****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

主は王として治められる

文字サイズ:

81. 主は王として治められる

【聖書箇所】 詩篇93篇1節前半

画像の説明

【読み】
アドーイ マーーフ ゲーート ラーヴェーシュ ラーヴェーシュ アドーイ ズ ヒットアール

【文法】
画像の説明

【翻訳】

【新改訳改訂3】
【主】は、王であられ、みいつをまとっておられます。【主】はまとっておられます。力を身に帯びておられます。
【口語訳】
主は王となり、威光の衣をまとわれます。主は衣をまとい、力をもって帯とされます。
【新共同訳】
主こそ王。威厳を衣とし/力を衣とし、身に帯びられる。
【NKJV】
The Lord reigns, He is clothed with majesty; The Lord is clothed, He has girded Himself with strength. 
【NIV】
The LORD reigns, he is robed in majesty; / the LORD is robed in majesty / and is armed with strength.
【私訳】
「主は王として治められ、威厳の衣をまとっておられる。主は(威厳を)まとい、力を身に帯びておられる。」

【瞑想】

詩篇93篇~100篇は「主をイスラエルの王として賛美する詩篇」です。厳密には、93篇、96篇~99篇とされていますが、内容的には前者の範囲で捉えることができると私は考えます。それぞれの詩篇において、主が王であることの様々な面が賛美され、重複する部分もあれば、独自の部分もあるといった具合です。詩篇93篇に関して言えば、これらの一連の賛美の序文とも言える詩篇だと思います。ここには、王としての風格、王座の堅固性、民に対する約束の確実性と永遠性が表わされています。

新改訳、新共同訳の「王」「王であられ」とは、一見、名詞のようにみえますが、実は動詞の完了形が使われています。英訳(NKJVとNIVのいずれも)では The Lord reigns.  つまり、主が王として支配する、統治する、君臨するという意味で訳しています。

Ps91の王の風格用語.PNG

詩篇93篇には「王の風格用語」が見られます。
「みいつ」という訳語は、新改訳聖書では詩篇93篇1節と68篇34節の二箇所しかありません。「みいつ」ー漢字では「御(稜威)」、 日本では天皇にしか使われない言葉です()。英語ではmajesty, excellence 、ただしこの「みいつ」には必ず「力」(strength)が付随しています。どんなに風格があっても、統治する実際の力がなければならないということでしょうか。その「力」は、神に敵対するすべての悪の諸力(3~4節)に勝って力強く、勝利をもたらす「勢い」を持っています。

「みいつ」と訳された原語「ゲーウート」גֵּאוּתは、他に、「威厳」「威光」「気高さ」などとも訳されていますが、個人的には英語訳の「マジェスティ」ということばをそのまま採用したいところです。

「みいつ」と「力」(majesty & strength)、このイメージこそ、王の風格そのものと言えます。威風堂々たる風格。威厳、威光を衣としてまとっているというイメージ。人間的に言うならば、品格、人柄ということでしょう。まさに神らしいあり方、態度、姿をあらわすのに、新改訳では「みいつ」と訳しています。他にも、王の風格を表わす用語としては、詩篇96篇6節に「尊厳」「威光」があります。「尊厳」(新改訳)は、「誉れ」(口語訳)、「栄光」(新共同訳)、「栄誉」(LB訳)とも訳され、「威光」(新改訳)の方は、「威厳」(口語訳)、「輝き」(新共同訳)、「威光」(LB訳)と訳されています。いずれも王にしかふさわしくないものです。つまり、それらは「聖なること」としてくくられます(93:5)。

私たちが生きている今の日本では、王制ではなく、民主主義による「主権在民」です。ですから、「主」をYour Majesty としてたたえることは決して容易ではないと思います。しかし「朱に交われば赤くなる。」ということわざがあります。「みいつ」をまとった方と親しい交わりを許されることによって、果たして私たちはどのような影響を受けることになるのか。答えは新約聖書のコリント第二3章18節にあります。
「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」 

品性においても、人柄においても、風格にしても、全く体裁のない者が、御霊なる主の働きによって、神の民としてふさわしい品格を身に付け、人柄においても、王なる神の栄光(風格)を反映させることができるという神の「奇しいわざ」の領域があることを心に留め、神の民としてふさわしく歩みたいと願わされます。



「みいつ」という語彙は、日本の天皇陛下にしか使われないことばですが、「君」という表現も、天皇陛下を表わす語彙です(たとえば、「君が代」)。御子イエスの降誕の讃美歌の中に、「君なるイエスはいまあれましぬ」とあります。あるいは他の賛美では「あなたは唯一の君」として歌われます。ここでの「君」は王としてのイエスのことを指して歌っています。英語では Your Majesty とか、King of kings と表現したりします。


2013.5.6


a:2374 t:1 y:3

powered by Quick Homepage Maker 5.2
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional