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主はあなたを、行くにも帰るにも守られる

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61. 主はあなたを、行くにも帰るにも守られる

【聖書箇所】 詩篇121篇8節

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【読み】
アドナーイ イシュマール ツェーイハー ウーヴォーエハー 
メーアッター ヴェアド オーラーム

【文法】
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【翻訳】

【新改訳改訂3】
【主】は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。
【口語訳】
主は今からとこしえに至るまで、あなたの出ると入るとを守られるであろう。
【新共同訳】
あなたの出で立つのも帰るのも/主が見守ってくださるように。今も、そしてとこしえに。
【文語訳】
エホバは今よりとこしへに至るまで、汝の出ると入るとを守りたまはん。
【岩波訳】
ヤハウェが護りますように あなたの出入りを。いまより とこしえまで。
【関根訳】
ヤハヴェは今から永遠まで 君の出入りを守られる
【NKJV】
The Lord shall preserve your going out and your coming in From this time forth, and even forevermore.

【瞑想】

詩篇121篇8節のフレーズ、特に後半は文語訳で覚えておられる方が多いかもしれません。「汝の出(いず)ると入るとを守りたまはん」ーどういうわけはこの訳が私の頭にこびついています。

「出入り」という表現は、原語で「出る」という動詞「ヤーツァー」יָצָאと「来る、入る」という動詞「ボー」בּוֹאの組み合われたものです。詩篇121篇ではその最後の節に、「行くにも帰るにも」(新共同訳では「出で立つのも帰るのも」)とありますが、この表現は一見、巡礼者にとって旅路の無事を言い表すことばのように思いますが、原文が持つ本来の意味を見失わせています。それは「私たちのすべての営みにおいて」という意味です。ちなみに、口語訳も「出ると入るとを」、文語訳も「出づると入るとを」と直訳的に訳しています。岩波訳、関根訳、フランシスコ会訳では「出入りを」と訳しています。

この表現が使われている箇所が旧約聖書には詩篇121篇の他に、三箇所あります。

(1)【モーセの場合】
高齢になって、リーダーの役割をヨシュアに託す時に、モーセは「私は、きょう、百二十歳である。もう出入りができない。」(申命記31:2)と言っています。これは、超人的な活動をしてきたモーセが、自分の限界を知って口にした言葉です。この「出入り」は、モーセの活動そのものです。 新共同訳では「わたしは今日、既に百二十歳であり、もはや自分の務めを果たすことはできない。主はわたしに対して、『あなたはこのヨルダン川を渡ることができない』と言われた。」とあります。


(2) 【カレブの場合】
カレブもこう言っています。「モーセが私を遣わした日のように、今も壮健です。私の今の力は、あの時の力と同様、戦争にも、また日常の出入りにも耐えるのです。」(ヨシュア記14章11節) 新共同訳では「今なお健やかです。モーセの使いをしたあのころも今も変わりなく、戦争でも、日常の務めでもする力があります。」と訳されています。つまり、ここでは「日常の務め」を「出入り」と言っています。


(3) 【ソロモンの場合】
ソロモンの言う「出入りするすべ」とは、「王としての行政能力や責任能力」としてのふるまいを指していることは明らかです。 新共同訳では「わが神、主よ、あなたは父ダビデに代わる王として、この僕をお立てになりました。しかし、わたしは取るに足らない若者で、どのようにふるまうべきかを知りません。」(Ⅰ列王3:7)とあります。


「出づると入る」ーこれはメリズモという修辞法です。旅路のみならず、自分に与えられた働き(使命)、日常の務め、責任ある言動のふるまいのすべてを言い表しています。それを主が守ってくださるという、「人称なき存在」の声なのです。

【付記】
「見よ。イスラエルを守る方は」⇒楽譜


2013.4.16


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