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主は、皮の衣を作り、彼らに着せられた

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80. 主は、皮の衣を作り、彼らに着せられた

【聖書箇所】 創世記3章21節

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【読み】
ヴァァス アドーイ エローーム レーダーム ウーレイシュー 
コトゥート ール ヴァヤルビシェーム

【文法】
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【翻訳】

【新改訳改訂3】
神である【主】は、アダムとその妻のために、皮の衣を作り、彼らに着せてくださった。
【口語訳】
主なる神は人とその妻とのために皮の着物を造って、彼らに着せられた。
【新共同訳】
主なる神は、アダムと女に皮の衣を作って着せられた。
【NKJV】
Also for Adam and his wife the Lord God made tunics of skin, and clothed them.
【NIV】
The LORD God made garments of skin for Adam and his wife and clothed them.

【瞑想】

神は人を創造し、その人(アダム)をエデンの園に置かれました。そのエデンの園の中で起こったすべての出来事はきわめてミステリアスです。つまり、創世記の1~3章におけるエデンの園でのすべての出来事には、神の救いのドラマのすべての要素が凝縮されています。つまり、神の似姿として創造された人間、神との親しい永遠の交わり、罪とそれによってもたらされた死の現実、と同時に、神のあわれみによる救いの福音がコンデンスされているのです。

「エデン」(「エーデン」עֵדֶן)は、神が人との交わりのために設けられた場所でした。人はそこで神と交わり、息の合う愛のかかわりをもっていました。そこには何の隔ての壁もなかったのです。人が生きるために必要なすべてのものが備えられ、美味しい食べ物を思いのままに食べることができ、すべてのことを「喜び、楽しむ」ことができ、何不自由なく、満たされたところでした。しかしそのエデンの園で悲劇が起こります。蛇の誘惑に負けて、食べてはならないと神が言われていた「善悪の知識の木」から取って食べたことが、人類のすべての不幸の始まりとなりました。神への不信と不従順、すなわち罪によって死が入り、地は呪われ、神と人とのかかわりにおいても大きな変化がもたらされました。

人が目が開かれたとき最初に芽生えたのは羞恥心でした。彼らは自分たちの裸を覆うために「いちじくの葉」をつづり合わせて、自分たちの腰の覆いを作りました。それは人が自らの罪や罪悪感を覆うためのあらゆる努力を象徴しています。羞恥心と罪悪感を覆い隠そうとするすべての営み、それは、一時的には役立つかのように見える「いちじくの葉」のようなものです。なぜなら、いちじくの葉は夕方には枯れてしまい、役立たなくなってしまうからです。

また、アダムの犯した罪によって地は呪われてしまい、刑罰的意味を持つ「いばらとあざみ」が多く生えるようになりました。「いばらとあざみ」に共通するのは「とげ」です。そうした植物から身が守られる必要がありました。アダムがいちじくの葉をつづり合わせて作った手製の衣に代えて、神はアダムとエバのためになんと「皮の衣」を作り、着せてくださったのです。

「皮」の原語は「オール」(עוֹר)ですが、「衣」は「クットーネット(クットーネス)」כֻּתֹּנֶתです。この衣はやがて大祭司や祭司たちが着る装束、また、ヤコブの最愛の子ヨセフやダビデの娘タマルに着せた長服を意味するようになります。特別に愛された者や神と人との仲介的な務めをゆだねられた者たちが着る装束、長服、これが「クットーネット」です。

「着る」という動詞「ラーヴァシュ」לָבַשׁには使役形(ヒフィル形)が使われており、「着せる、まとわせる、覆い隠す」という意味になります。この神の行為は堕落した人間を再び建て直すことを意味しています。特に注目すべきは、皮の衣を作るためには動物を屠って血を流す必要があります。「血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはない」と聖書にありますが、いのちの代価である血によって罪が覆われるということが「罪の赦し」なのです。神がアダムとエバに与えた衣は、血を流すことによって作られた「皮の衣」でした。これは、やがてキリストの十字架の贖いの血を信じるすべての者に与えられるキリストの義を表しています。エデンの園でもそうであったように、それは神の一方的なあわれみによるものです。

エデンの園で「皮の衣を着せる」という神の恩寵的行為は、新約では神の国のたとえの中に、また「キリストを着る」「新しい人を着る」という表現で表わされています。

(1) ルカの福音書15章22節
「ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい((ένδύω)の命令アオリスト)。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。』 」 

(2) ガラテヤ人への手紙3章26~27節
「あなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子どもです。バプテスマを受けてキリストにつく者とされたあなたがたはみな、キリストをその身に着た(ένδύω)のです。ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男子も女子もありません。なぜなら、あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって、一つだからです。 」

(3) エペソ人への手紙4章22~24節
「その(キリスト)の教えとは、・・あなたがたが心の霊において新しくされ、真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした。」


※特に(1)は、すべてを失って帰郷した「放蕩息子」に対する父の思い、すなわち「急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい(ένδύω)。」ということばこそ、創世記3章21節のことばの新約版です。自分の子である者に着せる「一番良い着物」とは、御父の最も愛する御子の十字架で流された身代わりの血による「紅の衣」であり、それは同時に「義の衣」「白い衣」「救いの衣」「愛の衣」「あわれみの衣」でもあるのです。

さらには、捕囚を経験した神の民たちに対する主の「さめよ。さめよ。力をまとえ。シオン。あなたの美しい衣を着よ。」(イザヤ52:1)とのみことば。さらには、イェシュアが弟子たちに約束された「いと高き所から力を着せられる(ένδύω)」という「力の衣」があるのです(ルカ 24:49)。そのためには主にしっかりととどまる必要があります。また、刻一刻と究極的な救いの時は近づいています。眠りから覚めるべき救いの時は近づいています。それゆえ、私たちは「光の武具を身に着けて」歩む必要があります(ローマ13:11~14)。


2013.5.5


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