれること」
「釈放」は「ペカハ・コーアッハ」(פְּקַח־קוֹחַ)で「目が開かれること」を意味します。ルカはそれを「アナブレプシス」(ἀνάβλεψις)という訳語を用いています。この語彙は生来の盲人が見えるようになることを意味し、ここにだけ使われています。●イザヤ「ーー」、ルカ「しいたげられている人々には自由」
ルカの「自由」も「アフェシス」(ἄφεσις)です。ルカはイェシュアの働きが人々に「アフェシス」(解放と自由と赦免)を与えることを通して、主の「恵みの年を告げ知らせる」こと、すなわち、「ヨベルの年」を告げ知らせようとしていることを強調しようとしています。つまり、ナザレから始まるイェシュアの旅は、「アフェシス」を宣べ伝える旅なのだということを言おうとしているのです。
- 特に、メシアが告げ知らせる内容は、「主の恵みの年」、つまりヨベルの年の到来です。そしてそれが、「きょう、・・実現した」とイェシュアは語りました。
- ところがイェシュアは、イザヤ書61章2節の「【主】の恵みの年と、われわれの神の復讐の日を告げ」とあるのを、その後半部分の「われわれの神の復讐の日を告げ」以降を読みませんでした。なぜ、イェシュアはその部分を読まなかったのでしょうか。それは、「われわれの神の復讐の日」が実現するのが、イェシュアの再臨の時のことだからだと考えられます。「主の恵みの年」と「神の復讐の日」は、実現する時も、その内容も異なるのです。前者はイェシュアの初臨において実現し、後者は勝利の王として地上に再臨される時に実現するのです。
2. 神の復讐の日になされるメシアの働き(2~3節)
【新改訳改訂第3版】 イザヤ書61章2~3節
2 【主】の恵みの年と、われわれの神の復讐の日を告げ、すべての悲しむ者を慰め、
3 シオンの悲しむ者たちに、灰の代わりに頭の飾りを、悲しみの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせるためである。彼らは、義の樫の木、栄光を現す【主】の植木と呼ばれよう。
- 「神の復讐の日」が実現するのはイェシュアの再臨の時です。それは同時に、新しく始まるメシア王国の祝福の到来です。そのときメシアは
①シオンのすべての悲しむ者たちに慰めをもたらします。
②灰の代わりに頭の飾りをかぶらせる。
③悲しみの代わりに喜びの油を注がれる。
④憂いの心の代わりに賛美の外套を着させる。
- それゆえ神の民(シオンの民)は、
①「義の樫の木」
②「栄光を現わす主の植木」
③「主の祭司」
④「神に仕える者」
と呼ばれるようになります(3, 6節)。そして彼らはそれまでの恥辱に代えて「二倍のものを受ける」ようになります。なぜなら、9節にあるように、シオンの民こそ主に祝福された子孫であること、そしてその長子的権利と地位を、すべての民が認めるようになるからです。【新改訳改訂第3版】イザヤ書61章9節
彼らの子孫は国々のうちで、彼らのすえは国々の民のうちで知れ渡る。彼らを見る者はみな、彼らが【主】に祝福された子孫であることを認める。
2014.12.1
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