個人におけるパラダイムとそこからの解放
〔2〕ローマの支配時代におけるユダヤ人のパラダイム形成
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4. 個人におけるパラダイムとそこからの解放
- イエスの時代において持っていたパラダイムは彼らの神の民としてのアイデンティティを失わせようとする危機的状況の中で形成されてきたものである。このことは、個人的なレベルでのパラダイム形成とその解放に光を与える。二―ル・アンダーソンは『いやし・解放・勝利』の中で、人がこの世において生きる以上、なんらかの拒絶の痛みや圧力を受けていかなければならない。しかし問題は、その受ける拒絶に対して、どのように反応するかだとしている。もし拒絶された場合に、そこで受ける感情をもし肯定的に取り扱うことを学ばなければ、たとえクリスチャンとなっていた場合でも、その成長や成熟を阻む大きな妨げとなるということである。
- しかし残念ながら、多くの場合、私たちが拒絶に対して積極的なアプローチを取るかわりに、次の三つの防衛的な姿勢のいずれかを取ることを子供時代に学んでしまっているのである。家族、学校、社会全般で経験する拒絶に対して、常に、防衛的に反応するようになっているのである。しかし結論的に言えば、私たちが防衛的態度を取るならば、かえって拒絶を受けるという構造があるということである。防衛的態度は決して防衛にならないことを知らなければならない。私たちがこの構造から解放されるためには、神が私たちを決して拒絶されないということを実感的に経験しなければならないのである。
三つの防衛的姿勢とその結果
(1) 勝ち残る戦いを通して受容されようとする姿勢
- 競争に勝つこと、あるいは人を出し抜くことによって、自分自身が「重要な人」になろうとする。結果的に、さらに大きな拒絶を招く。その能力は最終的には減少してしまうからである。感情面でも、感情表現の欠如、完全主義、不安・心配をもたらす。神に対しても、神の権威の下に入ることを拒否する。神との交わりにおいて親しさを感じない。
(2) 拒絶を受け入れてしまう姿勢
- 他の人に受け入れてもらおうと努力するが、自分は拒絶されて当然、愛される価値のない者だとどこかで受け入れている。自分自身を拒絶することで、他の人々からも拒絶される。感情面においては、劣等感、無気力、内省的性格、自己批判的になって落ち込む。神に対する態度と反応は、肉の父親の行動を神に投影し、神を信頼できない。
(3) 拒絶に対して反抗する姿勢
- 人の愛や親切は必要ないと言ったりする。そして人に対してしばしば嫌悪感をもたらすような行動や態度、服装をする。そのため、さらに多くの拒絶を経験する。また、他の人は彼が拒絶する社会構造を守ろうとする。感情面では、自分は生まれて来なけば良かったと思い、自己嫌悪感が強い。神に対しても、もう一人の暴君と見なして反抗する心が強い。
〔参考〕
●ニール・アンダーソン著『いやし・解放・勝利―キリストにあるアイデンティティの確立』(マルコーシュ・パブリケーション、1996年)、第12章「人間関係の拒絶に対処する」