使徒ペテロのアニステーミ・ミニストリー
「使徒の働き」を味わうの目次
14. 使徒ペテロのアニステーミ・ミニストリー
【聖書箇所】 9章32節~43節
ベレーシート
- 使徒ペテロはエルサレムから各地に散らされた弟子たちのところへ巡回しています。9章32節以降には、ルダと港町ヨッパを訪れたペテロの働きが記録されています。ルダの町とヨッバの町で起こった出来事には共通することがあります。それは使徒ペテロが主イエスが行った「アニステーミ・ミニストリー」をしていることです。「アニステーミ」は「立ち上がる」という復活用語です。
- 「アニステーミ」は新約聖書で108回使われていますが、そのうち、ルカの福音書が27回、使徒の働きでは45回の合わせて72回、約67%がルカ文書で使われています。「アニステーミ」はルカ文書の特愛用語と言えます。
- もう一つ共通していることは、いずれもそれぞれの地に住む人々が、主に立ち返えり、主を信じたことです。
1. 八年間中風で床についていたアイネヤに対する「アニステーミ」
【新改訳改訂第3版】使 9章34節
ペテロは彼にこう言った。「アイネヤ。イエス・キリストがあなたをいやしてくださるのです。立ち上がりなさい。そして自分で床を整えなさい。」すると彼はただちに立ち上がった。
- ここで重要なことは、「立ち上がる」のも「床を整える」のも、いずれもアオリスト時制で自らの意志で立ち上ることが求められていることです。そしてアイネヤはそのように自らの意志で立ち上ったのです。八年間も床に着いているということは、自分で立ち上ががることは不可能に近いはずです。ところがアイネヤは、使徒ペテロの「立ち上がりなさい」という命令に対して従順に応答して「立ち上がりました」。まさに彼は、復活したのです。このことによってルダ、およびシャロンに住む人々が「主に立ち返った」のです。
2. 婦人の弟子タビタに対する「アニステーミ」
- ヨッパにいたタビタという婦人の弟子が病気で死にました。使徒ペテロがルダに入ることを伝え聞いた弟子たちは二人の者を送って、ペテロがヨッパに来てくれるよう頼みました。
【新改訳改訂第3版】使 9:39
そこでペテロは立って、いっしょに出かけた。ペテロが到着すると、【新改訳改訂第3版】
9:40
ペテロはみなの者を外に出し、ひざまずいて祈った。そしてその遺体のほうを向いて、「タビタ。起きなさい」と言った。すると彼女は目をあけ、ペテロを見て起き上がった。
9:41 そこで、ペテロは手を貸して彼女を立たせた。
- タビタの生き返り(よみがえり)の奇蹟はヨッバ中に知れ渡り、多くの人が「主を信じた」とあります。イエスがはじめられた「アニステーミ・ミニストリー」が使徒ペテロを通してなおも継続していることを示してします。
- ダビタという女性は生前に、やもめたちに対して多くの慈善をしていたようです。ちなみに、タビタのへブル語表記は「ターヴィーター」(טָבִיתָא)で、良い、美しい女性を意味する「トーヴァー」(טוֹבָה)に由来する名前です。事実、彼女は人のために自分の身をささげた女性でしたから、亡くなった時には多くのやもめから惜しまれたのです。そんな彼女もペテロを通して、死の床から起き上がって(「アナカスィゾー」ἀνακαθίζωのアオリスト)座り、そこから「立ち上がった」ἀνίστημιのです。
- ちなみに「タビタ」という名前のギリシア名は「ドルカス」で、「雌のかもしか」という意味です。「かもしか」は、聖書では神から愛されている者の象徴です。「かもしか」はとても美しく、すばやく、そしてスリムです。おそらく「タビタ」はそのような人であったのではないかと思います。旧約において食べて良いきよい動物として、牛や羊ややぎがいますが、それはみな草食で家畜です。そして反芻し、ひづめが割れています。同様に、「かもしか」もそうです。野生の動物でその種類も多く、科目としては「ウシ科」です。ですから、神に受け入れられている動物なのです。雅歌では「愛する者」のことを「かもしか」と呼んでいます。
3. ペテロがヨッパの皮なめしのシモンの所に滞在したこと
- はからずも、ペテロはヨッパに相当期間にわたって、ヨッバの皮なめしのシモンの所に滞在したことが43節に記されています。この滞在は、神の不思議な導きであったことが10~11章で明らかにされます。つまり、ペテロはそこである日、「天が開いて、大きな布のような入れ物が、四隅につるされて地上に降りて来る」幻を見るのですが、その幻の中で主がペテロに対して「身を起こし(アニステーミ)、屠って食べなさい」(新共同訳―新改訳の「さあ」という訳では「アニステーミ」の意味が希薄です)と語る声を聞きます(10:13)。ペテロは即座に拒絶します。なぜならその布の中には汚れた物が含まれていたからです。「汚れた物」とは異邦人を意味することがやがて明らかになりますが、その伏線が、汚れた皮なめしのシモンの家に泊まることにあったのです。
- 当時、「皮なめし」という仕事は動物の死体を扱うこと、悪臭を発することなどで皆から嫌われている仕事でした。いわば汚れた職だったのです。不思議なことに、ペテロは自分でも知らずのうちに、汚れたものを扱う「皮なめしの家」に入っているのです。羊や牛の皮を扱うシモンと使徒シモン(ペテロ)との出会いは、神の御手が動かされた絶妙な御業を感じさせます。果たして、ペテロが偏見にとらわれることなく、神の言われることを聞くか否かが問われるのです。
- 皮なめしのシモンの家に滞在したシモン・ペテロがここで異邦人伝道の幻を見、また彼を迎えにきた者たちに連れられて異邦人の家に行くことも、ユダヤ人のペテロにとっては決して簡単なことではありませんでした。幻の啓示によってペテロの目と耳が「開かれる」必要ーすなわち、霊的な意味での開眼、「理解の型紙」という既成概念からの「立ち上がり」(アニステーミ)がここでも必要だったのです。
2013.3.28
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