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主は王(指導者)を通して流れを変えさせる

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箴言は「父から子への知恵」、主にある家庭教育の根幹を学ぶ最高のテキストです。

32. 主は王(指導者)を通して流れを変えさせる

【聖書箇所】21章1節、5節

ベレーシート

  • 箴言21章には「家」、あるいは「家庭」に関する格言はありません。しかし、家庭のリーダーが「父親」だとするなら、国のリーダーは「王」です。神の家の概念においては、父親も王も同じく神の代理者としての位置づけです。ここがこの世とは決定的に異なる点です。神の家(国)においては、神が父親を通して、また王を通してご支配されます。とすれば、父親や王は神に対して常に従順でなければなりません。と同時に、神のご計画についてもよく知っていなければなりません。この視点から、1節と5節を味わってみたいと思います。

1.主は王を通して流れを変えられる

  • 王が神の代理者であるとはどういうことでしょうか。21章1節の諸訳を見てみましょう。

【新改訳改訂第3版】
王の心は【主】の手の中にあって、水の流れのようだ。
みこころのままに向きを変えられる。

【新共同訳】
主の御手にあって王の心は水路のよう。
主は御旨のままにその方向を定められる。

【口語訳】
王の心は、主の手のうちにあって、水の流れのようだ、
主はみこころのままにこれを導かれる。

【フランシスコ会訳】
王の心は、主の手の中にあって、水の流れのよう。
主はみ旨のままに、その向きを変えられる。

【私訳】
主の手にある王の心は、水路
主は思うままに、その向きを変える


●「水路」と訳された「パルゲー・マイム」(פַּלְגֵי־מַיִם)は、自然の水の流れではなく、人の手によって造られた灌漑溝での流れを意味します。その比喩が言わんとしていることは、この地上において、主に従順な支配者(王)を通して神はご自身のご計画、みこころ、御旨、目的を勧めて行かれるということです。ただし、あくまでも王の心が「主の御手の中にある」ということがその前提条件です。

●教会においても、指導者の頑なさのゆえに、しばしば神の導きの流れを止めている現実があります。慣例やしきたりといったこれまでの伝統的な枠に縛られ、主の御手にゆだねきることができず、主の新しい導きや促しに対しても躊躇して対応できないのです。その背景にあるのは、指導者自身の内にある自己防衛かもしれません。そのために流れが流れず、淀んでしまうのです。神の導きよりも人間の造った機構の中に逃げ込んで自分を守ろうとするとき、神の導きの流れは止まってしまうのです。

●むしろ指導者の責任は、主の御手の中に真の防衛の保障があることを信頼し、主の導きの流れを感じてそれに身をゆだねつつ、主の御旨がなされるように柔軟な姿勢を取る必要があります。なぜなら、主の御旨だけが必ずなるからです。主こそ真の指導者であり、指導者はその主のご計画が実現できるように取り計らう責任があります。


2. 指導者は主の計画について知らなければならない

  • 主が、御手にある指導者(王や父親)を通してご自身のご計画をなされるとするならば、指導者は主のご計画について十分に知っておく必要があります。箴言には「計画」を意味する「マハシャーヴァー」(מַחֲשָׁבָה)がしばしば登場します。邪悪な悪人の計画もあれば、正しい人の計画もあります。「人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけが成る」(19:21)とするならば、「あなたのしようとすることを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画はゆるがない」(16:3)というのは真実です。
  • 指導者である者は自分の計画ではなく、主のご計画を自分の計画とすべきです。つまり、主のご計画のくびきを共に負うことが主にある指導者の務めでなければなりません。そのような務めのことを、箴言21章5節にいう「勤勉な人の計画」と理解します。

【新改訳改訂第3版】箴言21章5節
勤勉な人の計画は利益をもたらし、
すべてあわてる者は欠損を招くだけだ。

【新共同訳】
勤勉な人はよく計画して利益を得/
あわてて事を行う者は欠損をまねく。


「勤勉な人」(「ハールーツ」חָרוּץ)とは、主のご計画とみこころに対する鋭い感覚と熱心さを合わせ持った人のことだと理解します。箴言においてこの「勤勉な人」について言及されている箇所は四箇所です。
(1) 10章4節
無精者の手は人を貧乏にし、勤勉な者の手は人を富ます。
(2) 12章24節
勤勉な者の手は支配する。無精者は苦役に服する。
(3) 12章27節
無精者は獲物を捕らえない。しかし勤勉な人は多くの尊い人を捕らえる。
(4) 21章5節
勤勉な人の計画は利益をもたらし、すべてあわてる者は欠損を招くだけだ。

●「勤勉な者」に対比されているのは「無精者」(10:4/12:24,27)、そして「あわてる者」(21:5)です。「あわてる者」(「アーツ」אָץで、「ウーツ」אוּץの分詞形)とはどういう人のことをいうのでしょうか。「ウーツ」は「急ぎ立てる」「急ぐ」「促す」「狭くなる」という意味で、何の計画性もなく、その日その日を生きている人のことを意味します。あるいは、マリヤのように主のみもとにとどまり、みことばを聞き入ることをしない人のことを言っているのかもしれません。その結果は欠損を招くとしています。


  • 指導者に求められていることは、自分の計画を実現することではなく、どこまでも自分は神の代理者にすぎないことを念頭に置いて、自分を立ててくださった神のご計画とみこころを知りつつ、その御旨と目的に従って、自分に与えられた立場とその力を行使することだと信じます。そのためには、イェシュアの霊性、ダビデの霊性、マリヤの霊性が求められるのです。しかもその霊性は多くの人々に利益をもたらすのです。

2016.1.27


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