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人の領分と神の領分

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箴言は「父から子への知恵」、主にある家庭教育の根幹を学ぶ最高のテキストです。

27. 人の領分と神の領分

【聖書箇所】16章1節、3節、9節

ベレーシート

  • 箴言16章1~9節は一つにまとまっています。それを「人の領分と神の領分」とし、1節、3節、9節を取り上げてそれぞれを味わってみたいと思います。ここにある格言は「家庭教育」というテーマにも十分に適用できると思います。

1. 「人は心に計画を持つ。【主】はその舌に答えを下さる。」

  • 箴言16章1節には動詞が使われていません。すべて名詞から成っています。「計画、取決め、準備」を意味する名詞の「マアラーフ」(מַעֲרָךְ)は、旧約ではこの箇所だけに使われています。動詞の「アーラフ」(עָרַךְ)は「整える、並べる、比べる、備えをする」の意味です。人は、ものを比べて観察し、考え、まとめ、計画をし、心構えをします。しかしそれが実際に実行力のあることばとして表現されるためには、神の特別な賜物を必要とします。
  • 1節後半にある「舌に答え」とは、考え、計画することを説得力のある言葉で表現する力のことで、それは神から与えられます。人の心にある「マアラーフ」(מַעֲרָךְ)は、心の中にあるだけでは何の影響力もありませんが、それが口(舌)を通して人々に語られるとき、あるいは文書化されるときに力を持ちます。その語られるときに(文書化されるときに)、主がふさわしい表現を与えて下さることを、ここでは「主は舌に答えを下さる」と表現しています。
  • イェシュアの昇天後、弟子たちはエルサレムにとどまり、約束された聖霊を待ち望みながら祈りの時を過ごしていました。それから10日後、ペンテコステ(五旬節)のときに炎のように分かれた舌が現われて、弟子たちひとりひとりの上にとどまったのです。すると彼らは他国のことばで神の大いなるみわざを語り始めました。それまでの弟子たちは、それぞれが心の中で神のみわざについて思いめぐらしながら、これからのために備え、整えていたに違いありません。ところが神は、彼らの舌に特別な形で答えを下さったのです。使徒ペテロの語ったメッセージは、まさに主がペテロの舌に答えを下さった実例です。そのことによって、三千人の人々が弟子に加えられたと記されています(使徒2章)。
  • 新共同訳は「人間は心構えをする。主が舌に答えるべきことを与えてくださる」と訳しています。心構えをすること、整えや対処の備え、熟慮して計画することは、人の領分としてしなければならないことです。口語訳が「心にはかることは人に属し」と訳しているように、人が計画を立てることは間違いではありません。むしろ、それは人の領分としてしなければならないことです。使徒パウロも「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。」(ピリピ2:13)と述べています。しかしそのことが、実現に向けて力をもって表現されるのは神の領分です。人の領分神の領分を正しくわきまえることが重要です。たとえ人が自分の領分においてどんなに純粋な思いで計画したとしても、それを評価されるのは神ご自身です(箴言16:2)。その意味において、人は主に委ねる必要があるのです(16:3)。

2. 「あなたのしようとすることを【主】にゆだねよ。そうすれば・・」

  • 3節には「あなたのしようとすることを【主】にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画はゆるがない。」とあります。「ゆだねる」と訳された原語は「ガーラル」(גָּלַל)の命令形で、石を「ころがす」という意味です。詩篇37篇5節にも「あなたの道を主にゆだねよ。・・主が成し遂げてくださる。」とあります。つまり、あなたのこれからの行く道において、石を転がせばどの方向に転がって行くかわからないとしても、ただそれが最善だと信じて主にゆだねなさいという意味です。
  • 3節の「計画」と訳された原語は、1節の「マアラーフ」(מַעֲרָךְ)ではなく、「マハシャーヴァー」(מַחֲשָׁבָה)という名詞ですが、意味合いは同じです。旧約では50回使用されていますが、その初出箇所は創世記6章5節です。神は人々の心の「計らい」がいつも悪いことばかりであることをご覧になり、大洪水によるリセットを決意されました。この「マハシャーヴァー」(מַחֲשָׁבָה)の動詞は「ハーシャヴ」(חָשַב)で、計画するだけでなく、「計算する、たくらむ、思い巡らす、顧みる」という意味があります。
  • 人の領分として、神のみこころにそって「心構え、整え、対処の備え、熟慮、計画すること」は重要です。そして、それを自分のやり方や手段に固執せず、主に「ゆだねる」ならば、それは「ゆるぐことなく、堅く立ち、必ず実現する」(「クーン」כּוּן)のです。つまり、主への信頼が重要です。


3. 「人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、その人の歩みを・・」

  • 箴言16章9節はこれまでの事を総合して述べています。その証拠に、以下の「思い巡らす」「計画する」「考え計る」と訳された動詞の原語は「ハーシャヴ」(חָשַב)、それは3節の名詞「マハシャーヴァー」(מַחֲשָׁבָה)の動詞であり、また「確かなものにする」「備えてくださる」「導く」と訳された訳語は、3節の「クーン」(כּוּן)が使われていることからも分かります。

【新改訳改訂3版】16章9節
人は心に自分の道を思い巡らす。
しかし、その人の歩みを確かなものにするのは【主】である。

【新共同訳】16章9節
人間の心は自分の道を計画する。
主が一歩一歩を備えてくださる。

【口語訳】16章9節
人は心に自分の道を考え計る。
しかし、その歩みを導く者は主である。

  • 最後に、私たちが心で思い計ること、計画することは、常に、神のヴィジョンを実現させるためのものでなければなりません。そこから離れた計画は、結局のところ、空しく終わるからです。詩篇127篇1節に「主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい」とあるように、主の家を建てるというのが主の永遠のヴィジョン(ご計画)です。とすれば、そのヴィジョンを知り、それに参画することが私たちのヴィジョンでなければなりません。そこから離れた私たちのヴィジョンはすべて空しい働きとなることを、この1節が預言しているのです。
  • 私たちがすべきことは、神のヴィジョンを知ってそれに寄り添うと同時に、神のご計画における主権性を認めて心を柔軟に保つことです。

2016.1.6


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