****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

今回の瞑想のための「3日間」の準備

文字サイズ:


「主の受難」24(Twenty Four)の瞑想のための「3日間」の準備

ベレーシート

  • 今年の「主の復活祭」のために、イェシュアの十字架の死に至るまでの24時間内に起こった出来事を瞑想するように導かれました。今年(2015年)の「復活祭」(イースター)は4月5日です。その日を含めて三日前(現在の暦では木曜の夕方の午後四時頃から翌金曜日の夕方まで)に起こった出来事の瞑想です。
  • 今回の瞑想の準備として「三日間」が与えられています。それは、聖書に見る周到な準備としての「三日間」です。良い仕事をするためには、用意周到な準備が必要です。それは聖書の教えであり、今回の「主の受難24(Twenty-Four)の瞑想」においても言えることです。イェシュアと弟子たちとの晩餐の用意から始まり、イェシュアが十字架上で死んで葬られるまでに起こった24時間での出来事、わずか一日の出来事を瞑想するためにもそれなりの下準備が必要です。その下準備の手始めは24時間以内に起こった出来事を時系列の順に並べてみることから始まります。この準備を自分で行ない、瞑想のプランを自分なりに立てられたとするならば、それだけでもかなりの程度の下準備をしたと言えます。
  • 備えのための「三日間」の重要性を知るために、聖書の中からいくつかの実例を挙げてみたいと思います。

1. ネヘミヤのエルサレム城壁再建の場合

【新改訳改訂第3版】 ネヘミヤ記 2章11, 15~18節
11 こうして、私はエルサレムにやって来て、そこに三日間とどまった。15 そこで、私は夜のうちに流れを上って行き、城壁を調べた。そしてまた引き返し、谷の門を通って戻って来た。

16 代表者たちは、私がどこへ行っていたか、また私が何をしていたか知らなかった。それに、私は、それをユダヤ人にも、祭司たちにも、おもだった人たちにも、代表者たちにも、その他工事をする者たちにも、まだ知らせていなかった。
17 それから、私は彼らに言った。「あなたがたは、私たちの当面している困難を見ている。エルサレムは廃墟となり、その門は火で焼き払われたままである。さあ、エルサレムの城壁を建て直し、もうこれ以上そしりを受けないようにしよう。」
18 そして、私に恵みを下さった私の神の御手のことと、また、王が私に話したことばを、彼らに告げた。そこで彼らは、「さあ、再建に取りかかろう」と言って、この良い仕事に着手した。

  • ネヘミヤは事を始める前に、だれにも知られず、単独で、内密に崩された城壁を調査し、再建のための慎重、かつ用意周到な計画を立てています。すべては神がなしてくださるのですが、ネヘミヤ自身もそのために備えているのです。以下の事が注目点です。

    (1) 崩されたエルサレムの城壁の現状をつぶさに自分の目で確かめたこと
    (2) だれにも知られずに、極秘で調査したこと
    (3) 協力を要請する上で内的な「動機づけ」をしたこと
    (4) 自分に対するこれまでの神の恵みの導きをあかししたこと
    (5) 成功の確信をもって、人々に呼びかけたこと

  • 特に、(3)の「動機づけ」はリーダーにとってきわめて重要な働きです。

2. ヨシュアの約束の地への侵入の場合

【新改訳改訂第3版】ヨシュア記 1章10~11節
10 そこで、ヨシュアは民のつかさたちに命じて言った。
11 「宿営の中を巡って、民に命じて、『糧食の準備をしなさい。三日のうちに、あなたがたはこのヨルダン川を渡って、あなたがたの神、【主】があなたがたに与えて所有させようとしておられる地を占領するために、進んで行こうとしているのだから』と言いなさい。」

  • この間に、ヨシュアはカナンに二人の斥候を遣わします。ヨシュアは、神から「あなたの一生の間、だれひとりとしてあなたの前に立ちはだかる者はいない」との無敵の確証が与えられたにもかかわらず、すぐには行動せず、前もって注意深く作戦を立て、用意周到な準備をしたのです。その準備の一つとして、ヨシュアは敵に関する正確な情報を得るために、二人の斥候を遣わしました。そしてその情報はなんと遊女ラハブによってもたらされました。彼女を通して得られた情報とは、敵が「心がしなえて、もうだれにも、勇気がなくなってしまっている」というものでした。二人の斥候は殺されそうになりながらも、重要な情報を前もって入手することができたのです。

【新改訳改訂第3版】ヨシュア記 3章1~2節
1 ヨシュアは翌朝早く、イスラエル人全部といっしょに、シティムを出発してヨルダン川の川岸まで行き、それを渡る前に、そこに泊まった。
2 三日たってから、つかさたちは宿営の中を巡り、
3 民に命じて言った。 ・・

  • 人間的な視点では、ヨルダン川を渡るということは危険極まりない、無謀な行為としか思えないものでした。この時期(渡った後に過越のいけにえをささげている)は、4月頃の祭りの時期で、「ヨルダン川は刈り入れの間中、岸いっぱいにあふれ」ていたのです(15節)。ヨシュアは主の命令に従って神の民をヨルダンの川岸まで移動させ、三日たってからヨルダン川を渡るための手順をイスラエルの民たちに説明しています。「三日たってから」とは、岸いっぱいにあふれているヨルダン川を渡るための備えのために必要な期間だったと考えられます。

3. シナイ山の麓で神が顕現される場合

  • 神がエジプトから救い出したイスラエルの民と契約を結ぶために顕現される場面です。神はモーセを通して、イスラエルの民に神と会うための備えとして、身の聖別の備えとして「三日」を指定しています。

【新改訳改訂第3版】出エジブト記19章15~17節
15 モーセは民に言った。「三日目のために用意をしなさい。女に近づいてはならない。」
16 三日目の朝になると、山の上に雷といなずまと密雲があり、角笛の音が非常に高く鳴り響いたので、宿営の中の民はみな震え上がった。
17 モーセは民を、神を迎えるために、宿営から連れ出した。彼らは山のふもとに立った。

  • 神とイスラエルの民は、シナイ山のふもとにおいて、合意に基づく契約を交わして結婚をしたのです。神の民は常に、神を証しする民として神のきよさが求められる民となったのです。

最後に

  • 取り上げた聖書の箇所は、歴史的な順序としては全く逆になってしまいましたが、用意周到な準備の重要性は変わりません。瞑想を始める前に、できるだけ必要と思われるもの、手に入る情報(原語的情報、注解書からの情報、インターネットからの情報など)を確保すべきです。その上で新たな情報を聖書の中から見出すことができるならば、すばらしい瞑想となります。
  • 「主の受難」の24時間については、あまりにも多くの情報が記されています。イェシュアはこの24時間、一時も休むことなく、一睡もせずに、疲れと痛みの極限の中に過ごされたのです。主の語られた一つ一つの言葉、一つ一つの行為やしぐさは、すべて意味のあるものです。ですからそこにどんな神の秘密を見出すことができるか、期待をもって、じっくりと瞑想すべきです。なかなかそうできない現実があります。しかしその現実こそが実は「的はずれ」であり、今日のキリスト教会(クリスチャンたち)の大きな問題なのではないでしょうか。


2015.3.9


a:1051 t:1 y:1

powered by Quick Homepage Maker 5.2
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional